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Polaris


 その男は、絞ったオレンジと何やら色のついていない透明な液体を混ぜて、シェーカーに入れた。氷をブロックで入れて、シャカシャカと振り始めた。
 『Bar.Polaris』———バー・ポラリス。
 今どきあまり見ないネオン管の青色の綺麗な装飾に惹かれて、何となく入った。
 中洲の風俗街から少しそれたところにある、こじゃれたバーだ。古い建物の四階にひっそりと佇んでいる。
 階段で四階まで上がって店に入ると、薄暗い暖色の明かりに包まれた静かでおしゃれな空間が出迎えてくれる。
 ドアがやたら重たい。
 日曜日に超不定期でジャズ喫茶にも変わるらしい。
 不思議な店だ。
「ポラリスって、何なんですか?」
 マスターは黙っている。他のお客さんがいるから静かにしているべきなのだろうか。それとも、作っている間は神経を尖らせている必要があるのだろうか。
 あまりお酒が強くなくバーに通うなんていうおしゃれな趣味が無かった僕は、静かなバーの雰囲気に耐えられず、マスターに話しかけた。
 爽やかに無視され、居心地が悪かったのでポラリス、と携帯で検索してみる。

 ポラリス————北極星。

 地球上で観測できる天体で唯一位置が変化しないもの。
 北極圏の夜空にずーっと同じ位置で光り輝いている。だから、ポラリスは旅人の道しるべになっているようだ。

「違うんだよ、そういうときは男の方の酒を薄くして女の子の方に強めのお酒を入れるの」
 カウンターの奥の方で見習いのバーテンダーが客に絡まれている。

 右側では大学生の男女ペアが果実系のカクテルを二人で飲んでいる。
 不思議な店だ。奥の席では若い高校生ぐらいの男の子と明らかに親ではない四十代ぐらいの男が話している。
「成長の機会というものは、勝手にやって来るから急がなくてもいいよ」
 その男の子は下を向いている。
「一発頭に雷が落ちたような衝撃的な変化なんて、人は自発的に起こせないよ」
 何を話しているのだろうか。聞いている感じ、高校生の男の子が何かに挫折をして、それを慰めるために人生経験豊富なおじさんが何かを諭しているように聞こえる。
「何かに挫折するとか、誰か大切な人を失うとか、今まで自分を守ってくれていた人達からの支えが無くなるとか、そういう時にかなりの痛みを伴って、そこで人は変わるのさ。成長や変化に痛みは付き物なんだよ。傷ついた分だけ人は、大人になっていくのさ」
「……」
 その男の子は黙って下を向いている。全く口を付けていない緑色の飲み物が入ったグラスが汗をかいている。
「子供と大人の違いと言えば、傷ついてきた量の違いでしかないのさ。才能も違う。生まれ育った環境も違う。出会うチャンスの種類や量も違う。大切なことに気づけるような機会がいつ訪れるのかも違う———この世界は間違いなく不平等さ。でも、傷ついて人は大人になっていく。自分の人生に深く向き合うべき時が来ただけなんだよ、君は。そんなに心配しないで。きっと、未来は明るいさ」
「……」
 まだ男の子は黙っている。何があったのだろうか。

 ようやく口を開く気配がして耳を傾けていると、彼は生気の伴っていない掠れた声でこう言った。
「みんな、何が楽しくって生きているのか分からないよ」



 深夜の静けさが心地いいのは、全ての粒子や時間すら止まっているように感じるからだと思う。頬を斬るような寒さだけが風に揺られて自分をすり抜けていく。

———全てが休んでいる。

 時間が止まってしまえば、明日なんて来なければ、私と周りの人達との差はこれ以上開かない。明日何て、こなければいいのに。
 そう願っても静かで冷たい夜は明け、温かい日差しがこの世界を照らし始める。
 あべこべクリームでも塗られているのだろうか、暖かな日差しが私を照らすにつれて私の心は冷たく酷く乾いていく。
 明日なんて、来なければいいのに。

 僕は夜の街が好きだ。
クラブに行けば、同じように社会からはみ出した仲間達が僕を待っている。
だから、ここだけが僕が生きていられる場所なんだと思う。まあ、その分やばい人も多いんだけど。
 頑張らなくてもいい———ただ、その瞬間を楽しんでいればいい。
 そういう雰囲気が僕を包み込んでくれる。
 優しい、暖かな———僕をダメにしていくオーラ。
 行ってはダメだ。ここに来ちゃいけない。そう固く誓っても、夜になれば僕はこの街に繰り出してくる。
 僕は君から電話を受け、いつも根負けしてしまうのだ。

 高層ビルの屋上で、僕はまたパーティーに参加している。
 綺麗な景色が僕の目に映る。たくさんの光の粒が街を包み込んでいる。
 この光の粒が、夜空に浮かぶ星々の光を打ち消している。

 この光の数だけ、人が暮らしている。
 たくさんの人生がある。たくさんの家族の形がある。

 普段気が付かないけれど、こんなにもたくさんの人達が僕の周りで暮らしているのかとびっくりさせられる。
 とても不思議だ。
 こんなにもたくさんの人達に囲まれて暮らしているのに、どうしてこんなにも寂しいんだろう。

あの北極星のように
私を照らす光が欲しいの

夢って何か 人生って何か
誰か教えて欲しいの

憂鬱

助けてお星様
静寂の世界へと私を連れていって
もう何も聞きたくないの

私はもう疲れたの

たくさんの明かりを見て思ったの
どうしてこんなに寂しいの

 マスターがシェイクし終わったカクテルを私の前に置いた。目力が強い。まるで心の奥底まで見透かされているような気がしてくる。
 私は先程さわやかに無視されたことを気にしつつ、何もしゃべらずに黙って差し出されたカクテルを飲んだ。
「ポラリスというのは」
 マスターが話始めた。
「北極星のことなんです」
「さっき、調べました」
「私は昔カナダに留学に行ったことがあります」
「そうなんですか?」
「そこで見たオーロラが綺麗でね」

 この人は一言一言に重みがある。この人に近づいていくにはこのバーの入り口にあるような重たく分厚い扉をひとつづつ開けていかなければいけないような気がしてくる。

「いつ行ったんですか?」
「社会人になってからです」
「えええ」
「会社で酷い仕打ちに遭いましてね。今まで大学まで順当にいっていた人生が全て狂ったんです。いわゆる、うつ病ってやつですか」
「そんなことが」
「そこで、全てを投げうつために私は海外へ出たんです」
「それがカナダ……」
「この世で一番綺麗なものを見て死にたかったんです」
 この世界が残酷で汚いところだからという意味だろうか?
「ただ、オーロラを見に行った帰りにとあるカフェに寄りましてね」
「カフェ?」
「そこで運命的な出会いがあって、私は今こうしてバーをやっているんです」
「そんな経緯が」
「ポラリスになりたかったんです」
「どういうことですか」
 マスターはうつむくと新しい果実と今度は真っ赤な度数の強そうなお酒を用意して新しいカクテルを作り始めた。
「それ、頼んでませんが」
 また爽やかに無視された。
 どうやらこの店は不思議な男によって切り盛りされているらしい。
 今夜何が聞けるのか、楽しみに思いながら一杯目のカクテルをゆっくり飲み干した。






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