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「子どもを負の感情で支配してはいけない」という教訓

私は20年以上、スポーツと真剣に向き合いました。
スポーツを通して、最高の仲間に出逢い、心身共に成長できました。
私の人格は、スポーツを通して形成されています。

スポーツは、人生を生き抜く基礎を作るものです。
だからこそ、子どもを応援する保護者の皆様にお願いがあります。
ネガティブな感情で子どもをコントロールしようとすることだけは、絶対にしないでください!

10年に1人の天才と呼ばれた幼少期

私には上下2歳ずつ離れた兄弟がいます。
兄の影響で3歳からサッカーを始め、弟も同様の道を進みました。

父の指導のお陰で、私たち3人は早々に頭角を現し、
兄が小学校高学年にあがる頃には、同じチームで兄弟3トップを組み、大会では得点ランキングの金銀銅メダルを3人で占めるなど、
地元で一目置かれる存在になっていました。

その中でも特に私は、周囲の大人達から10年に1人の逸材と称されるほど注目を浴びていたのを覚えています。
10歳になってすぐ、監督の勧めるがままに、Jリーグ下部組織のセレクションを受け、晴れてエリート集団の仲間入りを果たしました。

このセレクションの倍率は、なんと100倍です。
こんな難しい試験、後にも先にも経験したことがありません…

サッカー少年からプロの卵へ

Jリーグの下部組織は、それまでの地元チームとは全く異なる環境でした。

月謝や遠征費が掛からないだけでなく、練習着やスパイク、バッグや移動着等、必要なものは全てクラブから支給されます。
また、定期的に保護者が呼び出され、子どもの栄養指導や、精神面のサポート方法等について勉強する機会が用意されていました。

クラブの活動は週5日で、平日夕方から夜までの3日と、土曜日が練習、日曜日は基本的に試合が入るといったスケジュールを毎週こなしていきます。
更には、他の子に負けないようにと、空いた残りの2日のうち、1日は別のサッカー塾に通い、実質休みは1日しかない生活を送っていました。

いつの間にか、食べるものから友達と遊ぶ時間まで、完全に管理されたプロの卵になり、楽しさだけを求めボールを追いかけていたサッカー少年の姿は次第に消えていったのです。

母親の期待という重圧

当たり前ですが、小学生なので遅い時間出歩くことは出来ず、このスケジュールで動くためには、親の送り迎えが必須になります。

3人の子どもの中で、私に費やす時間が増えたこと、意識の高い保護者が周囲に居たこと、更にはクラブが用意した講義を受け続けたことで、母親は私が将来サッカー選手になると期待し始めたのだと思います。

この頃から、私のプレーに対して、指摘をするようになりました。
試合の際はビデオカメラを持参し、帰りの車でダメ出し、帰宅後にビデオを見返しながらの反省会と、母の指摘は少しずつ厳しくなっていきました。

ミスをしたら怒られると次第に感じるようになり、毎週の試合では、出来る限りミスをしないようにばかり考えていた記憶があります。

結果を出せないことへの罪悪感

「毎回活躍する、〇〇君のお母さんが羨ましい」
「あなたのミスで失点したから、私が皆に謝ったのよ」
「あなたが不甲斐ないから、恥ずかしくて保護者会に行きたくない」

私は母親から、こんなことを言われるようになっていきました。

エリート組織の保護者たちは少し変わっていて、私のせいで母が辛い目に逢っていたは事実かもしれません。
しかし、母の本心は「私のせいで親が悲しんでいる姿を見せれば、私が奮起してもっと頑張ると思っていた」のだと思います。

なせそのように確信しているかというと、母はこのやり方を、兄弟のお受験戦争の際にも使っていたからです。

兄が塾の特進クラスで悪い成績をとって帰ってくると、母は大声で怒鳴り、それでも奮起しないと、自分の首を絞めて死ぬふりをしていました。
何故か大声で泣いていたこともあります。

当時はこういった行動の意味が全く分かりませんでしたが、大人になって振り返ると、母の全ての行動は「子どもに罪悪感を抱かせ思い通りに動かす」と一貫していたのだと理解できます。

宿舎で夜通し泣いた、夏の全国大会

6年生の夏、チームの念願だった全国大会県予選突破を初めて達成し、本大会に進むことができました。

J1トップチームの試合で、本大会出場をサポーターに報告し、決起会には当時のトップチーム監督だった、元日本代表選手から激励の言葉を頂くなど、特別待遇に拍車が掛かっていきました。

保護者とチームスタッフの期待を一心に背負って望んだ本大会でも、チームは好調で、あっという間に準決勝まで駒を進めていきます。

私もいつになく調子が良く、準決勝まで全試合スタメンフル出場で、また大会期間中は宿舎に缶詰状態であったことから、試合後の恒例反省会は開催されず、とてもリラックスした時間を過ごしていました。

そんな順風満帆な全国大会が悲しい思い出に変わってしまったのは、準決勝の朝、メンバー発表で私の名前が呼ばれなかったことから始まります。

それまで絶好調で、スタメンから外されるなんて夢にも思っていなかったので、その瞬間は頭が真っ白になったのを覚えています。
その試合、チームは勝ちましたが、宿舎に戻っても気持ちが晴れることはありませんでした。

そんな落ち込んでる私に、母から1通のメールが送られてきます。
「今日は親戚の皆を招待していました。あなたが活躍すると思っていたからです。今まであなたにたくさん尽くしてきたのに…恩を仇で返すとはこのことです。こんな酷い仕打ちを受けたことはありません。どこまで私に恥をかかせたら気が済むのですか。」と。

もう20年前の文面を、大人になった今でも一言一句鮮明に覚えているくらい、衝撃の大きいものでした。
「一番辛いのは母ではなく、私なはずなのに、どうしてこんなに追い詰めるんだろう…」
拠り所のない悲しい気持ちと、裏切られたような喪失感で、その日は朝まで涙が止まりませんでした。

決勝は無事にスタメン復帰を果たし、見事全国8,000チームの頂点に立つことができたのですが、当時の記憶を振り返るとき、真っ先に頭をよぎるのは全国優勝した喜びではなく、この日の辛い夜です。

最後に

スポーツは私にたくさんのものをくれました。
掛け替えのない友情や、親子の絆、仲間と達成した喜び、観戦を通して味わった感動など、本当に沢山です。

しかし、スポーツを通してネガティブな感情を経験し、それが今現在に影響していることも事実です。

私は大人になった今でも、「周囲の顔色を伺い過ぎて疲れてしまう」ことや「自己肯定感が高くない」といった生きづらさを感じることがありますが、元を辿ると上述した小学校の記憶に繋がっていることに気がつきます。

全国のお父さんお母さん!
子どもを熱心に応援するがあまり、無意識のうちにネガティブな感情でコントロールしようとしていませんか?

親にとっては一時の出来事かもしれませんが、子どもにとっては、心の底で一生忘れることが出来ない負の遺産になっているかもしれません。

スポーツを通して生きづらさを感じてしまうというのは、とても悲しいことだと思います。
また、その原因となり得る親の一方的な期待や強い圧力は、時に子どもの純粋な成長を阻害してしまいます。

本来、「#スポーツがくれたもの」というテーマにあった内容は、もっと爽やかで希望に溢れたものが適していると分かってはいますが、
私の経験を少しでも多くの保護者の皆様に知って貰いたいという願い、そして私自身も一児の父親として、自戒の念を込めて、この記事を書かせて頂きました。


#スポーツがくれたもの

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