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13 180万円の決意表明。

「家から通える範囲」で「試験内容にデッサンがない」というだけで受験する学校を選び、あくまで記念受験という軽い気持ちで受けていたので、正直本当に合格したらどうするかなんてことは、考えてもいませんでした。

そもそも、この大学のこの学部は業界的にどんな立ち位置なのか。どんなカリキュラムで何を学べるのか。ここを出てみんなどこに就職するのか。年間の学費はいくらかかるのか。自宅から毎日往復5時間もかけて通えるのか。そんな現実的な疑問が次々浮かんでは心に重く積み重なります。

よくよく書類を読みこむと、推薦は基本的に専願前提とみなされるため、入学手付金として初年度の学費全額を支払う必要があり、期間までに入金がないと合格自体がなかったことになる、いわゆる囲い込みシステムでした。

 支払い期限は、1週間。 その額なんと180万円!

そう、私立の美大ってめっちゃ学費高いんです。私立大学でいえば薬学部並み!わたしが第一志望にしていたのは自宅からも通える私立文系だったので、もともと年間100万もかからない予定でした。

美大なんて、お堅い職業の父親にとったら何をするところかもわからないだろうし、親世代に名の通った私立の名門校とくらべりゃ将来だって不透明。そのくせ学費は高いし、たぶん一人暮らし必須だし。そんなところに軽々しく行きたいなんて言っていいのかな。

というか、わたし親にこれまでいくらの教育費をかけて私立の中高一貫進学校に通わせてもらってたのだろうか。今年に入ってからの大学受験のための予備校代だって、模試の受験費用だってバカにならない金額だし。それを無碍にして「受かっちゃったから美大に行きまーす」なんて、そんな博打なこと口にしていいものだろうか。

ひとりじゃ抱えきれないでいたわたしは、一部始終を知っている友達に電話をかけ、美大に受かったことを軽く伝えました。

すると彼女自身、受験を間近に控えて余裕がないはずなのに、自分のことのように喜んで「たとえマグレでも、それもあんたの実力だから。そういう人はどっちを選んでも夢を叶えるよ。」とすべてを肯定し、全力で褒めちぎってくれました。一人でも味方がいるんだって思っただけで、どれだけ救われたか!ありがとう。今でもたまに会って酒を飲むけど、一度も感謝を伝えられてないね。次会った時必ず言います、ほんとありがとう。

次に電話をかけたのは、就活真っ只中にいた元バイトの先輩。地元では名の知れた大学の三年生で、自分も受けようか迷っていた学校だったので、学祭に誘ってくれたり進路相談に乗ってくれたり、みんなの兄貴のような面倒見がいい先輩でした。迷ってることを相談すると、いつもは軽いノリの彼が、いつになく真剣にこう言いました。

「そこそこ勉強できるやつなんか、世の中にはごまんといる。よっぽどの天才じゃなきゃ、なんの役にもたたん。自分の長所をとにかくのばせる場所へ行け。おまえは、今なら間に合うから。」

ときは、就職氷河期のどん底。彼自身、お先真っ暗状態の就活に疲れていたのでしょう。その言葉にはリアルな叫びが詰まっていて、ココロにストンとハマりました。まさに、今ほしかった答えでした。

  美大に行こう。これに賭けよう。

そう決めたわたしは、父に率直な気持ちとこれからどうしたいかをきちんと伝えるために、夜な夜な手紙を書きました。広告を作るという夢を叶えたいこと、実は一年前から美大に行きたかったこと、まさかのまさかで合格したこと、これまでに与えてくれた教育への感謝の気持ち、学費が倍かかってしまうことと下宿になるかもしれないこと。思ったことのすべてをルーズリーフにしたためて、最後にとどめの一言。

 「一生に一度の娘のワガママを許してくれるなら、ここに180万円振り込んでください。」

手紙は翌朝学校に行く前に、出社準備に忙しい父に手渡しました。たぶん父に手紙を渡すのなんて、幼稚園のときの父の日以来だったと思います。内心バクバクしながらも、何食わぬ顔で「これ、手紙書いたから。読んどいてね。」と言い残し、いってきまーすと家を出ました。

  お父さん、なんて言うかな。

寝不足な目をシパシパさせながら、いつもの通学路で見上げた空は、どこまでも高く青く澄み渡っていました。

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