見出し画像

パンデミックを生み、パンデミックを乗り越えた親子の絆を描いたディストピア小説 Eve Smith 『The Waiting Rooms』

こちらのブログを読んで、Eve Smithの3作目が出ることを知りました。
2020年、パンデミックのさなかに刊行されたデビュー作の『The Waiting Rooms』は、驚くほどパンデミックの状況にシンクロしていたので強く印象に残りました。いまのところ、まだ訳書が出ていないようなので、ここであらためて紹介します。

“Crisis(危機)”の発生

この小説はケイト、リリー、メアリーの三人の女性の視点から交互に語られていく。

まずはイギリスを舞台にしたケイトの章からはじまる。ケイトは人々を死へ誘う仕事をしている。
というと衝撃的だが、殺し屋などではなく、看護師として合法的に働いている。それにはこんな背景がある。

20年前、抗生物質が効かなくなる “Crisis(危機)”が発生し、悪性の結核のパンデミックによって、世界中で多くの人命が失われた。Crisis以降、人類にとって感染症が最大の脅威となった。新型の抗生物質は貴重なものとなり、全員に投与できないため「命を選別する」必要が生じた。

70歳以上の人間は、病気になっても治療されることなく、“The Waiting Rooms” でひたすら死を待たなければならない。末期の痛みを緩和するものも与えられない。
よって、70歳以上の大半は、病気になると "directive" に署名して安楽死を選ぶようになった。つまり、ケイトは安楽死をサポートする仕事をしているのだ。

一方、同じくイギリスに住むリリーは、ケアホームで介護士のアンに手厚く面倒を診てもらう日々を送っているが、まもなく70歳になることに怯えていた。

70歳になると、ちょっとの擦り傷でもそこから感染したらもうおしまいだ。自分が若かった頃、100歳の誕生日を迎えた老人には、女王からお祝いのメッセージが送られていたなんて嘘みたいだ。いまは80代すらめったに見ない。Crisisの時に定められた、悪名高い Medication Law――70歳以上の人間には薬を与えない――に対する抗議活動が盛りあがっているようだが……

現実世界とのシンクロ

と、パンデミック禍にあった現実の世界と妙に似通っている。
人々は感染をおそれ、常にマスクを着用している。ケアホームに面会に行くと、徹底的な消毒や検温がある。

先にも書いたように、この小説は2020年に出版されているが、パンデミックのさなかに書きはじめたわけではないだろう。偶然なのか、それとも準備中だったものを急いで出版したのだろうか。

パンデミックの原因は?

もうひとりの主人公メアリーの章は、Crisisの27年前(おそらく1990年くらいか)からはじまる。オクスフォードの博士課程で研究に勤しむ気鋭の植物学者メアリーは、南アフリカでフィールドワークをしていた。そこでピートという男に出会う。

ピートはメアリーの華々しい経歴を聞いてもさほど感心するようすもなく、自らの話を熱心に語りはじめる。ピートは南アフリカの植物から薬を作るプロジェクトを立ち上げていた。
南アフリカでは、悪性の結核がひそかに蔓延しつつあるらしい。その特効薬を作るために、メアリーの力が必要だと協力を求める。

物語は再びケイトに焦点を当てる。ケイトの母親ペンが75歳で亡くなる。
しかし、ケイトは以前からペンが生みの親ではないことを聞かされていた。かねてからのペンの後押しもあり、これを機に実の母親に会いに行こうと決心する。夫のマークとティーンエイジャーの娘サシャにも計画を打ち明け、実の母親を探しはじめる。

そこからケイトの実の母親探しが主軸となり、ケイト、リリー、メアリーの人生の糸が結びつき、20年前のCrisisへつながっていく。
あの時、いったいなにが起きたのか? 
パンデミックの原因はなんだったのか? 誰のせいなのか?

70歳を超えると治療不可?

パンデミックの描写が現代と重なって物語に引きこまれるが、安楽死についても考えさせられた。

この小説は安楽死の是非を深く考察しているわけではないが、ケイトが死へ誘った老人の家族の苦しみや、Medication Lawへの抗議活動から暴徒と化した人々の姿が印象に残る。

現在の日本でも、安楽死がすぐに合法化されることはないだろうが、老人や働けない人に医療費をかけるのは税金の無駄遣いだという説を耳にすることがある。そう考えると、70歳を超えると治療されず放置される世界を描いたこの小説が、いっそう不気味に、そしてリアルに感じられる。たしか少し前の映画『PLAN 75』も同じような設定だったのではないだろうか。

パンデミックよりも強い親子の絆

このように紹介すると完全なディストピア小説のようだが、いや実際にディストピアを描いているのだが、なによりもっとも心に残るのは、親と子の絆である。

ケイトと実の母親の関係だけではなく、ケイトが自分の娘サシャを見守る姿もていねいに描かれている。さらに、Crisis以前の南アフリカで特効薬を探して奮闘するピートは、自分と母親を捨てて家を出ていった父親に複雑な思いを抱いている。ピートの父親が、アパルトヘイト廃止に尽力した南アフリカ元大統領デクラークの熱心な支援者であったことも、Crisisの際に判明する。そして終盤では、とある親子の因縁が物語を大きく展開させる。

けっして明るい物語ではないけれど、互いを思いやるケイトとサシャの絆、そして場面は少ないながらも、鮮烈に描かれる南アフリカの自然の美しさのため、読後感は意外に爽やかだった。

もうパンデミックは終わったとばかりに、から騒ぎのような浮かれっぷりが目につく今日この頃。実はパンデミックの頃より、いまの方がディストピア化が進行しているのかもしれない。そんなことを心に留めつつ、こんな物語を読んでみるのもいいのではないでしょうか。

この記事が参加している募集

読書感想文

SF小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?