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宣言することを恐れているのです。

年末を迎えるにあたって、年始に自分が何を考えていたのか、周りの人からどんな助言を受けていたのかを振り返って、それが今年適切に実行できたのかどうかを振り返っている。

私はこの1年間、現在研究職についているにも関わらず、各所にて「研究は苦手だ」「研究は向いていない」と発言してきた。

そういう発言を聞いたある人は、以下のように言った。

「博士という学位はどのように解釈できるか?それは、『今日何か一つ新しいことがわかった』ことを喜びとして生きていける検定1級を取った、ということだ。そのための1つの方法論を学んだ証が学位なのであって、その後は何でも好きに自分の興味を追求すればいい。」

私の中にも何かを探究したいという思いはどこかにあるはずだ。

もしそうなのだとしたら、それは研究が苦手なのではなく、単に自分の気持ちが向くテーマに出会っていないだけなのではないか。

いや、それも多分違う。それに自分が勝手にフタをしているだけだ。

私はこれを探究するのだ、と宣言することを恐れているだけだ。

なぜ恐れているのか?

それを本気でやるということの責任を取る必要があるからだ。やるのは自由だが、それできちんと自分が生きていけるかどうかを自分で保障する必要があるからだ。

この1年間、その宣言をする勇気がなかったから、ここまでダラダラと生きてきてしまったのだ。

次こそは、自分の人生の貴重な1年間を無駄にすることなく生きたいと思う。

とはいえ、それすらも本当に自分が求めていることかどうかわからない。

生き急ぐことなく、穏やかに生きていればいいではないか、と思うこともある。

どちらが自分の本当の望みなのかもわからない。

それすらも、決めて宣言することなのかもしれない。

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