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ありがたい情報や言葉はこの世に溢れているけど、本当に人生を面白くさせてくれるのは、自分が本気で生きた現場で起こったことだから、やっぱこれからも人生にマジでいたいよなって話。

今金曜日の深夜1時です。
正確にはもう土曜日入っちゃってます。
私流の華金の夜の過ごし方は、土曜日の朝という1週間で最も幸せな時間を最高に楽しく過ごすために、なるべく夜ふかししないというのが望ましい形です。
が、それをぐっと堪えてでも、今、書かなきゃならんと思って書いております。

端的に何を書きたいかと言うと、
人生にまじになって生きてると、かけがえのない瞬間が訪れるものだな〜
って話です。
(痛い大人の深夜テンションぽくてやだな)

もう聞き飽きるほど、巷には
・皆違って良い、個性大事
・自分らしさが一番大事
的なマインドが溢れています。
そこに反発したいとかそういうことでは無いのですが、ナチュラルにそれを飲み込むことは出来ない自分がいました。
世の中には需要と供給というものがある中で、求められる自分にならないと、人の輪に入れてもらうことはできません。人間は一人では生きてはいけないので、個性を大切にした結果一人ぼっちで生きていくのは、人間という生き物の性質上、メンタル的によろしくないことなのではないか、
つまり、誰かに求められるような自分になって、人の輪に積極的に入っていくことこそが健康的な人間であり、そうでなければ心は不健康な状態になっていくんじゃないかと、思っていました。

さらに、私は心のどこかで、
人間の個性というのは本当に存在するんか?と不思議でした。
昔友人から聞いた話ですが、人間というのは無数の細胞の集まりで、
その細胞が分裂し続けて成り立っているものなので、
一種のゆらぎなのだ、と聞いたことがあります。
なので、私達の存在そのものが、幻のようなものなのだと。
(私はこの話を聞いた時、あまりにも感激してちびってしまったほどです、この話すごくないですか?)
幻のような人間は、毎秒細胞を入れ替えて生きているのに、個性なんてものがそもそも備わるものなのか、と不思議に思う部分があった、ということです。
いくらアルファベットの並びで人の性格を診断して管理していったって、
数年後テストしたらその結果は変わっているかもしれないし、
その時感じているストレス値によっても人格は変わるものだと思うし、
この人は、こういうものだ、という定義は出来ないものだと思います。

だとすると、
究極、誰もが大して変わらないのでは?同じなのでは?と思うわけです。
ストレス値や脳の出来栄え、その時々の体調によって若干の違いはあれど、人間なんて皆同じものなのではないかと、
つまり、個性個性と言いますが、そもそも個性というのも
その時々のストレスの値やその他健康状態に左右された人間のあり方の一パターンでしか無いのでは?と思う、ということです。

もちろん、何が正しいのかなんて私には分からないし、
今までそう思う節もありましたっていう、単なる私の意見です。
ただ、金曜の夜にこれを書いているにはそれなりの理由があって、
結論、今まで自分が感じていたことが覆されたようなことが起きて、ちょっと頭ぶん殴られたみたいな気持ちです、ということです。
つまり、人間は皆同じじゃないと思えた、ということです。
(人類補完計画から足を洗った碇ゲンドウみたいで今自分で笑いました)
また、私を嫌う人もいれば好いてくれる人もいる、ということです。
感じたことを率直に書くとすれば、
私はちゃんと存在してたんだ、人間の一パターンでは無く、「私」が存在していたんだ、ということを素直に心から思えた、
ということです。
(何を言ってるか分からねえと思うが…割愛)

それは、今日他人に言われた言葉に起因します。
その言葉は、昔深い付き合いをしていた人に対して、
私のことを嫌だとか、不快に思ったことを教えてほしい、という私のリクエストに応えて発せられたものでした。
(補足すると、そのリクエストをした理由は、誰かと喧嘩したわけでも、悲観的になっていたわけでもなく、ただの興味本位です、親しい関係だからこそ聞いてみたかったし、私が人を不快にさせるポイントを単に知りたかったわけですしおすし)
で、肝心な頂いた言葉ですが、こんな回答でした。
「無い。あなたのことが好きだったし、今でも好き。一方で、あなたのことを嫌う人もいることも想像出来る。でも、私はあなたのことが好きだったし、あなたの代わりはいない」

