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吾52歳にして洗礼を授かる③(不惑編) #208

吾十有五而志于学、
三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、

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二兎を追おうとするも

30代も終わりが見えるころになると、学校での仕事量がずいぶんと増えた。研究者と高校教諭の二兎を追うことはだんだんとしんどく思えてきた。実質的に次第に学問から離れていった。しかし心のどこかでは説教集を「いつかは翻訳したい」と思っていたし、また、生活の実際がそこから離れていたとはいえ、「働きながらでも意思と情熱があれば勉強は続けられる」と信じていた。実のところ(言い訳めいているが)40代にかけては、高校教諭としての、また、ひとりの父親としての側面が生活のなかで大きなウエイトを持っていた。

さまざまな生徒との出会い

院生のときに非常勤講師をしていた私立高校に就職して今に至る。いろいろな生徒に出会っている。文武両道に極めて秀でたスーパーマンのような生徒や、とても高校生とは思えないような高い精神性をもった生徒もいる一方で、さまざまな躓きを持っている生徒も少なからずいる。そういう生徒たちに対し、おそらく高校生から大学院生までくらいの自分だったら、「それは努力しないあなたが悪い」と、「自己責任」という言葉を悪く使って接してしまってきただろう。そのような自分を変えたのは、ほかでもないわが長男だった。

長男に障害のあることを知って

1998年3月に長男がうまれた。両方の実家にとって初孫であり、うまれたときのことといったらもう「蝶よ花よ」とはこのことかと思うほどだった。人間はかくも祝福されてこの世にうまれてくるのかと感動したのは忘れられない。やがて首がすわり、はいはいをして、つかまり立ちをし、二本足で歩き、すくすくと成長していったのだが、だんだんと「あれ、なんかおかしいぞ」と思うことが増えていった。2歳半のときに問診をうけたら、発達に大きな遅れがあるとのこと。詳しく話をきくと信じられない言葉が出てきた。

「普通の子」にはなれない

IQが30程度。100というのが年齢相応の知能を持つことを意味し、75というのがいわゆる普通の学校教育を受けることのできるライン。70くらいの子が劇的に成長して75くらいになるというのはあるかもしれないが、30の子はそうはなれない。そういう説明を受けた。もちろん知能指数の高低と人間性のどうのというのは別物であるが、この告知はけっこうガツンとくるものだった。この子は他の多くの子と同じような生活を送ることはできない。勉強も進学や就職もそう。恋愛や結婚もそう。自分としては、学生時代に恩師と呼べる存在に出会って勉強が面白くなり、人生に前向きになって、それなりに満足のいく生活を送っていて。だからこの子にもそうなってほしい、そう思っていただけに、かなりガツンときた。しかし現実は受け入れなければならなかった。

この子にはこの子のステージがある

いろいろ悩んだ。自分のなかに落とし込むのにやや時間がかかった。しかしやがて至った自分の納得はこういうところだった。「親のエゴを子に押し付けてはならない。」「この子にはこの子のステージがある。」いま思えばこれらは当たり前のことなのだが、ここに合点がいくまでに時間がかかった。心からそう思えるようになったと言えるのは40歳がみえてきたあたりだったと思う。子育てで目指すべきは、子が「愛されて幸せな日々を送り、天寿を全うする」ことであると気づいた。学歴や地位や収入などどうでもいい。穏やかであって周囲に愛される人間であるようにと子育てをした。

子にたくさん愛を注ぐ

健全な自尊心を持つこと。人間として骨太に生きることにおいてこれが大切であるということに障害者も健常者も違いはない。自尊心を持ち、自分を好きになる。自分を好きになれなければ他人を好きにはなれない。他人に愛を向けられない。他人に愛を向けられない人間が他人から愛されることなどありえない。だから自尊心を育てることに注力した。そのために親としてできること。それはたくさん愛を注ぐということだった。もちろん躾はする(特にあいさつは欠かさせなかった)。家庭のなかで社会性を育む。悪いことは悪いと教える。しかし何よりも愛を注ぐ。日ごろから有形無形に愛を注ぐ。日常的に長男を第一とする生活をした。

長男に教えられたこと

障害をもった長男に日々このように対していくなかで、自分という人間がずいぶんと変わっていくことに気がついた。当たり前だが、十全な人間など存在せず、誰もがみな何かは欠けている。そこに悩みがある。これを突き詰めて考えてこう思った。乱暴な言い方かもしれないが、「欠けている」ことを敷衍するとき、健常者と障害者の区別はどこにあるというのだろう。生活力の違いはあるだろう。しかしみな同じ人間で、みな悩みを持って生きているのは同じ。もっと言えば、「そうしたくてもそうできない」という人がいる。いや、それすら思えない人だっている。そのうえでそれぞれに現実と闘って生きている。そしてそのうえで人生を謳歌する権利を持っている。

人としてどう生きるべきか

そう考えると自分の周囲を見る目が変わった。高校教諭として生徒を見る目が変わった。みな同じ人間。躓きを持つ。教師として指導はするが、同じ人間として受け入れ、理解し、寄り添い、ともに悩む姿勢を持たねばと思った。いろいろなことがあった。心の戸をなかなか開けてくれない生徒がいても、叩くのをやめないようにした(もちろん叩き方は考えた)。子をもうけて退学した教え子から出産したとの連絡が来たとき、病室におめでとうとお祝いを伝えに行った。悪に唆されてもう長く獄中にいる教え子もいるが、彼とはいまでも手紙のやりとりをしている。長男がいなかったらこういうことの大切に気づかなかった。厳しさと愛は両立する。

吾四十而不惑

40代にかけて、学問からは遠ざかってしまっていたが、それとはまったく違うところで大きな学びを得ることができた。それは端的に言えば人間愛についての学びだった。長男にかかわることを通してこれを学ぶことができた。重度の知的障害を抱えた、しかしどこまでも純真で無垢な長男。この長男と出会えたのは間違いなく導きだった。長男がいなかったら私の人生はもっと暗いものだったろう。人間はみな躓きを持っている。それを踏まえて40代にかけて得た惑うことのない確信、それは、そこに愛をもってかかわるべきであるということだった。この視座を持つことができたのは大きかった。この続きは次回に。


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