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シロクマ文芸部

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記事一覧

【短編小説】散らす

【短編小説】散らす

   散らす

 白い靴を履いて、港で人を待っている。

 いろいろなものが集まってくる。人の往来が多いから。いいものも悪いものもいっぱいある。ガラスの靴もそう。昔読んだ本でお姫様が履いていたやつ。でもいやなものもある。例えば暴力。海の音と匂いに混じって人を殴る音と血の匂いがする。錆びた鉄の箱が捨てられていて、そこに人が寄りかかっている。彼は白い粉がほしいと云う。白い粉は海の向こうからやってくる。

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【短編小説】おなかがすきました

【短編小説】おなかがすきました

   おなかがすきました

 風薫る季節の――とテレビが喋った。小さな食堂でのことだった。奥の厨房がかちゃかちゃとせわしない音を立てる中、私は担々麺を啜っていた。
 この田舎町にはサイゼとか吉野家とか、そういった外食チェーン店なんてほとんどない。車で少し走った先にあるデカい道路の傍にやっとマックがあるくらいだ。だから個人経営の食堂が私たちにとってのサイゼや吉野家である。
「風薫る季節だって」
 中

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【短編小説】私たちのParty

【短編小説】私たちのParty

   私たちのParty

 子どもの日の思い出を作文にしましょうと言われて途方に暮れた。私たち女性陣には兜を飾るとか菖蒲湯に入るとか、そんなイベントは何にもなくて、子どもの日というのはよくある祝日の一つでしかなかった。
 困り果てた仲良し三人組、私とリコとマナの三人は揃いも揃って子どもの日の作文が白紙の予定になっていた。他にどうにもならなかった。沈黙の下校中、不意に口を開いたのはマナだった。

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【短編小説】ヒバリ【春の夢】

【短編小説】ヒバリ【春の夢】

   ヒバリ

 春の夢を見ました。普通、夢の続きなんてなかなか見るものではないのですが、私の春の夢はどうも続きものになっているようなのです。最初、私は見知らぬ女性とベンチに座っていました。桜の花びらが雨のように降り注ぐ中で、私は本を読んでいました。丁度寝る前に読んだ文庫本の続きだったのでよく覚えているのですが、所詮夢は夢ですので、脈絡のないストーリー展開に笑ってしまった記憶があります。女性は私の

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【短編小説】待たない【花吹雪】

【短編小説】待たない【花吹雪】

   待たない

 花吹雪は美しいが私は大変に憂鬱である。
 急激な変化というものは大抵四月の初めに固まっている。進級、進学、就職……。私ももれなくその一人で、最初の頃はニコニコと「分からないことがあったら聞いてね」と振る舞っていた上司も、猫を被るのをやめたところであった。もう慣れてきたよね。車の運転は一年間初心者を名乗れるのに、仕事はそうではないらしい。私はまだ、コピー機の前でソワソワしながら誰

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【短編小説】風車の生垣

【短編小説】風車の生垣

   風車の生垣

 風車が回る家が、悦子おばさんの家だ。住宅街の角を曲がるとすぐにきらきらと輝く風車が目に入る。生垣に飾られたそれはまるで新種の花のようにして私を出迎えてくれるのだ。この田舎町に子供がいっぱいいた頃は、あの風車を持って帰るクソガキもいたらしい。が、当の悦子おばさんは「いいのいいの」と言って新しいのを作っていた。クリアファイルよりもしなやかなプラスチックの板を切って、それをちゃっち

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【短編小説】鯨を描く【変わる時】

【短編小説】鯨を描く【変わる時】

   鯨を描く

 変わる時がある。それは分かっている。ミエコは高校の美術部で一緒になった友人だ。油絵の具の匂いが沈む教室の隅っこでカンバスを塗っている姿が印象的だった。私は彼女のことを友人と言ったが、ろくな会話をしたことはなく、せいぜい事務連絡を伝える程度だった。彼女は絵を描くとき、常に自分の周囲に何らかの境界線を引いていた。話しかけるなと言われたわけではない。ただ、話しかけてはならないという緊

