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涙を流すほど、努力をしたことがあるか?

――ちゃんと結果を出すならば、ちゃんと努力をしなければいけない。たとえ結果が振るわなくても、きっと涙がその日々を確かなものにしてくれる。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「涙を流すほど、努力をしたことがあるか?」というテーマで話していこうと思います。

すっごい煽っているようなテーマになってしまいましたが、今僕が心から言葉にしたい内容なので、お付き合いくださいね。

結論からいえば、「最後に涙を流したら、それは本物の努力だよね」って話です。それを僕の最近の実体験をふまえて、語っていきますね。きっと熱くなっちゃいます(笑)


◆教育実習の最後に涙


僕はよく創作に関する記事を投稿しているんですが、実は教育学部の大学生でもありまして、教育にも興味があるのです。先日まで教育実習に行っていました。中学1年生たちの国語の授業を担当しました。

言うまでもありませんが、実習生が一人で国語の授業を構想することはありません。教科指導の先生がつきます。僕の教科指導を担当してくれた教諭は、教務主任のベテランの先生でした。

本当に丁寧に指導してくださって、毎日のように練り直す授業構想に、書き直す学習指導案にずっと付き合ってくださいました。おかげさまで、最後の授業では確かな手ごたえを感じることができました。


実習最終日、最後に教科指導が行われました。全体にわたる反省と感想を共有する場です。まずはじめに教科指導の先生から講評をいただきました。「本当によく頑張ったね」「すばらしかった」と嬉しい言葉をもらいました。

最後は実習生からの省察と感想を共有して終わることになりました。実は、僕の他にもう一人、同じ学年、同じ教材を担当した同じ学科の子がいるんですが、どちらから先にしゃべるかを決めるために、僕は隣に座る彼女の方をちらりと見ました。

彼女もこちらを見ていて、少し目を光らせながら「ちょっと、ヤバい……」とのこと。僕が先に話すことにしました。教育実習の成果を、言葉を選びながら伝えました。


その後、彼女の番になったわけですが、話し始めから号泣。言葉を詰まらせながら、彼女は自分の人生を物語りました。


小学生の頃から教師になることが夢だったこと、

大学生なって教育学部に来たけど
本当に自分がなっていいのか迷ったこと、

実習を迎えるにあたり不安の方が大きかったこと、

でも最終日を迎えて絶対に教師になりたいと思えたこと。


彼女の物語に胸を打たれて、僕も気が付けば涙していました。同時に、僕自身の実習生活を振り返るきっかけにもなりました。


◆涙を流すほどの努力を


毎晩晩くまで授業の構想を立てて、朝早く起きて、ちゃんと弁当まで作って、出勤して中学生たちと関わって、授業をして、反省をして、改善して……。そんな日々を繰り返していました。

僕の配属学級が学級閉鎖になって、実習生も自宅待機を強いられたときは本当にモチベーションが下がってしまったけど、最後まであきらめなくてよかったなと自分を労わることができました。

ああ、これが努力して報われるってことなんだな。

人生で初めて、そう思えたんですよね。


僕はやりたいことをやって、才能のカケラと運の良さだけで結果を出してきた人間だったので、努力をして結果を出すという経験が皆無に等しかったんですよね。他人からすれば、「それが努力でしょ」と言われることもあったけれど、いや、努力ってそういうことじゃないよなあと否定してきました。

大学受験のときも、9月の模試で第一志望校の合格判定をAとったとき、そこで自分のモチベはピークを迎えて、その後の成績は下り坂。Aとるまでは、どうすれば成績をあげられるかなあとゲーム感覚で向き合っていたと思うんです。Aをとってからは、あ、もうこれでゴール達成かあ、と怠けてしまったのでしょう。


やらなきゃいけないことをやり続けて結果を出すことができなかったのです。


それにちゃんと気付かされたのは、大学2年の春。つまり、今年の3月ですね。僕が以前バイトをしていた焼肉屋でのことです。

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バイトってこっちが申請をしてやるものだけれど、仮にも社会に携わる一員なんだから、やらなきゃいけないことじゃないですか。お客さんに最高のサービスをするという結果を出さなければいけないわけです。でも、僕は努力の仕方を知らないから、上手に仕事をこなすことができなかった。

ミスはするし、改善はされないし、誰かに頼ることもあまりできない。そんな自分を憎んだりもしました。半年は続けたんですが、結局やめることにしました。その旨をオーナーに伝えたとき、結構長い話になりました。そこで、こんなことを言われたんです。

「涙を流すほど、努力したことがあるか?」

僕ははっとしました。

そうだ、僕は努力をしたことがない。頑張って頑張って勝ち取った結果に流す嬉し涙も、頑張って頑張って報われなかった結果に流す悔し涙も、僕は知らなかった。


運動部に所属してれば大会とかがあるから分かりやすいんでしょうけど、生憎僕は文科系にふってしまいました。文化系の部活とはいえやりきることはできるわけですが、ちゃんと努力することはありませんでした。

僕は本当の意味で頑張ったことはないし、その先に待っている涙を知らない。涙の後に、どんな景色が見えるのか、何も分からない。

僕はそこに、自分の人としての未熟さがあると確信しました。


その経験があったからこそ、教育実習でちゃんと努力をしようと思えたし、手応えを感じる授業を展開できたし、最後にその過程を振り返って涙することができました。

涙を流すほど、努力することができたのです。


◆「小説」で努力をしてみる


案の定、熱っぽくなっちゃったし、長くなっちゃいましたが、最後にまとめますね。

教育学部に進学するくらいですから、教職に興味関心があるのはもちろんですが、それよりも高次元にあるのは「創作」です。

絵を描いたり、
音楽をつくったり、
小説を書いたり。

いろんな創作をしてきたけど、涙を流すほどの努力をしたことは今までありません。ただやりたいからやっている。それだけです。


でも、ちゃんと結果を出すならば、ちゃんと努力をしなければいけない。たとえ結果が振るわなくても、きっと涙がその日々を確かなものにしてくれる。

文学賞もそうだし、文学フリマもそう。

結果を確かめられる場所はいくつかあるから、それらに向けてがっつり努力していきたいなあと思いました。そして、涙を流したいなあと思いました。


最後まで読んで下さりありがとうございました。

20220921 横山黎



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