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運命的な本との出会い

大げさな見出しに少し恥ずかしい気もしますが、私にとってはまさに運命的な本との出会いでありました。

それまでの読書体験と言えば、小中高を通して、ほぼ漫画オンリーで、時々アイドル雑誌やオカルト雑誌のページをめくるだけだったように思います。
あっ、忘れていました。エロ本はしっかりと読んでいましたっけ。
毎度、毎度、バカ野郎。

今回、この記事を書くにあたって、昔を振り返ってみたのですが、ほとんど読んだ本のことを思い出せませんでした。自分自身でもほんとうに驚きです。

辛うじて思い出すことと言えば、数冊のえほんと「かわいそうなぞう」、「片足ダチョウのエルフ」という物語だけです。たぶん、どちらも小学校の教科書に載っていたように思います。

漫画以外で、身銭を切って買った本も、矢追純一の「第三の選択」というタイトルの本しか思い浮かびませんでした。

今から振り返ると、なんと貧相な読書体験だと愕然としますが、その当時は、「本なんて、どこがおもしろいねん。本なんかに夢中になっているヤツの気がしれん」と思っていました。

でも、もし、貧相な読書体験のままで大人になっていたとしたら・・・と考えると心底ゾッとします。遅きに失した感はありますが、本を読む楽しさを教えてくれる本に出合えたことは、運命的な出会いだったと思います。

その本との運命的な出会いが訪れることとなったのは、高校生活も残すところあと数ヶ月となった12月頃のことだったと思います。

その日、休み時間にある友達が、教室で何かを読んでいました。それを見た私は、どうせ漫画を読んでるのだろうと思いましたが、軽い気持ちで「何を読んでんねん」とその友達に声をかけたのです。

そうすると、その友達は、読んでいた本の表紙をこちらに向けて、「これ読んでんねん」と返答したのでした。表紙を見た僕は、「なんやそれ、漫画ちゃうやんけ」と少々びっくりしていると、「この作家の本、めちゃ面白いで。お前も読んでみるか」と、友達がすすめてきたのでした。

普段なら、「アホか、そんなもん読むかいな」で終わるはずなのですが、何を血迷ったか、「おう、読んでみるわ」と答えていたのでした。たぶん、次の授業も聞く気はないし、前の授業でよく寝たので、もう寝ることもできないし、暇つぶしにでもなれば良いかと思ったのかもしれません。度し難い。

早速授業中に借りた本を読み始めました。結果から言いますと、最初のほんの数ページを読んだだけで、ドハマりしてしまいました。

その本はノンフィクション系で、国際情勢と日本の外交について書かれていたように思います。あまり覚えていないのですが、世界各国が自国の国益を守るためにシビアな交渉をしているなか、日本だけが生ぬるい外交を行っているといった内容だったと思います。初めて触れる内容に対して、もうワクワクしながらページをめくっていたことを、今でもはっきりと覚えています。

その日は本を借りて帰って、家でもずっと読んでいたように思います。そして、次の日、友達に本を返す時に、「他に本、持ってないか」と尋ねると、新たにその作家の本を貸してくれたのです。その本も面白くて、一時間目から下校の時間がくるまで、もう夢中で読み続けました。

それからその友達からは、後1,2冊ほど借りたと思いますが、自分でもその作家の本が欲しくなり、自宅近くの本屋さんに本を買いに走ったように思います。その後は既存の本を数ヶ月で読んでしまい、新刊が出るのを首を長くして待つという状態でした。

今まで長い間、漫画一辺倒だった自分が、好きな漫画には一切振り向きもせず、ひたすら本を読んでいる姿に自分のことでありながら、驚きを隠せませんでした。

本を読んでいると、時々その作家さんが読んだ本や好きな作家のことが書かれています。そうすると紹介されているその本や作家にも興味がわいてきて、本を購入する。

このことを、本の枝分かれと勝手に命名して、一人悦に入っていたことが、今ではなつかしいです。実際、本の枝分かれはどんどん分かれ、伸びていきました。ジャンルもノンフィクションから、小説、評論、エッセイ、外国作品などにも広がっていきました。

そして、ついに大型書店に足を踏み入れることになったのは、最初の本との出会いから半年ほど過ぎたころだったように思います。

初めて大量の本を目の当たりにした私には、二つの思いが込み上げてきたのでした。それは、これから思う存分、本を読む楽しみを味わえるんだという思いと、「俺って、なんにも知らんやんけ。恥ずかしい」という思いでした。

