女の朝パート1445


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3月18日金曜日。





今日は花金だと思うと又しても喜び、悲しくなる。
喜びはいつも一瞬で、いつも膨らみ、
悲しみはいつも長く、いつも後をひく。
どうせひくのだったら、
それと向き合いながら後退りし、
時に頭を降り、時に両手を拡げ、
守るべきもの達の盾になりながらとかなど、いつの頃からか自分勝手に想っている。
しかしそれが正しいのか間違いなのかが解らない。
解らない割には、誰かに聞いたり、ネット検索したりして、文字通り矛をおさめることもしない。
しない訳は簡単。出来ないから。
つけ加えるならばおさめる矛はなく、訳も必要がないから。

それなのに今日も私は、

赤い果実さくらんぼのようになって仕舞っている。それは、夏目漱石の小説の、書き出し、

吾が輩は猫である、のように。






とりあえず目は後ろにはない。
尋常でないプレッシャーと責任と背徳感を背中で感じながら、
喜びのない悲しみだけを独りぼっちで、
私のフチ子は受け入れようとしているわけである。
パシャリ。
あっ、私らが一人ぼっちだから、そうなってしまったのだろうか?
とりあえず、
今は、ムーンウォークしているような気持ちで、
ここにに座っている。
訳は身体が思うように動かないから。

とりあえず万が一にでも前から大きくて強いものにでも襲われたならば、
私を含め、その全てがその瞬間に終わって仕舞うことは確かである模様。





が、しかし、いつも私は遊ばれる。
都合がよいのだろうきっと。
熟しているようで熟してないから。
私もここは新しいし、嬉しいから。

とりあえず、ユーミンの名曲『春よ、来い』
淡き光立つ俄か雨
愛し面影の沈丁花が
溢るる涙から蕾から
一つ一つ香り始める
それはそれは空を越えて迎えにくると、
私は一人、歌歌う。
訳は練習。からとおけカラオケの。
そして、春よ来いを、検索ワードに打ち込み、調べて見る。
先ず1994年10月24日にリリースされたことを知る。束の間の喜びここにあり。
えっ!でも秋なの?冬なの!春じゃないの?等と思って仕舞う。
そして又して混乱する。
そして、松任谷由実さんの事は何も調べようともしない自分も知る。







(書く女シリーズ)
(フチ子シリーズ)



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