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映画「ザ・ホエール」:痛みを覆うこととシェアすること

一昨日日本に帰国したが、時間を持て余した飛行機の中で、映画のリストに前から見たかったザ・ホエールを見つけて早速見た。予想以上に良い映画だったので、その感想を書きたい。
 


あらすじ

まずは簡単なあらすじである。


チャーリーはオンラインで英語(作文、ライティング)を教えている。彼が自分の妻と娘を捨てて一緒になった同性のパートナー、アランが亡くなったストレスで過食が止まらず、看護師であるその妹リズにときどき面倒を見てもらっている。ある日、彼は自分の死が迫っていることを悟り、置いていった娘エリーと再会し絆を取り戻そうとする。しかしエリーは友達もいない問題児となっており、チャーリーに対しても挑発的な態度を示す。
 


この映画はほとんどが主人公のチャーリーの住む古くて汚いアパートだけを舞台としていて、そこに登場するメインの人物もたった5名なのに、人間の感情の機微の描き方や演技が素晴らしく、物語にぐいぐい引き込まれる。それぞれの登場人物の悲しみ、強さ、弱さ、美しさに惹きつけられ、最後は涙が止まらなくなった。
 
ネタバレにならないように私が受け取った映画のテーマやメッセージをご紹介したい。

痛みを覆うこと


この映画にはメインの登場人物は、チャーリー、リズ(看護師)、エリー(娘)に加えて若い宣教師とトーマスとチャーリーの元妻のメアリーである。トーマスはちょうどチャーリーが心不全の発作を起こしている時にやってきた若い宣教師で、チャーリーを助けようとして、彼やエリー、リズと関わりを持つようになる。
 
この5人、全員深い痛みを抱えている。そしてその痛みを感じないようにしているのだが、それが状況を深刻化させているように見える。
 
たとえばチャーリーは最愛のパートナーを失った激しい痛みを脂っこい食べ物を食べることで忘れようとしている。ピザもフライドチキンも痛み止めなのだ。だが当然、副作用も大きく彼の身体はもう心臓がもたないほど肥大化してしまった。
 
娘のエリーは最愛の父親が自分を捨ててパートナーとの生活を選んだことにひどく傷ついている。だがその痛みを感じないように、怒り反抗的になっているようだ。ただそのせいで母親との関係は悪化し、友達もなく、学校で問題児とみなされている。寂しいのに誰とも繋がれないのだ。
 
若い宣教師のトーマスも、チャーリーを救おうと通う熱心さの背後に彼自身の傷つきと恥がある。
 
あまり細かく書くとネタバレとなるので書かないが、メインの登場人物は皆、痛みを抱えながらそれに覆いをして騙し騙し日々を過ごしているように見える。その覆いは食べ物、アルコール、怒り、人を救済することなどへの依存的な傾向なのだ。
 
依存症の治療で有名なガボール・マテが、依存症のある人に「なぜ依存するのか?」と問うのではなく、「なぜ痛みがあるのか?」と問うことが大事だと語っているが、まさに登場人物のさまざまな依存的な行動やあり方の背後には痛みがある。
 
チャーリーの体を覆う脂肪はその心の中にある鋭い痛みを包む覆いだろうし、エリーの怒りや反抗的な態度は父親に見捨てられた痛みから自分を守る鎧なのだ。そしてその痛み止めのための行為のせいで、状況は深刻化して登場人物たちは当惑し苦しんでいるのである。
 
私がカウンセリングでお目にかかる方にも、深いトラウマを抱えてその痛みを何らかの形で覆ってやり過ごしてきたが、それが破綻してやってきた方がいる。それは飲酒のような明らかな依存である場合もあるが、完璧主義やワーカホリックなどの一見適応的な依存の場合もある。しかしそれもいつか何らかの形で破綻する。
 
私もその痛みを知っているからこそ、トラウマを私の専門の一つと選んだ。だからどの登場人物の苦しみは人ごととは思えないのだ。
 

痛みをシェアすること、正直であること


8年もの間、食べることでパートナーを失う痛みを凌いできたチャーリーは、しかし死期が迫った今エリーに向き合おうとする。それは自分の喪失の痛みと向き合うこと抜きではできない。エリーは亡くなったパートナーと一緒になるために、見捨てられたと感じているからだ。

エリーはチャーリーの命をかけた投げかけに、次第に「みんな大嫌いだ」から、「お父さんなんて嫌い」、そして「お父さんに捨てられて悲しかった」と本音を表現できるようになる。
 
食べることでしっかり自分の傷を隠していたチャーリーが、自分の傷に触れられるようになったのはエリーへの愛があるからだ。そしてエリーが見捨てられた悲しみを表現できるのはチャーリーからの愛を感じられたからだろう。

二人が変化する中で、周りの人も変化していく。
 
ここで大事なことは、痛みに一人で向き合うことなんてできないと言うことだ。関係の中で受けた傷は関係の中でしか癒えることがないからだ。エリーへの愛を表現し、彼女がそれを受け取った時、チャーリーは覆いを手放すことができた。それは単純なハッピーエンディングではなかったが、心が大きく揺すぶられるエンディングであった。
 

まとめ


ザ・ホエールは心の深いところに訴える素晴らしい映画である。ただし誰にでも楽しめる映画ではないだろう。実は私は映画の最初の頃は、彼が心を入れ替えてダイエットと運動に励むことを期待していた。そう言うシンプルな成功の物語を楽しみたいと言う方には重苦しい映画であろう。
 
でも人の心の悲しさ、弱さ、頑なさ、寂しさ、そしてそれでも光輝くもの、お互いを求める心、そういう人の複雑さに興味がある方には是非、お勧めしたい映画である。
 
ちなみにこの物語に寄り添うように進行している、チャーリーの英文学のクラスやエリーのライティングについても書きたいのだが、記事が長くなりすぎた。またの機会に譲りたい。
 


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