それから、大型書店にも度々足を運ぶようになりました。一度に1万円分ぐらい「タイトル」だけを見て購入したり、新版??「漱石全集」、定期配本予定のポスターを目撃して、衝動買いしたりしていました。

「漱石全集」を購入したのには、少々訳がありまして。私たちのガキの頃、ちょっと金持ちの友達の家に行くとリビングの書棚に百科事典だか、なんとか全集てなのが、舶来のお酒と共に、よく飾られていましたよね。金持ちの象徴とまでは言い難いのでしょうが、ガキの頃、そんな家に憧れのようなものを感じていました。

それと、読書家たるもの、日本の文豪、夏目漱石の全集くらいは持っておかなければならないという、なんとも訳の分からない理由?見得?から、「漱石全集」を購入したのであります。

さて、大学入学に際して、私は目標の一つとして、一週間に本を一冊以上、必ず読むというのを掲げました。年間52周として52冊、4年間では208冊ですね。決して高い目標ではないとは思いますが、私にとっては十分な挑戦だったように思います。

そして、無事目標を達成することができました。4年間で読んだ本の数は、実際には、目標の倍ぐらいはいっていたように思います。その中には、大学の授業で使う教科書類や教授の推薦図書などを含まれています。

こちらの方は、難しくてほとんど内容を理解していなかったように思います。ただ、読んでいてチンプンカンプンでも、最後まで読むようにしていました。驚いたことに、難しい本でも、二度、三度と丁寧に読み返していると、少しではありますが、不思議と理解できるところが出てくるんですね。その時は、とてもうれしかったです。

ところで、本との運命的な出会いから、自分の行動様式と言いますか、生活パターンと言ったものが、ガラッと変わってしまったことは、自分でも本当に驚きでした。

毎日見ていたテレビでしたが、だんだんと視聴時間が短くなり、大学に通っていた4年間はほとんど見なくなっていました。バイトや付き合いに時間がとられるようになってしまったということもありますが、本を読むようになって、テレビが面白くなくなってしまたということが一番大きかったように思います。

バスや電車などに乗っている時は同然ですが、食堂で飯を食べている時も、酒場で酒をチビチビやっている時も、ずーと本を読んでいる始末でした。

ある時、本を持参するのを忘れて、電車に乗った時のことでした。乗車中、視線をどこに向けていいのかわからず、困惑している自分自身に気づいた時には、「うわぁー、俺、大丈夫か」とあまりの自分の変わりように、少し怖いくらいでした。

また、行きつけの居酒屋さんで飲んでいる時のことでした。その日は、本はカバンの中にありましたが、読まずにいました。店に入って20分くらい経ったときでしょうか。店の大将が、「これ、良かったら読んでください」と、新聞を持ってきてくれたのでした。

私が少し呆気にとられていると、大将が、すかさず「今日は本を読んでいないから・・・本、忘れたのかと思いまして・・・良かったら新聞でも読んでください」とのことでした。

私は苦笑しながらも、大将に礼を言ってその新聞を受け取ったのでした。商売上、客のことを観察するのはごくこぐ当たり前のことだとは思うのですが、大将にとって、私が『本を読むお客』と認識されてていたことが、なんとも気恥ずかしかったですね。


本は、私にたくさんのことを教えてくれました。しかし、ただただ楽しい読書ばかりだったわけではありませんでした。

読んでいる途中に、怒髪天を衝くほどの怒りがこみ上げたり、深い悲しみにとらわれたり、無力感にさいなまれたりすることもしばしばありました。実際、読むに堪えず、途中で投げ出してしまった本が数冊あります。

読書には、時に知ることの痛みや悲しみが伴う。しかし、いかに辛い内容であっても、知らないままでいるよりは、知る方がはるかに大切なことであるということを、私に教えてくれたのは、やはり本でした。

本に興味が持てない人にアドバイスさせてもらうなら、とにかく自分が面白いと思う本を見つけてくださいということですね。

世の中には無数に本があります。まずはどんどん手に取ってみることです。もし、気になって手に取った本でも、面白くなければ読むのを止めて、さっさと別の本を取ればいいのです。一度手に取った本は、最後まで読むべきだといった堅苦しい考え方をする必要はありません。

もう一つだけ。
本との付き合い方に決まり事などないということです。読みたい場所、読みたい時間、読み方等々、読む人の自由であると思います。

繰り返しになりますが、読書に対して身構える必要はありません。

たかが読書です。まずは、気軽に本を手に取ってみてください。

されど読書・・・はその後で。






















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