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いろいろと繋がること。

10/25
お世話になった動物病院へ
開店と同時に電話。
受付の方がすぐ先生に代わってくださいました。

電話をかけるまで
涙は出なかったのに
先生に報告するとき、言葉がつまって
涙がボロボロ。

亡くなったことを報告すると
「そうですか。。本当によく頑張りました。最期にお力添えできず本当に申し訳ないです。」と言われました。
「らーちゃんを看取ることができたことに意味があるとおもいます。」と言ってくださって、母も涙ボロボロ。。
「本当に長い間お世話になりました。病院が大好きなコだったんで、、、」と声を詰まらせた母。

ほんとそう。
らーちゃんは動物病院、というか先生が大好きだった。
「らーちゃん!動物病院いこか!」って言うと
尻尾ぶんぶんにして、膝の上に手を乗せて
「いこー!!!いこーーーよ!!!」と喜んでいたし、車に乗るのも大好きでした。
後部座席に座って少し窓をあけて風を感じながら、らーちゃんと病院に向かっていたな。。

もしかして病院や先生が好きっていうより
車に乗るのが好きだったかもしれない。


夕方らーちゃんのお骨上げで
再度火葬所へ出向いたら

らーちゃんの
らーちゃんそのもののかたちが
きちんと残っていました。

歯は丈夫できれいに残っていました。
食いしん坊だったから歯はほんと丈夫だったんやな。
らーちゃんらしい。。
(亡くなる前は大好きなおもちゃを咥えることもできなくて、大好きなキャベツも噛み切れなくなってたね。ずっとずっと流動食だったのにね(;_;))

そして背骨のほうは
脆く粉々となっていて
「骨が脆くて骨粗鬆症だったのかもしれないです」と説明を受けました。

歯は丈夫なのに骨粗鬆症なんや、と母。
たしかに。
「きっと骨にまで転移してたんやろうな」と父。

お世話になったペット霊園では
ペットの毛や歯を入れておくキーホルダーを無料でひとついただくことができたんですが
赤、シルバー、黒、の3色のなかから選ぶことができて
「もも、選び。」と両親が言ってくれたので

わたしは赤色を選びました。
らーちゃんが1番似合う色だったから。

らーちゃんは赤色の首輪をつけていたしね。

そしてお骨拾いをしました。
実家、わたしの家、
それぞれの世帯におくため
小さな骨壷を2つ買いました。

わたしが持っておく骨壷には
病気で闘ってたときに、よく左の前脚を触ったり
握ったりしていたので前脚の骨を。
そしてキレイに残っていたお顔のところ。
ブンブン振っていた大好きな尻尾。
立派な後ろ足。
それぞれの一部を小さな骨壷におさめて。

おおきなお骨と喉仏は埋葬のためカンカンへ。


火葬する前、棺のなかには
らーちゃんが生前大好きだった
ちゅーる、ササミ、柿、ミカンをたくさん入れました。

母が「病気にならないように」と言って
フィラリアの薬を入れようとしたら
「もう薬のいらないところに行くから大丈夫ですよ。」とペット霊園の方に言われました。

ペット霊園の方々、本当に親切にしていただいて
最期のお別れの時間も
何時までとか時間を決めず
お別れができる決心がついたら
声をかけてくださいとおっしゃってくださいました。

なにより救われた言葉が
らーちゃんの生前のお話をしているなかで
最期は懸命に病気と闘ってたんです。と伝えたら

「いいように考えたらね、苦しくなった時間はほんの少しだったということ。楽しかった愛されていた時間を長く長く過ごせた。それってすごく幸せだったんじゃないかな。」とおっしゃって

少しだけ心のなかが安心して
そっか、らーちゃん苦しい時間より
わたしたちと楽しい時間を長く過ごせたよね、って思えたら、ほんとに心の中が少しだけ「そっか、そういう考えにもなるよね」と違う思考をもてて、心が少し軽くなりました。


ひとつの儀式が終わった。
らーちゃんがいない。
らーちゃんに触れることができない。

こんなにあっけなく早く逝ってしまったんだから
らーちゃんはわたしたち家族と過ごした時間と同じぐらい、それ以上の時間を過ごせる幸せなところにいてほしい。


らーちゃんは
保護犬でした。
叔父の家の近くの公園に
ダンボール箱に入れられていたそうです。

叔父の家に迷い込んだけど
叔父の家ではすでにボーダーコリーを飼っていて
飼えなかったから一旦保健所で預かられて。
保健所で撮られたそのときの写真は
すごくすごく寂しそうなお顔だったね。

わたしの家にどう?って叔父から声がかかったのも
前飼っていたビーグルが亡くなってから約4年後。

飼いたい。わたしが言った。
小さいときから日常の生活に犬がいたから。

わたしの家にくることも
叔父と出逢うことも
きっとらーちゃんの宿命だったとおもうし
たった3日間だけやけど
叔父の家で預かってもらったことを忘れず
叔父のにおいを
ずっと覚えていたんだろうな。
叔父のことが大好きだったらーちゃん。

