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錦を飾りたかった

母校に行ってきた。
3年ぶりのことだった。
名目としては私が所属していた生徒会執行部からの「文化祭準備に関する詳細な説明をしに来てほしい」との依頼があってのものだった。
私は卒業以来学校に行っていなかったということもあり、快諾した。

しかし大きな問題があった。私は閉鎖病棟に入院中の身であったのだ。
母校を訪ねるには外泊をしなければならない。それを主治医が認めてくれるかという壁があった。
思い切って
「母校に呼ばれたので行ってきたいんです。お願いします」
と頼んでみた。
すると主治医は
「行きたいんだね、分かったよ」
と驚くほどに容易に許可してくれた。
とても嬉しかった。
それからというもの、どんな服を着て行こうか、どんなメイクをして行こうか毎日毎日ワクワクしながら過ごした。

外泊の日程はこうだった。
二泊三日で、一日目に美容院と眉毛サロンに行き自分を整え、二日目に学校に行く、三日目に知人と会って帰院するという流れだ。

ついに外泊の当日になった。
心が舞い上がっていた私は4:30に目が覚めてメイクをしていた。
そして朝食を食べ迎えが来るのを待った。
迎えがやってきたので手続きを済ませ病院の外へ出た。外の空気が私の体を貫いて陽の光が私をさんさんと照らした。
帰り道にケンタッキーに寄り月見バーガーを買った。久しくジャンクフードを食べていなかった私にとってとても甘美な味わいだった。
そしていよいよ待ちわびた美容院と眉毛サロンに行った。髪の毛は伸び放題に伸びてカラーも色落ちし汚い茶髪になっていた。それをきれいに切りそろえてもらい、カラーはネイビーブルーを入れてもらった。眉毛も伸び切っていたためきれいな形に整えてもらった。すると野暮ったかった私の姿がなんだか凛とした大人の女性になったように感じられて足取りが軽くなった。
明日の母校訪問がより一層楽しみになった。


母校へ行く日になった。私は高まる気持ちと共に緊張もしていた。体調を崩して入院していた自分が普通の元気な高校生たちと関われるのだろうかとか、きっとお世話になっていた先生たちにも会うことになるだろうが今の私について言及されたらなんと答えようとか、、そんな思いも飛び交っていた。しかしくよくよ悩んでいてはいけない、そう思い家を後にした。

車窓が懐かしかった。
田舎の方の学校だったため広がる田んぼや畑、それら全てが懐かしくてしみじみとした思いで見つめていた。
「次は〇〇〜〇〇〜お出口は左側です」
車内アナウンスがかかった。
いよいよだ、という思いで立ち上がるとスキップするような足取りで電車を降りた。

電車を降りた後の空気の匂いもまた懐かしかった。自然豊かな森の香り。
しみじみとそれを感じていると
「お、先輩!」
と声がかかった。
2個下の後輩だ。彼もまた生徒会執行部への指導のために呼ばれ、私と駅で待ち合わせをしていたのだ。
彼とともに学校への道を歩く。何百回と通った道だ。予鈴が鳴って遅刻しそうになりながらこの急な坂道を自転車で息を切らせながら足を震わせながら登った記憶が思い出される。なぜあんなに毎日遅刻しそうだったのだろうと振り返っては笑ってしまう。
他愛もない会話をしながら歩いていたらもう校舎の前に着いてしまった。
心がふわりと浮く感覚がした。ずっとずっとここに戻ってきたかった、戻ってこれて良かったそんな思いが溢れた。

校舎の中はコロナ対策の検温カメラと消毒液が置いてある以外特に変わりはなかった。
私達は生徒会室を訪ねた。そこには現生徒会長がいて私達を出迎えてくれた。生徒会室は少しこざっぱりしたように見えた。古い大きな印刷機が撤去されて小型の印刷機に変わったのだ。自分たちが使っていた古い印刷機が無くなったことに一抹の寂しさを覚えつつも生徒会は新たな道を歩んでいるんだという事実に気づき嬉しくもなった。
生徒会長と話しているうちにだんだんと他の生徒会執行部メンバーも集まり始め文化祭準備に関する指南をした。
当日に実施するキャンパスツアーの模擬ツアーをするべく学校の敷地内を一周歩いた。全てが私の心に残された学校の風景と重なり”この場所に戻って来れたこと”を心の底から嬉しく思った。と同時に新しくできた建物や取り壊されてしまった部室棟の跡地を見ると”もうここは私のよく知る場所ではない”といった寂しさにも襲われる。感情が上下左右に揺れていた。

