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見て見ぬ振りをしたい「いやな」小説ー『彼女は頭が悪いから』を読んでー

姫野カオルコ著『彼女は頭が悪いから』を読んだ。

ひと言で言うと、つくづく『いやな気分』にさせられる小説だった。
この『いやな気分』というのは、文庫版あとがきで著者が用いている言葉だ。

いやな気分。いやな感情。これは、哀しみや残酷さや憎悪とはまたちがう。自分の裡におこっても、おこらなかったことにしたい、気づいても気づかなかったことにしたい、耻の面皰のようなものです。

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もう少しだけ噛み砕いた印象を受けるコメントを著者のインタビュー記事で見つけた。

この小説を書いている間、ずっと嫌な気持ちでした。自分の中の嫌なものを鏡に映されるような気がしたんです。だから、これは“ミラー小説”なんです。鏡で自分のおできを見たら嫌な気持ちになるのに、すごく気になって見てしまう感じと同じです

<姫野カオルコインタビュー> 彼女はなぜ、非難されたのか?


書いている本人が嫌な気持ちになるのに、読む側が嫌な気持ちにならないわけはない。
こんなにいやな気持ちにさせられるのは、おそらくわたしたちの誰しもが物語の登場人物になる可能性をはらんでいるからだ。
主人公の女性(非東大生)にも、東大生の彼らにも。

彼女と彼らは、作中で起こる事件という観点で見れば被害者と加害者でしかなく、どちらかを責めたり擁護したりすることは一見たやすそうに思える。
また、自分はこんな事件は起こさない、巻き込まれないと考えるのも簡単である。
だがそんな明快なメッセージを伝えるために作者はこの話を書いたわけではないはずだ。

「あの人は頭が悪いから話が通じない」
「あの人は頭が悪いから言うことを聞いてくれる」
「わたしは頭が悪いから難しいことは理解できない」
「わたしは頭が悪いから言うことを聞いていた方がいい」

意識下でも無意識下でも、このような思考が頭の中に1ミリも浮かんだことのない人間がどれだけいるだろうか。
反対に「あの人は頭がいいから〇〇だ」「わたしは頭がいいから〇〇だ」でも同様だ。
もちろんこんなに直接的な表現でなくてもいい。

他人を見下したり侮蔑的に敬ったり。自分を卑下したりうぬぼれたり。
わたしたちの大半は、しばしばひっそりと、時折言葉や態度ににじませながらこれらを行なっている。

本作は東大生たちが自身の優位を信じきっている(もしくは優位性を感じていると認識できていない)が故の行動がしばしば見られるが、この『東大生』の部分は別の言葉に置き換えられるはずだ。
主人公の一属性である『東大生ではない』も同様である。
学歴、仕事、容姿、生まれ、……。双方の関係性によってそこに当てはまる言葉は多岐にわたる。

だからわたしたちは『東大生ではない』主人公にも『東大生』である彼らにもなれる。
この世に優位と劣位がある限り、なれてしまう。

誰とも比べたり比べられたりせずに生きることは難しい。
せめて優位性に溺れないように、卑屈さに飲み込まれないようにしながら人生を泳いでゆくしかない。


これは少々余談だが、序盤でいい感じになっていた男子が他の女子にアプローチをかけられた結果その人にふられたり、いいなと思っていた男性が知らないうちに友だちの恋人になっていたりと、恋愛において主人公が『選ばれない者』になっている描写が個人的に読んでいてつらかった。
特別共感したわけではないのに感覚的に「わかった」感じがして、胸がぎゅっと苦しくなった。
主人公がその心境を心の内で語る場面を引用する。

藤尾高校のときも、藤尾高校を卒業した春休みでも、水谷女子大に入ってからも、周りのみんなには、ごくふつうに、あたりまえのように降ってくる恋の花束は、自分だけ素通りしていく。花束を受けるのは別の女の子で、自分には、花束が素通りするときに散った花びらだけが、頭や背中にくっついているのみ。

loc.453/905 (honto)

この箇所は物語のちょうど中盤くらいにあたる。
この後彼女は花束を受けられるのか。そしてどのように物語が進行し終わりを迎えるのか。
これはあなた自身の目で確かめてほしい。
いやな気分になるかもしれないが、読んだことを後悔はさせない小説だとわたしは思う。


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