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コントロール出来る/出来ないを仕分けする


最近の私自身に起きた出来事です。



食事の後、私は食器を洗っていました。
ふとアシベさんを見てみると、横になってテレビを観ています。

「アシベさん、テーブル拭いてもらえると嬉しい」
声をかけました。

「はーい」
アシベさんはすぐに返事をします。


さて、私が食器を洗い終わってテーブルを見てみると、明らかにまだ拭かれていないことが分かります。

私はアシベさんに再度声をかけるのも面倒になり、ため息をついてテーブルを拭きました。



なんてことのない、日常よくある風景です。

この時の私は「何ですぐにやってくれないんだろう?」とプチ不満状態。

そして、このような小さな不満が溜まりに溜まった時、あらゆる現象で「なんでアシベさんは〜出来ないんだろう」「なんでアシベさんは〜しようとしないんだろう」という思考が生まるようになり、それは表情や態度に表れます。


結果、喧嘩勃発です。




人間って、どうしてこんなに周りの動きに影響され、動かされ、こころが不安定になるんでしょうか。


自分自身を振り返っても、そしてクライエントと対話していても、共通していることがあります。



それは"人間は自分でコントロール出来ないことに大きな不安を抱く"ということです。


人類がこれまで様々な発明をし、様々な生物を掌握し、ここまでの繁栄を続けてきた要因のひとつはここにあるかもしれません。


つまり、「世界中の"自分にはコントロール出来ないこと"を、どうにかコントロールしようとしてきた」結果が今の人間ということです。

(専ら現代人がコントロールしようとしているのは"死"であり、この究極のコントロール欲が満たされた時、さてどうなるのでしょう。)




他人を変える魔術は無い


社会生活において、最もフラストレーションを溜めやすいのは"他人を変容させる"というコントロール欲です。


私が例に挙げた不満状態も、アシベさんに行動を変えて欲しいという欲を持ったことによって生じています。

つまり私は、「私が今お願いしたことを今(あなたのタイミングではなく私の望むタイミングで)叶えて欲しい」と思っているから、それが叶わない時に不満を持ったのです。


しかしアシベさんからすれば、テーブルを拭くという行為が緊急度の高いことだとは思っていないし、そもそも私の望むタイミングを正確に推し量ることは不可能なわけです。

そして、例え私の望みを聞いたところで、それを実行するかどうかはアシベさんの判断であり、動くのは私ではなくアシベさんです。



不満や怒り、悲しみなどのネガティブな感情が、果たして自分のコントロール出来る範囲内の出来事に対するものなのか?
それともコントロール外の出来事に対してなのか?

これを明確にしておくことが、こころの安定を保つための第一歩となります。



コントロール外のことは、置いておく。
コントロールできる範囲内で、どうにか不満状態を解消する術がないか考える。

これが最も建設的で省エネな、こころの安定への道のりです。


こう考えると、私がアシベさんに持った不満というのも大変に不毛なエネルギーだということが分かります。




コントロールできる範囲内で自分の欲を満たす


私がコントロールできる範囲内で先の不満を抱かないためには、どのような対処法が挙げられるでしょうか。


⑴アシベさんに「水分が乾くと汚れが取れにくくなるから、今テーブル拭いてもらっていい?」と"私の望むタイミングがいつであるか、その根拠は何か"を明確に示す

⑵それでも最終的に動くか動かないか、動くとしてもいつ動くかはアシベさん次第なので、気にせず放っておく


私に出来ることは、せいぜいこれくらいでしょう。



それでもアシベさんが動かなかった場合、私がコントロールできることはなんでしょうか。


⑴テーブルは自分で拭くことに決める
⑵テーブルは拭かないことにする



⑶テーブルを拭いてくれる別のパートナーを探す


私にできることは、これくらいです。




(ちなみに、このコントロール欲が最も課題として浮き上がるのが"教育"です。コントロール欲と教育はスペクトラム上にあり、線引きがとても難しいと感じています。)


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