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寂しさと空虚感について考えていた。

ずっと幼い頃から寂しさや空虚感みたいな感覚があって、私は誰からも必要とされていないんじゃないかと思って恐ろしかった。


今は昔よりマシになったが、必要とされなければ生きていてはいけないと思っていた。



いや、今もまだそういう風に思う時がある。



親の望むいい子な自分でいなければ、捨てられる。


酷く怒られるか

捨てられるか


自分の本心とは別で親の望む自分を演じ続けなければ、死んでしまうと思っていた。



実際には親は私を怒りはしても捨てはせず、育ててくれたけども。


それに、今の私は子供じゃないから、例え親に捨てられたとしても生きていけるのに。



因みに、毒親なんて言葉があるが、私は両親の事を毒親とは思ってはいない。


今になってだが、あの頃の生活環境を振り返れば、そうなっても仕方がないと納得出来る部分もあるからだ。


それは私自身が親になったから分かった事なのかもしれない。



アダルトチルドレンで共依存。

他者肯定がないと生きていけない。

自分の心を殺す事に慣れ過ぎていて、本心になかなか気が付けない。


本心とはかけ離れたことをするから、自分の生きている意味を感じられないし、自分には価値がないと感じるし、いつまでも満たされずに空虚のまま。



寂しさや空虚感を埋める為に、必要とされる事に命懸けになって、自分で自分の寿命を削っている。



前よりも状態がマシになったと思ったら、また依存が酷くなるの繰り返し。


抜け出せない。


延々に回り続けるメリーゴーランドみたいだ。



調子が良い時は1人でも平気なのに、やりたい事も出来るのに、寂しさに支配されたら、地獄の始まり。



必死で耐えて耐えて耐えて。


寂しさから逃げ切って眠りにつけたら私の勝ち。



必死で耐えても寂しさに飲み込まれたら、誰かに必要とされないと居られない。


嘘でもいいから、愛されたいと思ってしまう。


そもそも、愛が何かも分からないのに、愛されたいと望むこと自体が間違えてるのかもしれないけど。



私が差し出せる物は全て差し出すから、その代償に愛をください。


その愛が偽物でも本物でもどちらでも良くて、ただ必要として、私が生きていてもいい存在だと認めてと望んでしまうのを止められなくなってしまう。



結局、寂しさも空虚感も私の中の問題で、誰かに何かをされて満たされるものでは無いのにね。
一時的には満たされるのかもしれないが。



自分で自分を愛せれば、インナーチャイルドとちゃんと繋がれたら、他人に求めることも減るんだろうか?



私のインナーチャイルドは今何を思い感じているんだろう?



過去に置き去りにしたあなたを遅くなったけど、ずっと探しているよ。



寂しかったら抱きしめるし、して欲しかったこと、やりたかった事、我慢してた事、沢山一緒にやって行こう。



そしたら、寂しさも空虚感も少しはマシになって行くと思うんだ。



先ずは手を繋ごうか。


そして、一緒に眠ろう。


皆様も優しい夢が見れますように。


おやすみなさい。

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