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女神の名は・・・ part.XVII

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


私の住む地域は、最近晴れ続きで、雨がほとんどありません。

晴れていることは嬉しいのですが、こうも雨が降らない日が続くと、空から降り注ぐ雫が、恋しくて仕方がないです。

晴れも雨も、程よく欲しいと思っているのは、私だけでしょうか。


お久しぶりの更新になりますが、15年間一緒に過ごし逝ってしまった柴犬のお話が、次で最終回となります。

「死」に直面する場面は、どうしても一旦は、記事を作成する手が止まってしまいますね。

ですがあの子に「書き切って誰かに伝える」と約束したので、ここに綴っていきます。



🐕

自分の目の前に立ちはだかる壁は、そのまま乗り越えなければならないと思っていた。

自分自身が、その壁を乗り越えるくらいに深みのある人間になって、崩さずに進まなければならないと思っていた。

でも、あなたが教えてくれたことは違ったよね。

全く想像もしなかった方法で、目の前の壁を越えていった。


”乗り越える”だけがすべてじゃない。

そう行動で示して見せてくれたのが、人間ではない、犬のあなただったね。


「”認知症”も入ってきていると思います。」

家の用事で、一瞬だけフーちゃんを預かってくださった、ペットホテルのスタッフさんがそう教えてくれた。

少し前から、同じ場所を何度もくるくる回ったり、夜中になると鳴いていることが、たびたび起こっていた。

その行動の一連が、はっきりと「認知症」だと分かった時の、安心したような寂しい気持ちは、きっと一生忘れられない。

そうかもしれないと覚悟をしていたのに、いざ現実に直面すると、人間の力ではどうしようもできないことに、打ちひしがれる。

それでも、ずっと「かわいい」「いいこ」と声を出して伝えられることは、今から死にゆくだろうという絶望以上に、彼女を愛している気持ちの方が強いからではないかと思う。


この「認知症」に加え、フーちゃんは完全に目が見えなくなっていたこと、介護が必要になっていたいたことから、ケージ用の固い柵で囲うのではなく、ちょっと丈夫なダンボールを、新しく柵として設置した。

目が見えなくなってから、特に固いものに対して怖がるようになってしまい、より人のいる場所を好むようになった。

私に対しても、体を撫でると、そのお返しに、手のひらを丁寧に舐めてくれる。

「人のいるところにいたい」というフーちゃんの強い気持ちから、あんなことができてしまったのかもしれない。


部屋の中で、人間の通り道と、フーちゃんが寝る布団の間にだけは、特に大きく丈夫なダンボールの壁があった。

その区画以外は、人間も犬も、好きに空間を移動できるようになっていたけれど、どうもこの壁が気に入らないようで、時々壁そのものに向かって牙を立てていた。

「フーちゃんには悪いけれど、こちら側は人間がゆっくりしたいスペースだから…」

母は申し訳なさそうに言いながら、ガムテープでダンボールの強度を補強する一方で、私は寄りかかってきているフーちゃんを撫でていた。

日に日に弱っていく傍ら、日に日に増す「ひっつきたがり」になっていく様に、いつかのモノをいいように破壊しまくっていた”破壊神”の姿が、懐かしく思えてくる。

母がその場から席を外した時、フーちゃんが壁沿いの布団に向かって歩き始めた。

わざわざダンボール壁の隣へ行って、何をするのか検討がつかなかったので、黙って彼女がしようとしていることを見てみた。


ダンボール壁に乗っかっていくように、自分の全体重を壁に委ねて、変形させていっていた。

その動作を何度か繰り返していくと、ダンボール壁は、次第に強度を失い、ある程度負荷がかかった時点で、今度は折れ曲がったり、破損部分がでてきて変形してしまう。

しまいに、ダンボールを敷き倒してしまい、壁は”ダンボールカーペット”に強制的に作り替えられた。

このダンボールカーペットをつくるのは、わずか2~3日の間。

ここのところ、母がダンボール壁を作るのに苦心していた理由がわかった。

「どうして、こんなにすぐに、ダンボールが弱くなっちゃうのかしら…」と言っていたけれど、その壁にお世話になるハズの、当事者ならぬ当事犬が、壁を壊している姿見ると、何とも言えない気持ちになる。


『きらちゃん…』

「どうしたの、フーちゃん。」

フーちゃんは、自分が壊した壁の上を歩いて、人間が通る通路を横切り、すぐそばで寝転がった。

この通路は、よく風が通る気持ちのいい場所で、私とフーちゃんが調子に乗ってその場所に居座ると、家族中から「通路なのだから、どいてくれ」と苦情が出ていた。

風が通る奥まった場所にあることから、彼女と秘密基地ごっこも楽しめる場所だ。

その秘密基地で、フーちゃんは私に言った。


『きらちゃん、かべはね、つぶしてもいいよ。』

「でも、潰しちゃダメじゃん…」

『フーちゃんは、このかべ、いらない。いやだからつぶした。』

「潰さなくったっていいのに…。またお母さんに、怒られちゃうよ?」

『かべはいやだよ。みんなのところにいけないもん。フーちゃん、いいこにしてるよ?かべがあったら、すきなばしょにいけない。だからこわしたの。そんなものいらない。』

「また、壁ができたらどうするつもり?」

『またこわす。フーちゃんは、このかべがきらいだし、いらない。おすなのかべとか、きのかべとか、きらちゃんのかべがすき。フーちゃんは、そのかべがあればいいの。』

私は、自分が行動することに「壁はあるものだ」と認知していた。

壁を壊すことなく、自分を追い込んで「壁より高い人間」になれないと、越えられないし、越えてはいけないと思っていた。

壊すなんて、もってのほかだと思っていたけれど、その「もってのほか」こそが、私に必要なものだった。


誰かに言われるがまま、誰かにされるがまま、私は私を保っていなくては、なにもかもから見捨てられる。

見捨てられるのが嫌なのに、見捨てられてもいいから、壁をぶち破りたいだなんて、果たして口に出して言っていいものか。

これから起こしていく行動が、吉と出るか、凶と出るかは分からない。

それでも確かなことは、壁を「乗り越える」という手段だけではなくて、「壊す」という手段も使っていいことが、私の胸に刻まれた。


本当はとても怖いんだよ?

でも、壁を乗り越えるのはもう疲れたよ。

だから、私はこれから、私がいる位置で、壁を壊して進む方法を見つけて行く。

あるいは、壁の下を上手くくぐって、進んで行くよ。

それを教えてくれたのも、フーちゃんだったよね。


どうなってもいいから、私は壁の向こう側へ行きたいよ…。

そう強く思ったのは、彼女が自然に帰る、数日前のはなし。


…………


彼女の、壁を壊す意志は整った。

だけど、どうしても「どうなってもいい」という部分が、私としては気になるところ。

「どうなってもいい」だなんて、簡単に口にしないで。

私はあなたのことを、どうなってもいいだなんて、思っていないの。

いつも穏やかでいて欲しいし、私がいなくなった後も、たくさんのことにふれて生きていて欲しい。

そうして生かしてくれたのは、きらちゃんでしょう。

だから次は、私が、きらちゃんに生きる力をあげる。

これなら壁はいらないもの。


私に、女神の名をつけた責任を果してもらう。

あなたはあなた一人のものではない、それを…

私の死を以て、伝えるね…。

女神の名は・・・フレイ_



🐕

みなさんからのスキは、いつも笑顔にしてくださいます。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、ペットとのよい夜をお過ごしください。



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