私は発達障害で精神障害で、そしてアダルトチルドレン
少し前、ようやくWAIS-4を受けた。
WAIS検査を知らない方へ簡単に説明すると、2時間くらいかけてじっくり行う知能検査だ。
私は20,000円を出して、自分の知能を測る検査をした。
とんでもない自己投資だ。
そもそもどうしてこんな検査を受けることを決心したのかというと、発達障害であるADHDだと信じて疑わなかったからだ。
信じて疑わなかったというか、病院からも『おそらくそうだろうが、うつと不安障害の症状が強すぎて検査結果が上手く出ない。』とずっと、検査を先延ばしにされていたのだ。
いわゆる、グレーゾーン。もうこれが何年も昔のこと。
そして転院を繰り返し、ようやくここ一年で信頼できる医師に出会い、うつや不安障害の症状も落ち着いてきたのでとうとうWAIS検査を受ける事ができた。
結果は分かっていたが、自分はやはりADHDという発達障害だった。
得意な分野とそうでない分野がハッキリと分かれていて、算数が昔から出来ないのも、そそっかしい性格も、物忘れがひどいことも、ぜんぶ発達障害のせいだった。
どんなに他の人のように頑張ってみようと努力しても、結論から言えばムダだったのだ。努力の方向性を今までずっと間違え、自分で自分を苦しめてきた。
それゆえ、長年うつ病は寛解しないし、不安障害も完治はしない。
全てが負のループになっていた。
私が長年このnoteで話している家族のこと。
この辺の記事を読んでもらえると私がどんな家庭で生きてきたかわかると思うけれど、(家族の話のマガジンをまとめてるので良かったら読んでくれたら嬉しいです。飛び跳ねて喜びます。)
そんな事も相まって、育つはずだった自己愛が全く育っておらず、いつまでも自分に自信が持てない大人になってしまったとも説明された。
頭脳に障害を持ち、インナーチャイルドが泣いたまま大人になってしまったアダルトチルドレンだ。
私はずっと、この世でひとりぼっちな気がしていた。
こんな想いしてる子なんて周りに誰も居なかった。友達にも馴染めなくてトイレでおにぎりを頬張った日もあった。
思ってもいない言葉を衝動的に発してしまって後でしんでしまいたい、と悩むくらい後悔したり。
仕事にも馴染めず、転職だって何度も繰り返してきた。
フルタイムの正社員で働けなければ、『遊んでばかり。』そう何度も何度も家族に罵られた。
私の人生ぜんぜん上手く動いてこなかったのだ。
でも少なからず、自分だけのせいじゃなかったのだと分かったら、そこには安堵する自分がいた。
私はツイてないだけ。貧乏くじを引いただけ。
そう思えるようにもなった。
むしった髪の毛はもう生えてこないし、何度も自分を殴ったりもしたけれど、死ぬ勇気が無かったのはある意味ラッキーだったかもしれない。
だって今、生きててよかった。と思える事が多いんだもの。
正直お先真っ暗な人生だし、体調も万全とは言えないし、2週間おきに通院しているけれど、今回の検査結果を受けてようやく自分に諦めがついた。
私はどんなに努力をしても健常者のようにはなれない。
世の中で言われる『当たり前』にはなれないのだ。
いい意味で自分を諦められた私は、自分を『障害者』なのだと認める事ができた。そしてようやく、障害者手帳を申請することにしたのだ。
もう心身のバランスを崩してまで働かない。
普通や当たり前を追い求めたりもしない。
だって、いつ死ぬかわからないもの。
お金は生きていけるだけあればいい。
贅沢な生活もしなくていい。
将来は自分で縫った服を身に纏うおばあちゃんになりたいし。
ただ、やりたいこと全部やる。
これからどうやってお金を稼いで生きていこうか模索中だけど、写真だけは諦めたくない。
ライスワークとライフワーク、上手くバランスを保ちながら生きていけたらいいね。
自分のことを障害者だと認める事ができた春。
これから訪れる季節たちは、私らしく過ごせる気がする。
私は私。今までもこれからも特に何も変わっちゃいないんだけど、自分の特性と向き合う事で少しは生きやすい人生になりそうだ。
こんな私を認め、受け入れてくれる周りの方々にたくさんの感謝の気持ちを忘れずこれからも生きていこう。
今日も、たくさんのありがとうを抱きしめて。
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