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「カサンドラだった私から、あなたへ」発達当事者から読んだ『夫と心が通わない』感想②


私は当事者だがカサンドラの気もある

私の父は暴君自閉スペクトラム症

 私は認めたくないが、自分の側にも自閉スペクトラム症等の発達障害があるのと同時に、大変嫌っている(大嫌いである。何故なら感情論的ヒステリーな人が多いから)カサンドラ症候群を傷として負っている節もある。それは私と同じ積極奇異の父親のせいである。積極奇異等の分類については前記事を参照願いたい。

 私の父は言及している通り典型的積極奇異であった。興味関心のあるジャンルは男性らしく「車(大型車)、バイク、野球(巨人)、パソコン、映像及び音響機器、特撮作品、漫画作品(石ノ森章太郎・手塚治虫・横山光輝)、小説作品(平井和正)、お笑い」であった。あとは思い出話。それを熱心に熱心に母や年端もゆかぬ我らきょうだいに繰り返し繰り返し得意げに語っていたのだ。お陰様で我らきょうだいは立派な特撮オタク、平井和正読者になったわけだが、そうでなくともとにかくそのように語っている時の父は饒舌であった。具体的に1つ1つのエピソードを覚えているというわけではないが、とにかく形状記憶が凄まじく、ペンを渡せばそのまま石ノ森章太郎先生の『サイボーグ009』の002(当時の私の推しであった)や横山光輝先生の『バビル二世』を相当な精度で何も見ずに再現して見せた。
 だが、父の欠点は私と同じく併存したADHDであった。不注意ではないが、恐らく多動の方が優勢であった。それは運転や普段のせっかちさに顕著に表れ、運転では典型的にネズミ捕り寸前の猛スピードで飛ばし急停車、前の車がゆっくり安全運転すればぐちぐちと苛立ちを口にし始める。酷い時は
「何やこいつ、ふざけとんかこらぁ」
 と独り言を言う。また、きょうだいが何かのこだわりで
「〇〇に寄りたい」
 とぐずると、途端に予定が乱されたのかカッとなって
「寄れるかや!!ふざけんなよ!!明日仕事なんやぞ!!頭で考えろや!!」
 と罵倒する。
 私が父の部屋でディズニーのプーさんを見ていた頃、まだ1~2歳と記憶しているが、純粋に
「ねーねー早くー」
 程度の急かし方を数回した。しかし父の何かに障ってしまったのだろう。
「喧しい!そんなに言うんなら自分でしろや!!厚かましい奴やな!!」
 ちょっとやそっとの怒鳴り声ではない。張り上げた怒声である。私は泣いたか記憶がない。ただ、父を異様に恐れ憎むようになった。父方の親戚も人格障害者やらが多く母を泣かせたし、元々嫌っていたのだ。人気店などにうっかり入ろうものなら
「いつまで待たせるんぞ!こんなに混んどるんならもう帰るか!」
 と店員に聞こえよがしに言う。私と2人で車に乗っている時に母のことを
「母さんはなあ、昔しょっちゅう遅刻しよったんよ。結婚するんやなかったわ。あ~あ」
 と愚痴る。そして仕事で疲れれば、あからさまに「あ~あ、しんど」「くそが」「はぁ~あ、(よく聞き取れないが罵倒)」と扉を乱暴に締める。不機嫌ハラスメント、モラルハラスメントだ。母など、昔は料理に失敗した時一口食べてしかめ面になるや否やそのまま出て行かれたらしい。私ときょうだいは思春期の頃、本気で父親殺害計画を考えた。

それでも殺せなかった父

 それでも決行に移すことが出来なかったのは、ひとえに我らきょうだいが同時期にいじめのターゲットになり、私は自殺未遂からの不登校、弟は暴行からの骨折という大惨事に陥ってしまったからだ。私自身も自衛のために、今考えると奇矯なことだがゾーリンゲン社の剃刀を持ち歩いていた。そのため、当時在籍していた学校では退学の危機にあった。問題は人を自殺未遂に追い込むような学校教員の暴言といじめなのだが。
 話し合いが終わり、一応休学措置ということでレポートなどを書くことに決まりつつ私はその話し合いの場に父が同席したことを初めて知った。
「父らしいこともするのだなあ」
 と思った。きょうだいが大怪我をした時も、話し合いに出たのだと聞いた。仕事を早引きして、である。あんな暴君が今更、と思ったのは間違いない。ただ、父は父なりに自分の今までの接し方を工夫して試行錯誤しようとしてくれていたように思う。あるいは、それまで薄々言われてきた何かを今になって総括しようとしているように思えた。
 当時私が通っていた心療内科にも来たらしい。私には多く語らなかった、というより私に多くを語らなくなった。無視や冷酷になったのではなく、「普通に」話すようになったのだ。流石に携帯代を使い過ぎてパケ死した時は怒られたが、その時も私の方を極力見ないようにして、ただこんこんと諭すように、怒りを堪えるように丁寧に説明してくれた。きょうだいが家庭内で窃盗を働いた時も、同様だったらしい。流石にきょうだいが母に手を上げた時は殴ったらしいが。
 そして我らきょうだいが障害を認め、三十路になったようやっと今、父は色々手を尽くしてくれている。私が入院した時は聴覚過敏で苦しんでいると、方々駆けずり回って大人用イヤーマフを探してきてくれた。弟は百キロを超える巨漢になってしまったのだが、その巨漢に合うサイズの服を探してくれるのはいつも父親だ。毎朝両親はBSで大谷くんを見るのが日課になっている。
 父は変わったなあ、と思った。仕事が変わったのもあるだろうし、本人が実は甲状腺機能亢進症というやつで過活動になっていた=怒りっぽくなっていたというのもあの過剰な怒りに拍車をかけていたのかもしれない。しかし、私達への接し方や、どうやって瓦解して行く家族を家族という形に戻して行くか、試行錯誤していたのは案外父のような気もするのである。齢30何年にして、カサンドラは解消されたのであった。

