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死ぬべき人が生まれた日

「犯人確保」で目覚めた日

 私は何年前かの今日、否、この記事を書いている時点では数日前この世に生を受けた。その事実は大変残念なことであるし、多くの人に申し訳ないと思う。何せ「生まれつき脳に欠陥があって死んだ方が世のためになる人」とまで評される存在なのだから。しかし人と言うのはそう簡単に色々試したとて死ねるものではない。そしてそこでしたり顔で「またメンヘラがかまってくれと命を盾にしているぞッ」と言われても、そちらが言いだしたことなのでどうしようもないことなのである。
 がんのように緩和ケアもなし、海外のように安楽死も無いのだから本気でヘイトスピーチをするならその辺整備案を出してはくれまいか。しかし決まって「なんで俺達・私達が?そんな義理なくない?めんどくさくない?」と逃げを決め込まれるので私はそのような無益な意見はもう私は見ないことにした。非生産的の極みだからである。募る憎悪は雪だるま式に膨らむし、いずれ他のより重篤な「死んだ方が世のためになる人」が何か事を起こすだろう、と決め込む。私は関係ない、関係してもいいことはない。せいぜいが無益な勘違いを持たれるだけである。
 閑話休題。この記事を書いた時点で私は数日前から続く立てこもり事件の報道をニュースで確認しようとした。SATだか何だかの出動要請を行ったか否かというところで寝たので待っていたのである。昨日は倒れた男性が放置、ということになっていたが起きたら女性になっていた。けが人も犯人の家族構成もそもそも犯人がその家に置いてどのポジションなのかもあやふやなまま取りあえず「犯人確保」の文字を見て「はぁ」と思う。
 自分の誕生日が未曽有の大惨事などにならなくてよかった、という「定型に擬態した自分」としての意見と、もう職場のパワハラやネットでのいざこざで疲弊し摩耗した精神で地金が出た「障害が悪化した自分」の「大惨事になっていたら」という浅ましい意見とが交錯していた。
 とりつくろわなくともよいだろう、「俺は・私は二次元と三次元を分けている」と言いつつ自分が関与しなければ「つけびの村」であったりこの前の「土佐市移住」の件だって、何だって下衆の勘繰りで最悪の事態だって想定して見せ、あまつさえ呪いだの地元の陰湿な影の勢力だのにベット、期待してしまう人たちがいるのは紛れもない事実、テレビの向こう側で自分に無害、自分は雲上人ならどう扱っても構わない、そんな方々がいる、というか、いっぱいいいる。そして今回の事件もきっと、「あさま山荘」がトレンド入りした時点でどのくらい籠城するのだろうかとか、銃撃戦とかそういうものを期待した人間はいたかもしれない。