まず断っておきたいのが、人に明らかな好意を向けられたことの惚気?みたいなことを書きたいわけではありません。(いやそりゃもったいなきお言葉でぶちあげだけどそれは書きたいことではない)
この言葉を聞いた時、何か点と点が繋がったような気がしました。
本当に文字通りだし、死ぬほど当たり前のことを書きますが、
私を好きな人もいれば、嫌いな人もいる、ってことです。
だからつまり、私は嫌われる価値もあれど、好かれる価値もあるってことです。

てめえここまで読ませて何1+1=2みたいなこと書いとんじゃ埋めるぞと思われたかもしれませんが、
私にとっては、誰かがSNSで発信したことではなく、哲学者の書いた文章で読んだことではなく、
自分の大切な人から言われたその言葉だったからこそ、
私がまごころを込めて、まじになって対峙してきた相手に言われた言葉だったからこそ、
衝撃的に、学んだのです。

私を疎ましいとか、キモいとか、うざいとか、邪魔だとか、思う人はこの世に沢山いるでしょう。
でもその反対に、私を好きだと、言ってくれる人もいるんです。
本当に、そんな人がいたんです。
私が好かれようと振る舞わなくても、誰かを魅了させることを計算した振る舞いや装いをしなくても、
ただ私が私でいることで、
私のことを嫌いになる人もいれば、好きになる人もいるってことです。

また、私の代わりはいない、という言葉に対しては、
そこには若干の幻想が含まれている、とは思います。
なぜなら私の代わりなんてこの世に沢山いるわけで、私と似たような状態の人間なんて探せば沢山いるかもしれないからです。
でも、ここで肝心なのは、それが私だけに向けられた言葉だ、ということです。
私と同じようなパターンの似たような人全般に向けられたのではなく、
私だけに、向けられた言葉でした。
その言葉に、私はこんなに興奮するくらい、感激したのでした。
何というか、他人を通して自分がちゃんと存在してたことを確認出来た、素晴らしい機会を得た、って感じです。

多分これを読んでくださった大半の方が
当たり前すぎて私をぶん殴る用意してると思います。(すみません)
あるいは、何をこんな興奮してんだこいつと呆れているかもしれません。(すみません)
まじでこんなようなこと、今時インスタでだって手に入る情報ですよね。
人類の大半が耳にしたことのあるような、一部の人はうんざりするような言葉かもしれません。
でも、そのソースってどこ?って話です。
発信源というか、情報源って、他人ですよね。
その他人はじゃあ一体どこから仕入れたんだって話です。
別に他人の言葉が悪いわけでも価値無いわけでも嘘なわけでも無いけど、
私はIQが低いし、他人の言葉を自分事のように理解も共感も出来る能力に欠けているから、それじゃ分からないし、面白さも分からない。
(私は、です。理解出来て感激出来る人は読み解く能力が高い人には「どゆこと?」て感じだとは思うのですがすんまそん)
ありがたい情報や言葉はこの世に溢れているけど、
本当に人生を面白くさせてくれるのは、
自分が本気で生きた現場で起こったことだから、
やっぱこれからも自分に誠実に生きていきてえよなあって、
しみじみ思っています。

これからも、私は自分って何なのか、本当に存在してるのかよく分からないような気持ちになることが、
混乱することがあると思います。
そんな時に、誰かの言葉ではなく、今日自分の人生という現場で確かに感じたこの感覚を思い出したいなと思います。
自分が自分の人生という現場で、まじになって生きていった先に、
何が待っているかは分からないけど、
その待ち受けているものを愛だとか神だとかでは無く、
自分なりの言葉で表現出来る日が来たら、
まじで私の人生クソ最高だなって、生きててまじで良かったじゃん、って思えると思います。
てことで、1週間で(個人的に)1番最強になれる日、土曜日を楽しみましょうぞ。

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