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【短編小説】 物価高

なにやら給料が上がるらしいぞ、という話をロッカールームで聞いた。僕はひさしぶりに幸福な気持ちになった。

ロッカールームで2人の工員がベンチに座って話している。その背中はきれいな孤を描いていた。ここで働いている人のほとんどがあんなふうに猫背になる。長時間、前重心で作業しているからだ。

だいたいの工員が腰の痛みであるとか首の痛みに悩まされている。僕だってそうだ。近頃は首が痛くてしかたがない。暇があれば、首の筋を伸ばしたりと、いろいろな策を施しているつもりだけど、いまいち効果はあげられなかった。この国の政治と同じように。

どうやら足もとの物価高を受けて、すべての社員に一時金として一律15万円を支給するらしい、とも彼らは話していた。ひそひそと。喜ばしい話じゃないか。なのに、どうしてそんなに彼らはひそひそと、そのことを話すのだろう。

僕は15万円の使い途について考えた。

思わぬところでカネをもらえると嬉しい。昨日と今日、2日連続で500円玉を拾った。正門から出てすぐ右にある紺色の自動販売機。おつりが出てくる小銭のポケットのところに。僕は静かに、それを作業着のポケットにしまった。ラッキーだ。幸運だ。しかし明日は小銭のポケットに手をつっこまないようにしよう。ボタンを押すと餌がもらえる実験用のチンパンジーは、餌が出てこなくなってもやたらにボタンを押し続ける。僕はチンパンジーになりたくはなかった。

とはいえ、それが500円玉1枚であっても、15万円であっても、自分の予期せぬところから急出現したお金が自分の財布のなかに入るというのは悪い気がしない。僕はなんてラッキーなのだろう。

それにしても、全社員に一時金として一律15万円を支払うとは、なんて政治的な施作だろう。新型コロナウイルスの流行時に政府が10万円を支給したことを思いだした。自宅にいれば、金をつかうこともない。外食なんてしようもない。それなのにどうして金が入り用になるというのだろう。もちろん、弱い立場にいる人は割を食う。しかしそれは平時であってもそうであるわけで。だとすれば、平時から、弱い立場にいる人の支援をするべきじゃないか。

というわけであの10万円の社会的是非についてはまだまだ議論の余地がある。けれど、あのときの僕もまた、予期せぬところからお金が急出現し、ラッキーを感じていた。それは嘘ではない。僕はあの金で動画撮影用の小型カメラを買った。ギア(小型カメラの装備一式。ハンドル。周辺機器と接続するために必要なコード。SDカード等)を合わせて10万円から少し足が出るくらいの値段だった。僕はそれをamazon.co.jpで購入した。皮肉なものだ。日本政府が支給した金がこうやってアメリカ企業に流出していく。僕たちは日本で、少ない富を奪いあい、得られた富を喜んでアメリカ企業に差し出す。おかしなものだ。


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