田舎の婆という存在

 結局、犯人は家族経営の農業をしていた長男で、早朝に犬の世話をしに出てきたところを確保されたらしい。犬の種類はジャーマンシェパードと聞いたがそれも本当なのだろうか。ミリタリーファッションでジャーマンシェパードを散歩させていたらしいが、ミリタリーファッションが好きな私はこれから肩身が狭くなる。犬好きであるし、狼好きであるし。ともかく朝の4時に餌をやり、頭を撫でて飼い主は犬の眼前で捕まった。犬はどう思っただろうか。犬に善悪はわかるまい。皮肉にも警察犬とおなじシェパードだ。とにかく「飼い主が連れて行かれる」「飼い主が失われる」ということくらいは理解したかもしれない。だとすると私はやりきれない。
 母親は故意かミスかで逃がした。父親はそもそも家にいなかった。彼が憎んでいたのは事実かどうかもわからない「近隣住民の陰口」だ。そこで一般的な人は思うだろう。
「そんなものは落ちこぼれの被害妄想だ。それが気になるなら働けばいい。何なら病気だったのかもしれない。裁判の精神鑑定できちがい無罪かもしれないぞ」
 などと、安易に、それこそ安直に言うかも知れない。と言うか既に言っている人を数名見かける。
 そんな人は幸いである。田舎の実情を知らない。私の住んでいるところは東京や大阪に比べれば田舎ではあるが、今回の事件の舞台に比べればまだ住宅密集地である。それにもかかわらず、まるで立ちんぼうのように毎日家の前に立って、各々の家から出て来る老若男女を観察し、馴染みの顔の老婆を呼び寄せてはあれやこれやと大声でうわさ話をする馴染みの婆がいるのである。これが1人や2人ではない。歳は違えど数名居る。そして大抵、憶測で物を言う。
 やれあの家の息子は不摂生で早死にする、それは親が甘やかしたからだの、あの家の娘はいつまでたっても定職につかず何をしているのかだの、あの家の息子は県外から帰って来て何か電話(スマホのことである)で何かしているが何をしているのか、だの。お前の生活に1ミクロンも関係ないぞ、と言いたいところであるがその婆はやはり例に漏れず気が強く性根もねじくれているので要らぬ口論を防ぐため近所の若者世帯から厄介者扱いされている。
 実に無能な監視カメラである。子供たちの見守りなどには一向役に立たないくせに、どこそこの行き遅れはどうとか嫁の悪口とかそういうことにはすぐ花が咲く。汚い腐りかけの花が咲く。中にはついに嫁の怒りを買って軟禁された婆もいた。ともかく、婆は立ち話ばかりなのである。そしてきっと、犯人の地域もそのような婆が2,3はいたのではなかろうか。犯人のことを実際話していたかは別として。
 参考として、「明日、私は誰かのカノジョ」(をの ひなお著)の8巻~9巻にまたがる田舎の「誰でも私の生活を知ってる・干渉して来る」という雰囲気描写を挙げておく。リアルなので女子高生の目を通して所謂「ご近所様のことは何でも知っている婆」の厭らしさなどを感じて頂きたい。

 恐らく、婆たちには悪気はないのだ。むしろいいことをしていると思っている婆もいるだろう。だが、お節介なのだ。図々しいのだ。土足で他人の私生活リズムや家庭事情に踏み込んでくる。そして詫びもしない。詮索は辞めてくれと言っても通じない。若者にとって厄介極まりない存在であろう。これは陽キャであろうと陰キャであろうと発達であろうと健常であろうと同じだと思われる。
 そして今回の犯人は、どのような経緯を経てか最初の被害者である婆を
「俺の悪口を言っていた」
 と言う理由で刺し殺してしまう。本当に悪口を言っていたか、或は被害妄想であったか、これは実に厄介な問題である。何故なら、住人達が婆を庇って、あるいは長男を元々疎んじていて
「悪口なんか言ってない、あいつの被害妄想だ」
 と口をそろえて声を大にして言い張れば、例え悪口が本当で長男が正気でも精神鑑定行き、そして世にいる精神疾患当事者があおりを食うのである。
 無論、何らかの理由で元々長男が何かを発症している可能性もある。その場合もどの道世の精神疾患当事者が肩身の狭い思いをするのは間違いない。結局我らに明日はない。その上犯人は自殺を示唆していたというではないか。役満である。私に向けられる世間の目は「殺人鬼」になるに違いない。私の過剰適応は、被害妄想は、加速するだろうか。悪化するだろうか。今繋がっている心ある人々が繋ぎとめてくれるだろうか。
 それとも、ここぞとばかりに突き落とす連中が大挙するだろうか。

