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拒絶されるのが怖い

拒絶されるのが怖い。
否定されるのが怖い。
断られるのが怖い。


どうしてこうなったのか。

元々HSP気質だし、人より繊細なのは間違いない。

それに加えて、今回の休職に至った出来事も大きな原因である。
ぼかして書くが、職場のとある人物にとあるお願いを断られたことがその出来事だ。

いや、断られたこと自体は良い。
受ける受けないは相手の自由だし、内容的に受けない可能性を十分考慮した上でのお願いだった。


しかし、その断られ方が問題だった。
世間一般的に見て、不誠実とされる方法を取られた。

そういうことをする人には見えなかった。
断るにしても、社会人としての礼儀を弁えた上での断り方というものがある。
そこから大きく外れた行動だったのだ。

その人は良い人、誠実な人だという認識があったため、その認識とのギャップがあまりにも大きすぎた。

期待しすぎていた私にももちろん非はあるのだが。

そのギャップにより、私の精神は脆くも崩れ落ちた。
人によっては何とも思わないかもしれないが、繊細な私にとってはトラウマとなる出来事だった。


元々の気質に加え、トラウマを植え付けられた。
そのため拒絶されることに非常に弱くなってしまったのだ。


自分は生きてる価値がない。
必要とされていない。
死んだ方がいい人間。

何度も考えた。
何度も何度も。
今もふとした時に思う。
トラウマがフラッシュバックする。

飛躍した思考ということは頭ではわかっている。
しかし、心はそうはいかない。
簡単にダメージを受けてしまうのだ。


拒絶されるのが嫌なら人と関わらなければいい。
お願いをしなければいい。
期待しなければいい。

そう考えることもある。

しかし厄介なことに、人は社会的な生き物だ。
個々の力は弱くとも、集団でコミュニケーションを取り、協力することで繁栄してきた。

そのため、やはり人との繋がりを求めてしまうのだ。
人は一人では生きていけない。
誰かに必要とされたい。

しかし、人と関わるということは否定される可能性もつきまとう。
嫌なジレンマだ。

もちろん全てを肯定することなんてできない。
否定されるにしても、納得のいく答えや誠実な方法を取られるなら全然良い(多少は傷つくが)。はずだ。

けれど今の私は、些細なことでもいとも容易く落ち込んでしまう。
別に、一つのお願いを断られたからって人間性自体を否定しているわけではないのに。

でも私という人間そのものを否定しているように感じてしまう。
拒絶しているように感じてしまう。
考えすぎも良いところだが、そんな馬鹿みたいな考えをぐるぐると巡らせてしまう。反芻してしまう。

本当に面倒くさい。厄介だ。
自分でも嫌になる。


けど逆に、人に肯定された時。共感された時。必要とされた時。
それは嬉しい瞬間でもある。
感受性の強い私なら尚更だ。
人一倍喜びを享受できると思っている。

人に喜んでもらうことは、私の生きがいそのものかもしれない。

傷つくこともあるが、本当は喜んだり楽しんだりする機会の方がずっと多い。
たまに嫌なことがあった時のダメージが大きすぎるだけで、回数で言えば嬉しいことの方が多いのだから。


だからこれからも、大なり小なり人と関わり続けるのだろう。


つい先日も書いたが、いつもnoteで関わってくれる方々には感謝の念に堪えない。


こんな傷つきやすい人間だが、これからもコメント等で関わっていくつもりだ。

こんなこと書いて失礼じゃないかなとか負担じゃないかなとか色々考えはするし、その結果踏みとどまることもあるが。
それはそれで良しとしよう。

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