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《実質》を包む《外装》について;《封》以外の重要部分 (街で★深読み)

下記エッセイ「封を切ろうが中身は変わらず」に、

《モノの価値》は、《実質》部分と《外装》部分から構成されており、どちらにどれくらい重きを置くかは、個人差もあるが、文化による差もある。

てなことを書きました。

ただ、《外装》部分については、「封を切ってあるかどうか」という点にフォーカスし過ぎましたね。
例として挙げたのも、新築住宅、新車、初婚、釘やネジのパッケージなど、「まだ封を切っていないものの価値を重んじる」文化でした。

でも、《実質》を覆っている《外装》には、それ以外に重きを占める要素があります。忘れないうちに書いておきます。
ちょっと遠回りですが、実体験でのやりとりから始めます。

2019年の春に、三重県答志島にワカメ漁のお手伝いプロジェクトに参加しました。刈り取ったワカメをじゃぶじゃぶ洗い、塩に漬け、切りそろえる、かなりの重労働です。

愉しみはもちろん、作業後に漁師小屋に集まっての酒盛りです。
その時に、ボランティアの中で家電メーカーのOBが、自動車メーカーOBに質問しました。
「家電品は機能がどんどん上がっていくのに、値段は上げられらない。それどころか、下がっていったりする。でも、自動車はそうじゃない。何が違うんでしょうか?」
自動車メーカーOBはうーん、と唸っていました。

実はこれ、私の《大道芸》講義で学生に出す質問、
「自動車という消費財の特徴を3つ挙げなさい」
とリンクするのです。
学生からの正答率が「最も低い」のが、家電メーカーOB氏の質問に対する答えでもあります。

「冷蔵庫や洗濯機を背中にかついで外を走り回る人はあまりいませんよね。家電品の多くは自宅で使うモノです。一方、自動車は、ほぼ100%、家の外で、《道路》という公共の場で使うモノなんです」
そう言うと、察しのいいひとりが、
「なるほど。家電品はほぼ《機能》だけで買うけど、自動車は《見栄え》の要素がかなりある、ということですね」
だから、デザインの部分にお金を使う、という要素が加わるんだな、というような話が続きました。
しかし、実は、デザインだけではありません。

例えば、レクサスのESと、トヨタのカムリとは、車体もエンジン・モーターも共通であり、《走る機能》ではほとんど同じなのに大きな価格差がある、という話があります。
その差は、両者間の内装(電動シートや静粛性など、内装的な機能を含みます)とレクサスの《エンブレム》の価値によって生じるものだ、と言われています。

冒頭で《価値》を分離した《実質》と《外装》に関してですが、内装を含む《デザイン》は《実質》に含めていいのではないか、と思います。言葉の遊びのようですが、外装デザインも、《外装》ではなく、《実質》に含めていいと思っています。
「おかしいだろ!」
と詰め寄る人がいるかもしれませんが、車体の形状は燃費に影響しますし、塗装や窓ガラスは、その色を含め、夏場など車内の温度に影響し、エアコン使用を介して、結果的に実燃費を左右します。

でも、レクサスの《エンブレム》は違います。ほぼ純粋な《外装》部分です。
人は、《機能》にはまったく影響しない、《ブランド》に《価値》を置き、お金を払うのです。

グッチのバッグもロレックスの時計も、《ブランド》部分に大きな《価値》を置く人が一定数いるので、高価でも売れます。

私個人が《価値》をおくのはほぼほぼ《実質》のみですが、《実質》部分が信頼できる、という観点で、いくつかの《ブランド》にいくらかの《価値》をおくことはあります。

個人の嗜好はさておき、「封を切ろうが中身は変わらず」で話題とした《循環型経済》の観点からはどうでしょうか。
メルカリをチェックすればわかりますが、ブランド品は中古でもしっかり市場があり、どの国でもそれなりに《価値》が維持されます
同じ《外装》部分でも、《封》とは異なり、《循環型経済》上はけっこう優等生なのです。

もっとも私個人は、高価そうな時計を見せられても反応せず、張り合いのないヤツ、あるいは嫌なヤツだと思われているかもしれません。
単に、よくわからないだけなんですけど。

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