息を殺し、己を殺し

 今日知ったことだが、犯人の母親はフラワーアレンジメントだか何かの習い事を自宅や公民館で行っていたそうではないか。その時、長男が「陰口を言われた」と思い込んだ被害者たちも通っていた。いわば母の門下生であった。先程までの言葉と矛盾するが、私は恐らく自室にこもって習い事の時間をやり過ごしていた長男の気持ちがわからなくもない。
 布団をかぶってふて寝すらできない、劣等感と焦燥感と、恐らく老女というのは話の華が大きく開くほど声も大きくなってくる。自分の家族もそうだ。そしてあの家の外観からして、おそらく音は大笑いや大声になるとくぐもっても聞こえるだろう。その中で、自分の名前が出たならば。
 大学中退、居場所がない、同級生や父親と比べられ(次男のことがよくわからないので割愛する)、自分の名前が出て、もしかしたら笑い声も付随していたかもしれない。全然関係のない
「息子ってば、猟友会に入るって言うのよ~」
とか、
「息子ってば、犬とこの前ねぇ~」
という別段こき下ろす内容ではないかもしれないが、布団の中でただひたすら自分の声だけをトリミングして聞いている「彼」にはいかようにもその談笑が恐ろしく醜悪に聞こえただろう。常に自分を貶しているように聞こえただろう。惨めさと、身動きの取れない自分の情けなさと、遂に30という大台を農家手伝い(女性で言えば家事手伝いである)で過ごしてしまったという絶望に。自室で頭を抱え脂汗をかいていたかもしれない。
 私の母の御友人にも全く同じ状況の方がいた。そこにお邪魔したことがあるが、唯一救いであったのは息子さんが「人生を投げていなかった」「こもりきりでなかった」ことである。名前が出たら、堂々と降りて来た。堂々と挨拶をして、堂々と戻っていった。しばらくして社会復帰し、結婚もして今は家庭を築いている。
 犯人も、「俺はここにいるぞッ」と堂々と姿をあらわせられればよかったのかもしれない。しかし、それを許さなかったのは彼のプライドなのか、はたまた議員という父親の立場なのか。単なる臆病さなのか。因みに自分は自分の名前が出なくても自分の事のように感じたら必ず
「私の事ですか?」
「私のこと話してた?」
「何か御用ですか?」
 と尋ねるようにしている。違ったら違ったと言えばいい。自意識過剰と言わば言え。その確認が未来の惨事を防ぐなら安いものだろう。実際こうしている今も、外の隣道で立ち話している近所の若いカップルのひそひそ会話は丸聞こえなのだから。仕事の愚痴が終わったらさっさと帰ってくれ。

被害妄想あるいは陰口は最悪の猛毒

 先刻から何度も繰り返しているが、殺された被害者がどれほど長男について言及していたかはわからないし、否定的であったかも定かではない。
「あの……失礼ですけど、ご長男さんはお元気ですか?」
「今度●●祭りがあるんですけど、ご長男さんもどうですか?」
 くらいの干渉だったかもしれない。何せ議長の妻、習い事の師匠に真っ向正面からマウンティングをかますような人はそうそういないだろうから。
 ただ、例えば農業をしながらの井戸端会議などで
「この前も長男さんは出てこなかったのよ~何してるのかしらねえ」
「猟友会であんな軍隊みたいな格好して、おかしいんじゃないかしら」
「30過ぎて結婚もせずにねえ~うちの息子は……」
 などと母親不在の時に本当に陰口を叩いていたとしたら、そしてそれを犯人が聞いていたとしたら、これは毒蛇に咬まれたも同然である。否、そもそも被害者らが話題の俎上に自分の名を意識せざるを得ない程に出すようになった時点で、疑念という毒蛇に彼は咬まれていた。
 その毒はじぐじぐと執拗に痛みながら、常に身を苛みつつ体中に回る。思考それも猜疑心や妄念を司る部分にまで毒が回るのは早い。そしてそこまで回ればもう後は階段を駆け上がるように事は進む。頭の中で作戦が練られ、対抗策が練られ、証拠集めに奔走し……ある者は本物の証拠を掴んでしまって裁判沙汰になり、ある者は心が耐えきれず病を発症し、同じ心が耐えきれない場合自ら命を失う者もおり、そして最悪なる者は「報復」を企図する。
 その報復も、法的であったり誹謗中傷の言い合いや農機具等の物的なものの破壊行為ならまだ穏やかなほうである。本当に、「妄念」という毒が猜疑に回り更に「怨念」に変化した人間は、躊躇いなく「直接他害」に手を伸ばす。さもそれが当然のように、スムーズな導線を描くように。もはや生命活動の一環、呼吸のレベルでPDCAサイクルのようなものが組まれ、必要なものが着々と準備され、相手にダメージを与える最悪な方法が導き出される。
そして最後に、それを実行できるか、できないか。その分かれ道になる。
 この世間に繋ぎとめてくれるもの、例えば家族であったり、まだ読みたい漫画であったり、友人(SNS含む)であったり、臆病な心であったり、浅ましい生への執着やなけなしの道徳心が勝れば、その人は実行しない。その代わり、自死を選ぶかもしれないが。
 しかし無敵の人となり、怨念と妄念が世間で生きる事に勝ってしまった「かすがいのない人」は、容赦なく「報復」を行う。今回の犯人のように。