笑顔と妥協の夫婦関係

ユーモアと、愛嬌と


 もう一つ、印象深いのは母との関係である。これは『夫と心が通わない』のアコさんとユーマさんと対照的になる関係性なのだが、正直両親の離婚の危機というのは何度もあったのではと今でも被害妄想癖の私は邪推する。私達が生まれる前後に関わらず。特に私が危惧していたのは、両親がアコさんとユーマさんのような「合コン」で成立した「恋愛カップル」ではなくガチガチの「お見合い婚」だったためで、しょっちゅう互いの愚痴を言っていたから。
「お見合いなんて愛のない結婚をしたんだから、いつ別れてもおかしくない!」
 とセーラムーンなどの恋愛至上主義に憧れていた幼子は怯えていたのである。しかし父が70代、母ももうすぐそれに追いつく今現在、まったくもってそれはない。緑の紙や間男間女が出てきたことは(自分の観測範囲では)全く無い。
「母さんはあんなめんどくさい父さんのどこが好きなん」
 とたまに聞くと、決まって母は言うのだ。
「好きとか(笑)まあめんどくさいししつこいけど、面白いやん、お父さん。いっつも面白いこと言うやん。一緒におったら楽しいけんよ。それにここまで連れ添ったら、好きとか嫌いとかそんなんやなくなるんよ。人として締めるとこは締めて、ユーモアがあったらええやん。楽しいやん」
 と笑いながら言うのだ。確かに父は男だが愛嬌があって、というか専門知識と愛嬌だけで「診断なしで世間を渡ってきた自閉スペクトラム症」で、それは今も続いている。きょうだいが大切に残しているおかずを狙っていたり、土壁にくぼみができていたらネズミの置物を置いてみたり、屋根瓦にへこみが出来たら変な色のウレタンをスプレーして「怪獣の卵や!」と家族全員を笑わせて見たり。その素養は自分にも、きょうだいにも伝わっている(自分の場合は短気が打ち消している)。
 我が家が救われたのは、父が生まれつきなのか、或はどこかで学習して身に着けたユーモアセンスのおかげなのだろう。そしてそれはアコさんがユーマさんにどれほど望んでも得られなかったものなのだろう。

「結婚なんて最低限でええんよ」

 私が前述の「どうして別れなかったの」と聞いた時の母の返答だ。父は短気で、父方のきょうだいは軒並み性悪で、母も泣かされたし、正直ゴミだ。アコさんだったらもう秒で離婚してるだろうなーなどと思いつつ、色々ありながらどうしてここまで両親は離婚しなかったのか、私は面と向かって尋ねてみた。すると母は大笑いした後「あのねえ、何回も言ってるけど」と言って
「私はね、最初から決めてたんよ。旦那になる人で許せん人は、『博打をする人』『暴力振るう人』『外に女作る人』『酒クズ』。この4つは許せん。そうでないならもうええわ、って思った。博打うちは金が入って来んやろ?他に女作る女遊び男は帰って来ん。酒クズと暴力はセットみたいなもんやし、酒クズは金もつかうしな。それも考えると、父さんは気分屋でちょっと幼稚やけど、お金稼いでくるし家事もしてくれるし、離婚する程やないよ。『ラブラブカップル』とかやなくて『同居人』でええんよ。長続きしたらええんよ
 と、いつもの答えを返してきた。流石金融関係で支店長レベルまで上り詰めた所謂今でいう「バリキャリ」であり、
「相手が見つからなんだら一生働くつもりやった」
 と豪語していた。そこに「最低限」をクリアしつつ「ユーモア」を携えた父が登場したのである。デートでヒッチコックの『鳥』をセレクトするようなセンスが壊滅的なマイペースな、少しモラハラ気質が入った父親だったが、私が生まれた時は照れ笑いしたし、両親は衝突しつつも、それに私の障害が発覚しても、入院しても、折り合いをつけて話し合いに参加してくれる。常にべったりではなく、イチャイチャでもなく、夫婦インスタに描かれる恐らくアコさんが憧れたであろう「ラブラブ夫婦」とは程遠い形の距離感であっても、両親は互いに妥協して長く続いている。

 否、きっとこの距離感があるからこそ、長く続いているのだ。もっとべったりしようとしていたら、きっと母もカサンドラになっていた。結婚は理想論だけでは実践を伴うことができない。アコさんはユーマさんとの「落としどころ」「妥協点」を探ったのだろうか。「割り切る努力」をしたのだろうか。できていなかった。何せ最初が恋愛だったから。恋愛と言う足枷があったから。割と理想が高い人のようだし。
 割り切っちまえば楽だったろうに、子供が生まれる前に何故期待を辞められなかったんだい。
 あんたも巷で大人気の「恋愛結婚ブーム」の被害者じゃないのかい。
 責めるべきは「生まれ持った脳の欠陥」を持ってしまった旦那じゃなくて、そんな「恋愛至上主義♡」な世の中の風潮と自分の見通しの甘さじゃないのかい。
 なあ。

 あんた、ついこないだ「生まれつき脳に欠陥がある死んだ方が世のためになる人間」って発達障害者・精神障害者を揶揄したアルファツイッタラーに似たようなこと言ってるよ。
 わかってるかい?
 元カサンドラの自分も元発達障害者の自分もびっくりだわ。この漫画読んで、知らないところで旦那さんが死んでなきゃいいね、としか思えない。


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