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『コインロッカー・ベイビーズ』その2(好きな文章・03)

 前回の続きです。今回はミック・ジャガーの名前が出てくるシーンを取りあげます。記事のヘッダーの写真をご覧になり、また美容院の話かとお思いになった方はいらっしゃいませんか? 

 前回は『コインロッカー・ベイビーズ』の主人公の一人であるハシが、ブライアン・ジョーンズが十七歳の時の髪型にする場面がありました。今回は、ハシが、十五歳の時のミック・ジャガーの髪型にする話の文章を読むわけではありません。もっと怖いというか過激な話なのです。

 そんなわけで、今回は残酷な記述があります。ご注意ください。


Moves Like Jagger


Maroon 5 - Moves Like Jagger ft. Christina Aguilera 2010

 有名な曲ですね。リリースされたのが十年以上前ですから、いまとなっては懐かしい。

 いい感じで、あれよあれよしている動画。見事な編集と構成。

 それにしても、オーディションに出てくる人たちの動きと顔芸がすごい。よくぞこれだけの逸材を集めました。「似ている」大好き人間の私は、あれよあれよと見入ってしまい、気がつくと終わっています。

     *

 Moves Like Jagger、ミック・ジャガーのような動き、ミック・ジャガー風の振り。魅力的なタイトルです。

You want the moves like Jagger
I've got the moves like Jagger
I've got the moves, like Jagger

  この like の語源を調べてみると、古英語で「~の体(形)を備えている」とあり、そこから「似ている、等しい」となったとあります(ジーニアス英和辞典)。形容詞の alike もあります。look-alike という名詞だと「そっくりなもの」とか「そっくりさん」という意味になりますね。

 辞書でこういう語義や説明を読むだけでぞくぞく来ます。「似ている」や「そっくり」に目がないのです。

 英和辞典は、日本語で単語の意味が書いてあるのではありません。訳語集なのです。ということは、英語の単語を見出しに、日本語での「似ている」と「そっくり」さんが一堂に会している場と言えます。

 私は英和辞典を読むのが大好きです。詩みたいに読めるのです。このことについては近いうちに記事にします。

ミック・ジャガーの舌


 ところで、このPVが動画が始まってまもなく0:33あたりからミック・ジャガーのインタビューのカットが流れます。ときおり唾で濡れた舌先を出して唇を湿らすところを見るたびに、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』の一シーンを思い出します。「そうか、あの舌が……」と。

 ミック・ジャガーの逸話を真似たハシが舌先を鋏で切断する場面があるのです。講談社文庫の旧版(新装版ではありません)では下巻のp.67からp.69の半分までですから、一シーンとしてはかなり長いのですが、細かな描写と説明が続きます。

     *

 内容が残酷なのにもかかわらず詩的かつ正確な描写の文章です。何度読んだか知れません。読むたびにその描写のうまさに感心して、うなってしまう自分がいます。

 その一部を引用します。残酷なところはカットします(残念ながらカットした部分は多いです)。

 ハシはある実験をしようとしている。昔何かの本で読んだ。ローリングストーンズの本だ。ある偶発的な事故の後、ミック・ジャガーの声が変わった。その事故以来ミック・ジャガーはあの官能的な声を獲得した。その事故をハシは再現しようと思う。まず道具を並べる。(……)
 もう一度舌を伸ばす。目を閉じると体中が舌になったような感じだ。鋏をいっぱいに開いて舌先を挟む。冷たい刃に触れると火傷の痛みが薄れた。小さい頃乳児院でシスターに読んで貰った童話に舌を切られる雀の話があった。(……)
(村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』下・講談社文庫(旧版)pp.67-68・丸括弧による省略は引用者)

 He had a little experiment in his mind. He had read somewhere that Mick Jagger's voice had changed drastically after an accident he'd had, that it was actually only after this accident that he'd developed his peculiar, supersensual voice. Hashi decided to arrange the same sort of accident for himself. First he assembled his tools: [...]
 He stuck his tongue out again. When he shut his eyes he felt that his whole body had become a tongue. Opening the scissors as wide as they would go, he put the tip of his tongue between the blades. The cool metal soothed the burn. Among the stories the nuns had read him when he was a child at the orphanage was one about a sparrow. [...]
(新装版)英文版 コインロッカー・ベイビーズ(講談社インターナショナル)Stephen Snyder訳 pp.261-262

 日本の小説の英訳を読みながら原文の日本語を再現しようとしたことがあります。翻訳家を志していた頃の話です。文章修行のつもりでやっていました。いちばんよくやったのが、『英文版 コインロッカー・ベイビーズ』をつかっての逆翻訳です。

 好きな部分を段落ごとに英語から日本語に訳していって原文と対照するのですが、そのたびに村上龍の描写力に驚嘆して自分の力不足に意気消沈したのを覚えています。

『コインロッカー・ベイビーズ』の文章は私にとって、いまも行き詰まった時に参照する規範であり続けています。読んでいると勇気づけられるのです。文章にはいろいろな仕掛けがあることに気づかせてくれもします。