10/25の夜
母とらーちゃんが使ってたお水入れ
餌入れ、ベッド等
たくさん処分しました。

大きなベッドもたった2年しか使ってないよね。
いつもわたしたちが使う座布団や
こたつの中で寝ていたもんね。
体よりも大きなベッド喜んでくれてたよね。
枕もついてて、よく顎のせてたよね。
洗うときは「なにすんだ!ぼくのだよ!」って必死に抵抗してたよね。


らーちゃんとの思い出
たくさんあります。

らーちゃんに、「らーちゃん、チュッ」って言うと
らーちゃんはチューしてくれる。
寝ていると、ズドンと顎を乗せてきて
一緒に寝る。
ご飯をたべだしたら必ず隣にきてお尻くっつけてきたよね。
お膝で寝ることなんて毎日のことだったよね。

「らーちゃーーーん」って呼ぶと
尻尾ブンブンにしてきてくれたよね。

仕事から帰ると
必ず玄関まで尻尾ふって
「おかえり」って迎えに来てくれた。
からだ全体をスリスリさせにきて。

全部が愛おしい。

夫が泊まりにきたときも
夜中みんなが寝静まったころに
わたしの布団に寝に来たよね。
一緒に寝たよね。

でも明け方、怒られるとおもって
そっといつもの居間に戻っていったよね。

らーちゃんは母とだけ
よく喧嘩していました。

母は「あんな怒らんかったらよかったなぁ」と亡くなってから言っていたけど

わたしは、らーちゃんと母が喧嘩(らーちゃんはいつも私のところにきて、助けを求めてくるのが)いまになってすべてが可愛かったなぁ。

母が、「今年はいろんなことがあったなぁ」と。

ほんとに2023年は激動。
新年から母が高血圧&目眩で救急搬送され
兄は虚偽のハラスメントで訴えられ支店を変えさせられて鬱になったり
わたしは結婚が決まって家をでることになったり。

でも
らーちゃんがいなくなるなんて
まさかの最愛のペットに不幸が訪れるなんて想像もしなかった

いまフォルダを見返しても
らーちゃんのかわいい写真だらけ。

ゴミ出しをしているとき、母が「もうみんなのところに何も悲しいことが起こらないよう僕が引き受けたよ。無事に年を迎えられるよ。だいじょーぶだよっ。って身代わりになってくれたんやわ」と夜空を見上げながら声を震わせて言っていました。

そうだね、らーちゃん。
らーちゃん。

そしてこの日の夜遅くに夫が迎えに来てくれて
車の中、大事に骨壷を両手でつつみながら
帰路につきました。

お風呂にはいって
すぐベッドに横になると
いつのまにかスヤスヤと眠りに。



そして
夜中3時すぎ。


うわぁ~❢❢❢❢❢❢❢❢❢❢
という夫の大きな叫び声で目が覚めたわたし。


え?なに???
なに????
って聞くと

「ももちゃんのほうからさ、黒いモヤモヤしたもんが壁をつたってあがっていってん」

うわうわうわうわ❢❢❢❢❢
と何度も言ってて

わたしは眠たすぎて
そうなんやぁ〜、だいじょーぶやって、寝ようよ、しか言わずすぐ眠りについたけれど

夫が「あのときな、ももちゃん変な寝方しててん。左腕を天に上げて寝てたよ」と言ってきたので


え?!!!
ほんまに?!!

「うん。なんか寝相が悪かったよ」とのこと。

左腕を天にあげて寝る???


らーちゃんやん。
らーちゃんは熟睡してるとき
前脚どちらかを天井に伸ばして寝ることがあって

え、らーちゃん憑依した?
らーちゃん会いに来たの??

となって
びっくりしすぎて翌朝、両親にLINEで報告。

母は「なんか面白い(笑)」と笑ってくれていました。

朝起きて、「らーちゃんおはよう」とお位牌の前で話すと
シンクのほうでカタンと何かが落ちる音。

え???
なに??
とおもって見に行くけど何も落ちてない。

らーちゃんが挨拶してくれたんだ(;_;)


そうおもったらまた涙が。。。


らーちゃん、近くにいてくれて
見守ってくれてるんだよね。












大好きな大好きならーちゃん。

いまどこにいますか?
天国ですか?
仲良しのリキやルークと走り回っていますか?
食べてますか?
それとももう生まれ変わって、またかわいいわんちゃんになってる?
誰かを幸せにしていますか?
誰かに抱っこされていますか??

もし人間に生まれ変わっていたら
会いに来てね。
友達になってね。
ずっとそばにいてね。

らーちゃん。大好き。





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