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【エッセイ】縁と緑って似てる

 インスタを久しぶりに開いたら、数回ご飯に行ったことある同級生が、結婚式を挙げていた。
 そのストーリーには知っている同級生が何人か参列していた。そこには確かに幸せが存在していて、誰もが笑顔だった。

 そして、私がストーリーで今これを知ったということは、私はこの結婚式に参加していなければ、呼ばれてもいない。

少しだけ、ほんの少しだけ、心がざわついた。


 学生の時に数回ご飯に行ったことがある。ただ、それだけ。
 そりゃ呼ばれないだろうよ。毎日連絡取るような関係で特別にめちゃんこ仲が良かったか、と言われてもそうではない気もする。
 でも「友達」だとは思っていた。これを書くことでその子への当てつけではないかとも思われそうだが、違うことを断言しておく。

私は、ちょっとだけ、強がりたい。

 気軽にご飯に行けるような友達は、学生の頃と比べてグッと減った。「友達」だと思っていた人が、大人になるにつれ、そうでなくなっていく。    
 それもそうなのだ。みんな社会人になって自由な時間が少なくなったし、結婚して家族を作り、そっちに時間を割くこともあるだろう。もうあの頃と比べて、私たちは暇じゃないのだ。

 だからだろうか。最近「縁」について考えることが多い。

 最近知ったが、私は過去に執着する傾向があるようだ。きっと、楽しかったんだと思う。笑い合って、ふざけあって、今が最強だと思っていた。しんどいことも、友達がいたら耐えれていた。環境が変わったところで、この「繋がり」はずっとあると思っていた。

 でも意外にも、それらはあっさりと切れていった。

 「あの頃」はもう戻ってこないのに。
 私たちは今を生きるしかないのに。
 私たちに今あるものは「今」と「未来」なのに。

私はあの頃の「繋がり」を求めている。


 でも。
『切れる縁は切れていく。切れたと思ってもまだ繋がっている縁は、きっとどこかでまた繋がるものだ。』
 どこかで見かけたこの言葉たちに、私は随分と救われた。そう言い聞かせて、生きていく。
 生きていくしかない。

 大丈夫、きっと。

 今ある「縁」も、過去の「縁」も、未来にある「縁」も、私を作る大事なもの。

 だから、大丈夫。

 なくなったわけではない。

 私の中に、ちゃんとあるものだ。

 そうやって、生きていこう。

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