一通りの指南を終えた私は
「ちょっと行ってくる」
と後輩たちに声をかけ職員室に向かった。元担任と会うために。
この元担任は私が高校2年生と3年生の時の担任だった。私が精神を病み始めた時から私を見ていた人物だ。私の不調を心配し声をよくかけてくれた優しい存在であり、私も先生を頼って相談をすることもあった。伝わったかは分からないが相談の最中に腕を切る仕草をして”これをやってしまうんです”と打ち明けた唯一の存在でもあった。それほどに信頼している先生なのだ。
数分後私の足は数学科教員室の前にあった。恐る恐る扉を開く。すると見つけた。見るだけで安心して泣き出しそうになるあの先生の姿を。私は口を開く。息を吸う。
「先生」
それだけ言うだけで私はいっぱいいっぱいだった。
先生はふとした表情でこちらを見る。
二人の間の時間が一瞬止まったような気がした。卒業以来の3年分の時間がこの一瞬に全て詰まっているような感覚がした。
「ああ!〇〇!!お久しぶりです!!」
私の名前をすぐに呼んでくれた。3年も経って化粧もして制服も着ていないのに私だとすぐに分かってくれたことに感動を覚えた。
「先生、ご無沙汰しております」
私は心躍る思いで言った。
「今日は生徒会のことで来てくれているんですよね」
と先生は尋ねる。
「はい、文化祭に関する指南をしに来ました」
「そうですか。生徒会のことよろしくお願いしますね。ところで、学部を変えたということも聞きましたしどうですか?」
「そうですね、理学部にいた時よりも学んでいる内容が自分の肌にあっているように感じられて前向きに頑張れています。研究室配属もあり本格的に色んなことが進んでいくなと感じています」
実際は休学中で”前向きに頑張れている”なんて嘘でしかないけれど私は虚勢を張るしかなかった。先生に情けない姿を見せたくなかったのだ。虚勢を張る自分が痛々しかった。『精神を病んで休学していてこの先どうしたらいいのか分からないです』と昔のように弱音を吐いて相談したかった。でも、もう私は先生の生徒ではないのだ。一線を引いた立場でいなければ、その悲しい理性が私と先生との距離を開かせた。
「私はあなたが選んだ進路選択は皆が学ぶべきものがあると思っています。私自身まだ詳しい話を聞けていないし是非話をしにまた来てくれませんか?」
と先生は温かく言った。ああ、先生は今の私がどうしているかではなく、私全体を見た上で評価をしてくれているのだ。いつも現在の自分をピンポイントで評価して落ち込んでいる自分にとって新鮮な感覚だった。
「もちろんです。いつでも話しに来ます」
と笑顔で答えた。
「じゃあ、元気に過ごしてくださいね」
そう言うと先生は教員室の奥へと戻っていった。
私の心はじんわりとほどけていた。


次に私が立っていたのは校長室の前だった。校長先生は私にとって恩師だった。数学が苦手だった私が理学部に進学を決めたのも恩師あってのことだった。
ノックをする。
「はい」
と懐かしい声がする。
「失礼します」
とドアから顔を覗かせる。
「おお、〇〇か!よく来たな!!座れ座れ!!」
と昔と変わらない若干強引な口調で私を校長室の重厚なソファーに座らせた。
「で、お前は今何してんだ?」
一番聞かれたくない質問が一番最初に飛んできた。『閉鎖病棟に入院しています』なんて言えない。けれど恩師に嘘はつきたくない。思考を懸命に巡らせた。
「休学中です。人生を、見つめ直しています」
思考を巡りに巡らせた結果出た回答だった。
「ほお、そうか。何をして人生を見つめ直しているんだ?ほら色々あるだろ、アルバイトをするとかさ」
なんと答えたらいいのか分からなかった。ひたすら私は休んでいるだけだからだ。アルバイトも最近はロクにしていない。しかしこれ以上恩師に”何もしていない奴”と思われたくなかった。
「将来、教員になりたいので塾講師のアルバイトをして教育について学んでいます」
と虚勢を張った答えをしてしまった。本当だったら『人生に迷っていてどうしたらいいのか分からないんです』と言って泣きつきたかった。でも私の安いプライドがそれを許さなかった。
「そうか、教員ね」
それから教員になるための色々な知識を先生は授けてくれた。
「ありがとうございました」
「おう、また来いよ」
そうして私は校長室を後にした。
私の心には淀みがあった。本当のことを話せていたらきっとこの淀みは無かったのだろうか。分からない。でも、いつかきっと、本当のことを話したい、そう思い皆がいる生徒会室へと戻った。

生徒会室では皆が談笑していた。私もそれに加わりつつ
「よし!みんなでご飯食べに行こう!!」
と景気良く誘った。

校舎から出ると秋の風が吹いていた。そしてその風は私の背中を押してくれているようだった。

『また来よう。次は錦を飾れるようになって』








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