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無心でからっぽな、美しいもの


1月、寒さが一段と増す。
寒さに比例して、わたしの肩のコリも増殖している。(左肩がとくに・・・)
今や、コリがどんどん浸透して(上へ上へと)、頭痛にもなりにけり。
首を動かすたびに、ズキンズキンと血管がうずく。
ひどいと眼の奥までも。


揉んでみたり、体操してみたり、冷やしてみたり(湿布)、温めてみたり。(病院や整体に行けばいいのかもしれないけれど、億劫だ。通い続けねばならないと思うと。)
温泉や岩盤浴へなら行きたいけれど、年明けから連勤続き(遅番)で、時間がない。
ならば、と自宅のお風呂にお湯を張って浸かっている。それから仕事中は背中や肩にカイロを。
やはり温めるのがいいようだ。(でも湿布も貼ると楽になったりする。それで冷やしてもいた。)


それからフードのついている上着やパーカー、重たい服も厳禁だ。
重たい服を着たあかつきには、もれなくコリと頭痛がセットになって増量される。
ユニクロの裏地がボアのパーカーは、暖かくて気に入っているけれど、着るときには前後ろ反対に着ることにした。家の中では、チャックは背中。
時々顔にフードを被ってみる。ボアがついているので、温かい。
寝るときにも顔をフードで覆ってみたけれど、それは息苦しくておすすめしない。


冬の間中、わたしはこのコリと上手く付き合っていかなくてはならぬのだろう。早く春が来ないかな・・・
夏の暑さが苦手だと思っていたけれど、冬の寒さの方が堪えるな、と思う今日この頃。


さて、今読んでる本の中に江國香織さんの「”気”のこと」というエッセイがある。とても面白いし、自分のこと?と思える人もたくさんいるだろうから紹介したい。


ここのところ、”気”について考えている。私の”気”は無駄に活発だ。
なぜ無駄になのかといえば、私は気働きができるわけでもなく気がきくわけでもないからで、それなのに気が急いたり気が咎めたり、気が高ぶったり気がひけたりはしょっちゅうする。気おくれしたり気を吞まれたり、気が気じゃなかったりもする。瑣末なことが気になって仕方のない性分なのに、大事なことに気づかなかったりもする。どうなっているのかわからない。しっかりしてくれ、と私は私の”気”に言いたい。

「”気”のこと」 より


職場には本当に気の利く、よく気が付く、気の使える先輩たちがたくさんいらして、そんな先輩たちから度々注意を受けるわたしは、まったく上記の江國さんと同じ気持ちになる。
変なところに気がいってしまって、肝心なところに働いてくれないのだもの。
わざとじゃないんです、と言いたい。できればわたしも言われる前に気づきたかった・・・と。



そうして時としてわたしの気づかいは、わたしの意図したことと正反対に捉えられたりもする。
先日は、職場で上司に振り向きざまに笑いかけたら(わたしとしては、親愛の印のつもり)、なんと「人の顔を見て笑うなんて!」とおしかりを受ける。なぜ、そうなってしまうのか・・・(涙)
ひょっとして、冗談? (だったら、いいのに。)



けれどもわたしだけ、ではない。
たしかにあるのに報われない、そんな思いや出来事を”無心でからっぽな、この美しいもの”として、大切にかき集めてある一冊だ。




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