 私と今回の犯人とは、鏡写しであった。陰口と言う憎悪の対象に精神を削られ、現実にそのターゲットが目の前にいて、しょっちゅう顔を合わせ、いつでもやろうと思えばやれた(念のためいうが、SNSで知り合ったお歴々のことではない。個人的なことである。邪推は結構)。猛毒で脳は完全に狂い目は潰れた状態だった。そしてブレーキはいつの間にか完全に破壊され、坂道を車が滑っていくように私や犯人は武器に手を伸ばした。色々思案した。自分の場合であれば遺書替わりのエンディングノートを書いた。医師に見せた色々なものを様々な箇所に保存し、物理媒体にも保存した。そしていつでも、「無敵の人になれる」ように自分を追いこんでいた。周りもよく追い込んでくれた。K係長とF専門官には感謝しかない。2年連続で自分の所属から自殺者が出なかったことを私に感謝していただきたいものだ。
 しかし、自分が結局選んだのは逃走と自害であった。私を探しに来た家族の顔を見ると、もう死ぬべきと言う言葉がリフレインされて私は割腹した。それからも数度割腹癖が続き、現在は休職している。私はいつもこうだ。結局恐ろしくて、実行できない。その代わりに、自分をいつまでも傷つける。翌日目覚めないことを信じて。

死んだ方がいい人間が生まれた日

 私ができなかったことを、犯人はやってのけた。しかしその家族は、犬はどうなるだろう。どなたかが言いそうな「陰湿な片田舎」ならば、到底住み続けられるものではない。引っ越しはやむなしであろう。父親は議員辞職、母親は考えたくもない。次男以降については不明だが。
 もし私が某氏の「死んだ方が世のためになる人」という猛毒と、上司からの「あなたの存在が迷惑」という猛毒を両方信じて凶行に及んでいたならば、私の家族はどうなっていただろう。私は誰を襲っただろう。
 上司だっただろうか。それとも親戚だっただろうか。近所の人間だっただろうか。実行できなかった今、それはわからない。ただ家族曰く、私が成功していたならばこの土地にはもう住めないし、母は自殺し、きょうだいは軽度知的障害もあって路頭に迷うだろうということだった。
 私を引き留めたものはなんだったのだろう。戦友だろうか。信仰だろうか。臆病さだろうか。怨恨だろうか。違う、反抗心だ。お前らの言う通りにしたくない、という野犬の心だ。望まない脳と遺伝子の欠陥を受けて生まれてしまった、「因習とか言う存在しない言葉」でくくられがちな伝説の、正しく言うならば「因縁の血」の家の「死ぬべき人間」としての怒りとむかつきと反抗心だ。
 お前らのような人の内面を決めつける人間の言う事なんぞ聞くか。
 そんな奴のためにお縄になってたまるか。
 
そんな怒りだ。私は誕生日、立てこもり犯の素性が明らかになるにつれ
「やはり自分は生まれるべきでなかった」
 と大泣きした。だが今なら言える。
「人の生き死にに『べき』とか言えるなんて何目線だよ!」
「漫画のセリフを引用するなら『感じてない恩なんか返せるか!』!」
「仕事中に出て行くなとか言うくせに、自分はすぐ行方不明になるんですよね!」
「間食も私語もやり放題、その癖ちょっとのミスも陰口叩いて反抗したら拗ねるんだからいい高給取りですよ!」
「お前らみたいな人間のために犯罪者になるなんて、死んでも御免だね!!それならお前らの名前遺書に書いて自殺した方がマシだっつーの!」
泣いて泣いて泣き倒して、狂い倒して生まれ直した。口は悪いままだが相手方も相当だから因果応報だろう。
 死んだ方がいい人間が生まれた。そして生き汚く生きている。私はこれからも生きて行く。それが一番の復讐といやがらせになるから。自殺は面倒だから邪魔だというなら殺しに来い。以上。


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