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【説教集×英語学習12】 若い芽をよく見る #222

2024年3月3日(大斎節第3主日)



説教集より

Certaine Sermons or Homilies 1547-1571, Rickey and Stroup, 2nd ed, 1993, II, p29.

But as all things that be amiss have from a tolerable beginning grown worse and worse, till they at the last became untolerable, so did this matter of images.

しかし、そもそもが不適切であるものはみな、許容できる範囲で始まったとしても次第に悪くなるもので、ついには許容できないものとなったのですが、この偶像の問題も同じでした。(第二説教集2章2部:全訳はこちら↓)


ヨハネのひとこと

多くの物事は純粋な動機から始まります。その動機や志を共有する人々が集まり、その輪を大きくしていき、そのなかで現状に鑑みて修正や方向転換が行われます。そのありようを「生成発展」と見ることもできれば、「衰退」やあるいは「骨抜き」と見ることもできるでしょう。それは見る人の立ち位置で違ってきてしまうものです。

しかし、始まりの動機が不純なものであるとなると話は違ってきます。動機の不純さを隠そうと、なんとかして虚飾をしようとしてしまう。そこに無理が生じます。遅かれ早かれ破綻する。その結末はもう見えています。

ただ、一歩引いてみますと。物事の始まり、つまり若い芽をみてそれがどのようなものか、言い換えれば純粋な動機によるものかそうでないかを見極めるのは難しいことです。芽の生長を観察することはできるのであり、それを「育む」ことの本気度がそこで試されるのですが、そのとき自身のなかに「揺るがぬ拠り所」となるものを持っているかで違います。どなたに頼り、どなたに倣って生きるか、それを思って一週間を過ごしましょう。

英文の解説

文頭の as は接続詞で、これに導かれる副詞節はカンマの前、worse までです。節内の骨格は主語が all things 、述語動詞が have grown 、補語が worse and worse という SVC の第二文型ですが、間に修飾の節や句が入っていることでやや読み取りにくいものになっています。

まず、主語の all things を形容詞節 that be amiss が修飾しています。that は主格の関係代名詞で、その述語動詞は仮定法現在の be です。all things that be amiss で「そもそもが不適切であるものはみな」という和訳にしました。また、all things の述語動詞である have grown についてはその間に副詞句となる前置詞句 from a tolerable beginning が置かれています。

この from a tolerable beginning については、have grown worse and worse とのかかわりを考えるに、譲歩の意味を持ったものとみることができるので、「許容できる範囲で始まったとしてもしだいに悪くなる」という和訳にしました。

この文は文頭の as に始まる副詞節(従属節)の中と主節とで時制が違う(従属節の述語動詞は現在完了、主節は過去形)のですが、これは、従属節で述べられているのが一般的な原則論で、主節で述べられているのが厳然たる(人間の歴史における)過去の事実であるためだと考えられます。始まりのよくないものはやがてその正体が露見していくというところでしょうか。

さて、主節ですが、その始まりの till はいまではかなり稀な用法で、副詞として用いられていると考えられます。till というと前置詞や接続詞としての用法が一般的ですが、この副詞としての用法は、たとえば別な単語でいうと to の用法になじみがあると思います。to は前置詞として用いられることが多いのですが、単体で副詞として用いられることがあります。例えば  "He didn't come to for some time(彼はしばらくのあいだ意識がなかった)" という文があります。この to は副詞で、to という単語の持つ「方向」「行き先」の意味を含んだものです。この till もよく用いられる接続詞としての「~してついに」という意味を含んだ副詞であると考えられます。別になくてもいいのかもしれませんが、あるほうが、説教を聞いている側としては理解がしやすかったでしょう。

主節の構造は主語が they で述語動詞が became 、そして補語が untolerable という SVC の第二文型。前述の従属節の構造とわかりやすいパラレルをなしています。ちなみに untolerable は現代英語でいう intolerable です。主語と述語動詞の間に at the last がありますが、これは前置詞句であるものの、よく用いられる at last とはニュアンスの違うものです。at last は肯定的な雰囲気をもった表現ですが、at the last はそこまでではなく、in the end というそれ自体ではニュートラルな表現に近いものであると考えられます。

終わりの等位接続詞 so 以下の箇所はいわゆる「so + V + S」の倒置表現です。この V が did であることで、「S もまたそうだった」という意味になります。S にあたるのが this matter of images (この偶像の問題)であり、「この」というのは、今回紹介しているこの英文の前に書かれている事柄を指しています。具体的にはローマ教皇グレゴリウス一世が布教のために偶像を使用することを認めたことを指しています(ご興味のある方は上記リンクから全訳ページへお越しください)。so 以下を補って書き直しますと、 and this matter of images became untolerable となります。厳然たる過去の事実として書かれています。


英文の見取り図



おまけ(大斎節第3主日聖餐式)

今日の礼拝(聖餐式)がライブ配信されました。よかったらご覧になってください。聖書日課(使徒書)の朗読を担当しました(「コリントの信徒への手紙Ⅰ」1章18~25節、20分51秒あたりからです)。喉の調子が悪いことに加えてかみかみの朗読でお聞き苦しいですが…。



最後までお読みいただきありがとうございます。今後も主日のたびにこのシリーズを投稿していきたいと思います。引き続きご愛読ください。よろしくお願いいたします。


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