 みなさんも、お好きな日本の作家の英訳で試してみませんか。一冊まるごとやると大変なので、好きな箇所だけやるのがコツです。大げさな言い方になりますが、言語観や日本語観が変わりますよ。

 たとえば「村上春樹 英訳」みたいに検索すると、英語訳のリストにたどり着けます。

翻訳、似ている、別物


 翻訳という作業は「同じ」ではなく「似ている」を作る行為です。「同じ」ではないという意味では「別物」でもあります。別の言語をもちいるのだから当然です。

 原文と翻訳を対照すると、似ているけどどこか違うなあと感じたり、ときにはまったく別物に感じられることもあります。ある作品の邦訳が複数ある場合には、その翻訳を読み比べると面白いです。

 昔の話ですが、ジェイムズ・M・ケイン作の『郵便配達はいつもベルを二度鳴らす』(または『郵便配達はベルを二度鳴らす』)という邦訳が、田中西二郎訳、田中小実昌訳、中田耕治訳、小鷹信光訳の四種類も楽しめた(四種類の「同じもの」ではなく「似たもの」「別物」が本屋の書棚に並んでいた)時期がありました。

 当時原著なしで日本語訳だけを四種類読み比べましたが、わくわくするような体験でした。若くなければできない冒険だったといまになって思います。

 J・D・サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』(または『九つの物語』)もいくつかの訳本がありました。この作品は野崎孝による邦訳しか読んだことはありません。

 現在は柴田元幸訳もあるのですね。いつか柴田訳を読んでみたいです。

仕草、表情、身振り


 上で挙げた Moves Like Jagger ft. Christina Aguilera の動画では、ミック・ジャガーがなかなかセクシーな表情を見せてくれますね。気になったので、元のインタビュー動画を探してみました。

 以下の動画らしいのですが、タイトルに、1965とあります。私はまだ小学生でした。その息の長い活動に驚かされます。

 あらためてミック・ジャガーのインタビューに見入っていたのですが、ときおり唾で濡れた舌先を出して唇を湿らす表情というか仕草。あれを見ていて既視感を覚え、それが何か思いだせなくて気になりました。

 で、思いだしたのですが、以前に抗うつ剤を服用していた時期に、やたらに喉の渇きを覚えて、よくこんなふうに口を閉じて唾を飲むような仕草をし、口の中を潤していたことがありました。

 いまでもたまにそういう人を実際にあるいはテレビで目にすると、薬の副作用で喉が渇いているのではないか、と要らぬ心配や想像をしてしまうことがあります。

吉田修一の作品に頻出する汗


 この曲について、もう一編の小説を思い出します。吉田修一の『怒り』です。冒頭近くで、鎌倉海岸の特設ビーチハウスで行われるイベントの風景が出てくるのですけど、ダンスフォロアでかかるのがこの曲なのです。

 中央公論社の単行本から引用します。

上半身裸の胸や背中はすでに潮風と汗と砂でベトベトになっており、やはり上半身裸で踊っている男たちの間をすり抜けるたびに体が密着し、相手の汗と体温が伝わってくる。
 曲がマルーン5の「Moves Like Jagger」に代わり、優馬は足を止めた。去年もこのイベントのラスト近くでかかり、盛り上がった曲だった。
(吉田修一著『怒り 上』中央公論社p.38)

 こういう場面を読むと既視感を覚えずにはいられません。この既視感が吉田の書いた小説群の魅力でもあります。似た身振りが頻出するのですが、この点については、この「好きな文章」シリーズで近いうちに取りあげる予定です。

 吉田修一の作品(同一作品内)と作品間(複数の作品)でくり返される身振りのひとつが「汗をかく」です(ちなみに村上龍は「汗を掻く」と表記します)。

 吉田修一の小説では人がやたら汗をかきます。読んでいてかなり頻繁に汗の描写が出てきて目立つのです。

「吉田修一の作品における汗」というテーマで論文が書けそうなくらいです。吉田修一はある時期まで、全部読んでいました。吉田修一論を書こうと思っていたほどです。

 長編では『怒り』と『パレード』、短編集では『熱帯魚』と『女たちは二度遊ぶ』が好きです。

『怒り』は映画化されていますね。映画でも汗が噴き出ます。汗、汗、汗。そして水もよく出てきます。「吉田修一と水」というテーマで長い記事が書けそうです。

痛みをつたえる文章


 話をもどします。

 今回は『コインロッカー・ベイビーズ』を題材にして、村上龍がいかに痛みをつたえる描写が得意なのかを書こうとしたのですが、話が残酷になりすぎる予感がするので、内容を変更します。

 村上龍の文章をいったん離れるという意味です。内容を変更しても話が長くなりそうなので、次回にまわします。

 次回のタイトルは「痛みをつたえる名文」です。

(つづく)

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