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【短編小説】三錠【始まりは】

【短編小説】三錠【始まりは】

※作中でODを取り扱っています

   三錠

 始まりは些細なことだった、と歪んだ顔の男が言う。ニュースに出てくる当事者にはいつだってドラマがある。市販薬のODに手を出した切っ掛けは? そんな直球度ストレートな質問に、彼はとても聞き取れない声で答える。うぉんうぉんうぉん、と低い声がのっぺりと響く。
 テロップが、すぐに飛んでくる。彼が何を喋っているのかを教えてくれる。
「色々とストレスがあって、

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【短編小説】小窓【桜色】

【短編小説】小窓【桜色】

 桜色の爪がうらやましかった。私は、常に自分の手を隠しながら彼女に話しかけていた。
 モデルをしているという噂もあった。ハンドクリームとか、マニキュアとか、そういった「手」を専門にするモデルがいるらしい。彼女は「やってみたいなぁ」と言って笑っていた。私は本心から「××ならなれるよ」といった。彼女の手は常に美しく整えられていて、爪も文句なしに綺麗に切られて、やすりがかけられていた。
 私は、常に自分

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【短編小説】墜落【朧月】

【短編小説】墜落【朧月】

   墜落

 朧月みたいだと思った。ちょうど朝飯のベーコンエッグの黄身をつぶしたところだった。丸く膨れた目玉焼きの黄身が、どろりと中身を吐き出しながらしぼんでいく。その輪郭が不安定に揺れる。何か小さな生き物がつぶれて死ぬ様子にも見えた。
 私の食欲はゆっくりと失せた。私はベーコンエッグを見るだけで満足してしまったのだ。皿からむなしく湯気だけが昇っている。泣きたくなる。飯を食うという生物の基本的な

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【短編小説】留年【卒業の】

【短編小説】留年【卒業の】

   留年

 卒業の話が出た。僕は、薄暗い部屋で煌々と輝くディスプレイの前で硬直していた。突然のことだった。Vtuber桜乃ナナはファンに隠れて男と付き合っているとか、その証拠となるLINEのやり取りがスクリーンショットという形で流出したとか、そんなことは一切なかった。むしろ彼女は被害を受けていた側だった。十七歳学生アイドルという設定のVtuberである彼女はグループを組んでいた。その中の一人が

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【超短編小説】思い出【春と風】

【超短編小説】思い出【春と風】

   思い出

 春と風は同時にやってくるんですよ。
 でも、その風が初めて吹き渡る頃、季節は冬です。ほらー、春風ですよー。みんなの大好きな春がやってきますよーとアピールしても誰も気づきません。そういうものです。みんな白鳥が鳴きながら空を飛ぶ様子とか、ちょっと最高気温が上がってきたとか、そういった変化を無視して寒い寒い言うもんですから、春ですよーと教えるのがわたくし、春の精霊の役目です。ですが全く

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【短編小説】閏年生まれの女【閏年】

【短編小説】閏年生まれの女【閏年】

   閏年生まれの女

 閏年生まれの女が、「あたし、十五歳なの」と言ってきた。場の空気は凍り付いた。僕たちは合コンというには少々控えめな食事会をしていて、男三人、女三人の出会いの場を作っていた。
 女側のセッティングをしたのは僕の女友達で、つくなり「ごめん」と言ってきた。僕たちはそれを「遅れて」ごめんの意だと思っていたが、見た目も服の趣味も到底十五歳には見えない老婆がそこにいて、僕は正直倒れそう

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【短編小説】祖母の梅干し【梅の花】

【短編小説】祖母の梅干し【梅の花】

  

   祖母の梅干し

 梅の花が咲くと母が嫌な顔をする。母は祖母の梅干しが嫌いだったからだ。ただただ強烈にしょっぱくて、塩の味しかしないような梅干しよりも、スーパーで売っているやさしい味わいのものの方が好きなのだという。あの、はちみつの甘さで愛想のある梅干しの味は我が家の食卓の定番ではあったが、私はその梅干しでご飯を食べるのはあまり好きではなかった。しかし梅の花が咲くということは実をつける

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