わたしと友達のこと 【雑感】

(※この記事には、桜庭一樹の二つの小説「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」「ファミリーポートレイト」と中山可穂の一つの小説「感情教育」のネタバレが若干含まれています。)

(※この記事には、簡単にですが虐待に関する記述があります)

 桜庭一樹の小説に「ファミリーポートレイト」というのがある。主人公の女性「駒子」は、物心ついた頃から父親を知らず、母親に虐待とネグレクトを受けて育つ。十五歳で父親から助け出されるのだけど、その際に母親に自殺されてしまう。その彼女がやがて小説家『眞子』(これは母親の名前をとったもの)としてデビューして人前に立つ機会が出来ると、心の中で「ママ」と呼んで「作家『眞子』の顔」になるのがわたしには印象的だった。
 駒子は夜になる度に死んだママと対話するのだけど、作家として努力を重ねる内にママの存在感は変化していく。

 また駒子は女性にモテて、高校時代に求められるまま次々と女の子とセックスするのだけど、その時「みんな同じ木に生った姫林檎の赤い実たちみたいだ」と感じる。

 わたしにとっての駒子の「ママ」にあたる存在が、自分の母親から、今までの人生で一番仲の良かった、そして最後は殺されるかと思った友達の女の子に少しずつ置き換わってる気がしてる。友達もわたしもたぶん、母親に対して似た感情があって、そして母親そっくりだったんじゃなんじゃないかと思う。
 女性に深く恋をすると変わるのかな、という気がしたけど、よく分からない。同氏の別の小説「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」には、いわゆる機能不全の状態に陥った家庭内で心の行き場を失っている中学生の女の子「なぎさ」の町に、もっとずっと過酷な環境で生きる、激しい虐待を受けている同い年の女の子「藻屑」が転校してくる。
 心の傷がとても深い藻屑は言動が妄想にまみれていたり、人と会話が噛み合わなかったりして孤立するのだけど、どこかに似た孤独を抱えているなぎさはその子と友達になる。その二人と、わたしと友達との関係も、すごく重ねて見てしまう。結局最後は虐待で死んでしまう藻屑は、なぎさの中に住んだのかな。

 ものすごく深いところで人と繋がると、恋とか愛とかいう(水準の高い?)捉え方が無意味になってくる気がする(愛は別?)。わたしの中で母親が彼女に置き換わりつつある。そしてどうも人としてナニカが半分成熟したような気がしているわたしは、母親にも、殺されかけた彼女にも、圧倒されなくなってきた。たまに心の中で彼女を呼ぶと、昔の彼女と似た苦しみに陥っていたのだろうわたしを光の世界へ引き上げてくれようとする、優しい声が名前を呼んでくれる。そうして日々生きているうちに、どちらの存在も薄らいで、やがて不思議なものに変化してしまうのだろうなと思うようになった。

 「ファミリーポートレイト」の主人公は、レズビアンじゃなかったからいくら女の子を抱いても渇いていくばかりで、みんなおんなじ姫林檎の木の実に見えてしまい、心の中のママを追い出すような存在にならなかったんだろうか。それとも運命の人が女性じゃなかっただけなんだろうか。

 最近、女性で、同性愛者であることを公表しているような人の本を探して、中山可穂という作家と出会った。友達との思い出の整理に役立つかと思って手に取ったのだけど、まず最初に読み切った「感情教育」がとても良かった。その小説の中で、惹かれ合った女性二人がお互いを「運命の人」と深く確信するのだけど、すてきな表現だなあと思った。
 この小説の二人のように、生涯で一番大事な相手になるような「運命」以外にも、色々な「運命」がありそうだと思う。わたしにとって友達の女の子は運命で強く惹かれ合った相手なのだと思う。強烈な母親の存在を(もしかしたらお互いに)上書きしてしまうような、そんな。
 別にセックスとかをしたわけじゃない。
 「感情教育」の主人公の「理緒」は、もう一人の主人公「那智」に向かって「セックスは与え合うものだ」と言う(すてきだな)。わたしはまだ殆ど、一方的に吸い取るか、滅ぼし合うかのセックスしか知らない。友達との関係は身体の繋がりはなかったけれど、やっぱりそういうものだった。二人はそっくりだね、仲良しだよね、と手のひらを合わせて、周りからも仲のいい二人だねと言われながら、幸せに、お母さんから授かった愛の力で死んでいくような、そんな。

 書いていて気づいたけど、「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」の二人は、藻屑が虐待で死んでしまうまでの短い間に、わたしと友達とは違う(のかもしれない?)「与え合うもの」で通じ合ったのかもしれない。わたしの体験とは重なるようで何かが違うのだなと思った。
 更に書いていて気づいたけど、どうもわたしの今までの人生は多くの人から見て相当荒廃しているようで、その為考え方や感じ方がズレていて、殆どの人と話が噛み合わないらしいということが、最近少しだけ自覚されてきた。駒子の母親は過激だけど、通った都立高校で抱いた姫林檎の木の実の女の子達は実はそうでもなくて、周りに過激な人たちがいつでもいるものだと思っているわたしは、そのへんを読み間違えているのかもしれないと思った。

 以上、小説の内容はうろ覚えです。あれこれと間違っているかもしれません。

***

 駒子は、ある日居候になったポルノスターの出演ビデオを見せられながら「交尾したいって死にたいってことだもの」と言う。
 理緒は那智に向かって、セックスは与え合うもの、という。
 両方一緒だと思う。
 これは、蛇足?

 桜庭一樹と中山可穂の違いに悩む。後者の方が、大人だと思う。あとはまだ分からない。

(この記事は、2019年1月9日の午前3時ごろにTwitterに投稿したものを、加筆修正したものです)

Twitter 2019.01.09 03:14

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