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世界の美しい瞬間 24

24 あんばい

三条商店街でのクラフトビール祭に参戦してきた。

京都市内にある堀川三条商店街は、新旧がうまく縒り合わさって、シャッターのお店も見掛けず(仮にあっても気付かないくらい)年々盛り上がりを見せている。

三条商店街は、祭ではないときの、普段からの基盤がある気がする。
それぞれのお店が個性を出し合って集合していることで、うちだけ、よそだけ、という感覚ではなく、それとなく協力体制がとられている雰囲気がするのだ。
なので、個性的なショッピングモールみたいな感じだ。わたしなどは、全国展開の画一的なそれらよりは、かなり肌馴染みが良い。

特に、この地ビール祭は凄い。

普段は店の奥に引っ込んでいる店員さんも、店の前で、その店の品とは全く関係のない、でもとても美味しいお酒のお供や、或いはちょっとしたお店が、普段このお手頃価格では食べられない!という設定で、おつまみやお酒を出していたりする。

けっこうな雨降りの中、アーケードのある商店街は、ところに寄っては進むのに苦労しちゃうくらいの盛況っぶりだ。

わたしは京都のクラフトビールも大好きだが、今日でなくても飲めるかも…と悩んだ末に他府県のものを狙いに行った。

いい。地ビール良い。

パンチの効いた苦味と深みから、濃いコクのあるコーヒーを思わせる黒ビール、あっさり飲めるが市販にはないフルーティーな味わい…とかもう色々。味の云々は飲み歩く途中で酔ってるから「全部おいしかったよ!」でご勘弁を…。
多少高いと思われても、一缶か二缶普段の市販ビールを我慢して、ぜひ地ビールをじっくり飲んでみて下さい。

でも、何より良いなぁ~と感じたのは、ここでは「(昼間から良い大人が)酔っ払ってもいいのだよ~」という、ゆるさだ。

なんでも締め付けがきつければきついほど、そこから逃げ出したくなるし、反抗したり、酷すぎれば反撃してやろうということにもなりかねない。

どんなに緩やかに段階を追って締め付けているつもりでも、度を越せば、必ずそこで何かが起きるものだ。

逆に緩すぎてもどこか楽しめないだろう。極端に言えば、毎日が地ビール祭だと、祭ではなくなる。

だから日本には、塩梅や折り合いをつけるという言葉があるように思う。

昨今少し話題の大学の立て看板規制にも、同じことを、ふと思った。

もし岡本太郎さんみたいなすごい芸術家が看板に絵を描いて立て掛けていたら、そして立て看板だからこそ成り立つ芸術だったらば、どう捉え、どう処置していたんだろうなんて考える。

確かに、内容も受け取り手によっては美しい景観ではないとの意見もある。危険もゼロではないだろう。しかし、排除しすぎた結果、味方の中から敵が現れることもあるものだ。

100%善玉菌だけの環境を作ると、原因は科学で判らないが、何故かその中に悪玉菌が出現するのだそうだ。

互いの人間性を決め付けず、互いの背景を尊重しつつも、元より用意されたステレオやマニュアル通りの応えや行動ではなく、人と人として、腹を少しでも割って話し合うことが、塩梅を見いだす手がかりになればなぁ…と、わたしはよそさんではあるが、故に思う。

何が気に入らなくて、何が怖くて、何ができて、何ができないのか。歩み寄るということが、本当にどこの面からもお互いできないのか。

糾弾し合うだけでは、どちらの側にいてもステージは同じままだ。何一つ進まない。

いずれにせよ、未来の担い手に、譲るべきものは譲り、渡すべきでないものは今のうちに、我々大人と呼ばれる世代が、出来得る限り美しく整理整頓しておきたい。自分で書いておきながら超耳が痛すぎるが、まずは自分のことから。自分の周りから。

そんな大人たちに、今日はゆるく地ビール飲んで楽しもうよ、明日からもまた来年飲んで良いよが開けるようにやってきましょう、というお祭りを企画運営して下さった関係者の皆様、商店街の皆様、商店街近隣の皆様、地ビールを全国から持ってきてくれた皆様、お祭りで楽しんだ参加者の皆様に、最大の感謝を!!!

とても幸せな時間だった!!!

ありがとうございました!

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