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古典は歴史の風雪に耐えるのです。

先日、自分が今まで購入して読み、自宅に保管してあった本を全部ひっくり返して整理し直した。自宅の自分の荷物の断捨離を進めるためだ。

私は、読書習慣がついた途中から本を読むときには必ず読書ノートをつけていて、概要についてはそちらにまとめてあるから、その概要を見れば内容を思い出せる本とか、ノート化はされていないけどもう既に知識として定着したから読まなくていいと思った本とか、大して面白くなかった本については売ってしまおうと思ったのだ。

そこで、自分の中で残す本と売る本の基準を決めた。

残す基準として設定した1つは、「『古典』的な価値を持っていそうかどうか」だ。

そう思ったのは、これまで自分なりに色々な本を読んだ結果、「結局、大事なことは全部この本(古典や名作)に書いてあったやん!」という経験を何度かしてきたからだ。

例えば、『嫌われる勇気』だ。

修士1年の後半の時期に自己肯定感が爆下がりしてから数多の自己啓発本を読んできたが、その後に『嫌われる勇気』を読んで思ったことは、人間の望ましい生き方とは究極的には、「今この瞬間を踊るように生きよ」ということに尽きる、ということだ。

それ以外の自己啓発本は、それをその著者なりに言い換えたり、その著者の人間的性質に基づく成功談が述べられているに過ぎず、本質的に言っていることは一緒だ、という理解に至った。

他にも例えば、『星の王子さま』も私が古典的価値を感じた名作だ。

特に私が重要だと思っているフレーズは、キツネが教えてくれる、「本当に大事なものは目には見えない」ということと、「何かに時間をかけるから、それが自分にとって特別になる」ということだ。子どもにも読みやすい絵本に近くても、なかなか侮れない、と思った。

そしてもう1つの基準は、抽象的だが「自分にとって重要な本かどうか」である。

これまでの自分自身に大きく影響を与えてくれた本とか、人生哲学というよりは、この世界の歴史とか社会情勢とか、そういうことを学ぶ観点で重要だと思った本だ。

例えば、小室直樹先生の『原論』シリーズがそれにあたる。

初めは准教授から紹介してもらって『宗教原論』を読んだ。その後、『憲法原論』『経済原論』などを読んで、近代社会がどのようにして成り立っているのかについて、自分の脳内にインストールすることができた。

この認識に立ってから、別の様々な本や情報に対することで、物事の理解が圧倒的にスムーズになった、という実感がある。これはきっと、現在の近代日本の成立過程を知る上でも大変重要だし、日本という国家の特性も良くわかる本であると思うから、自分の子どもにも読ませたい、と思った(子どもいないけど)。

これまで読んできた本のうち、今の自分の認識を作る上で無駄な本があったか、と問われると、それは正直わからない。

確かに、疑問を抱きながら様々な本を読み漁って回り道をしたからこそ、こういう大事なことが「立体的に」理解できて自分の知肉になっている可能性はあるのだけど、手元に残すものを決めるためにより本質的なものを厳選しようと思うと、結局古典のような書籍が残るのだ。

これが、古典が歴史の風雪に耐えるということか、と思った。

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