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184 自信がありすぎると失敗する
結婚式でスピーチを頼まれたとします。
自信がありすぎの人は、「よし、抜群のスピーチをしてやろう」と思って、頭の中であれこれと、できる限りの妄想をしてしまうのです。それで当日は三十分もしゃべったりして、ひんしゅくを買います。しかも、そういう人に限って、いいことは何もしゃべっていない。本人も、心臓がドキドキするわ、汗が出るわ、膝が揺れるわ、もうひどい気分なのです。妄想の中の自分を過大に評価してい
183 「今を生きる」人生は大成功
気づいていただきたいおもしろい事実があります。
今、やるべきことを やってみると、それが大成功なのだということです。失敗で終わることはありませ ん。たとえ失敗しても、次の瞬間にそれを直せるのです。
ですから、瞬間瞬間、行うべきことを怠ることなく行うならば、「失敗した」と悩むことは消えてしまいます。それが成功を収める生き方です。仕事が計画書どおりにいかなくても、最終的には成功しているはずで
182 成果を短期間でみるようにする
「結果を出せ」と言われて、会社の研究者が研究して、半年経っても手ごたえのある結果が出ないと嫌な気持ちになります。やり切れなくなってストレスも溜まります。そうではなくて、今日一日の研究はうまくいったかと考えるのです。
今日は結構頑張りました、次の日も頑張りました、ということを続ければ、ちゃんと結果が出るのです。
『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《成功と失敗》アル
181 成功する人生のつくり方
何かをやって少しでも成功すると楽しいものです。ですから、日々、成功するための計画を立てて生きればよいのです。「十年後に成功するぞ」と思って計画を立てると苦しいので、計画の長さは、十分ぐらいで充分です。「この十分で、やることは、精一杯やって成功するんだ」というくらいがちょうどいいのです。そうすれば、成功するたびに喜びや幸福感を覚えられますそうした小さな計画のユニットをつなげて、自分の人生にするので
もっとみる180 「人生の成功」はあくまで結果
成功の流れを観念的にみれば、「人生そのものが成功する」と言うことができます。しかし、あまり「人生を成功させよう」などと思わないでください。そのような考えは余計なものです。成り立たない妄想です。
今の瞬間を成功すればいいのです。それで話は終わり。「どこまで行けば成功でしょうか? 」と考えることは、非論理的です。
過去も未来もすべて忘れて、今だけ、失敗しないようにする。
観念的に言えば、
179 親孝行は後回しにできない
人は親を「老いるわけじゃない、病気になるわけじゃない、死ぬわけじゃない」と思って、親のことを無視して生活する。しかしわが親も無常なのです。病気で倒れたり、老いて寝たきりになったり、また亡くなってしまったりすると悲しむのです。何もしてあげられなかった、親孝行できなかったと、悩むのです。真理として心の底から「諸行無常」であることを知っている人に限って親孝行は後回しにできるものではないのです。親の面倒
もっとみる178 母の前では子供で甘える親孝行
我々は世間で何者であっても、母親の前では子供です。それが親孝行ということなのです。ですから、素直に母親の前ではしっかり子供に戻りるんです。一言でいえば、母親に甘えたりするのがいちばんいいんですよ。お母様は大変かもしれませんけどね。しかし、それで母親は精神的に元気になります。明るくなります。最後まで親を悩まさず、明るく生きてもらうことが親孝行だと思いますよ。
『一分で読むブッダの教え』第3章 人
177 親孝行の気持ちをもつには
年をとることと、病気になることは避けられません。元気な人にとっては見ていられない。それでも「では、どうすれば?」と自分に聞くべきなんです。特に子供たちは自分の両親を見ないんですよ。
頭の中に、力強い母親、力強い父親というイメージがあるんですね。そうではなく、イメージではなく実際に生きている生(なま)の父親・母親を見てほしいんです。そうするといかに弱くなっていくかがわかる。
自分が小さいと
176 親孝行の一言
親というのはおかしなもので、ただ「お母さん、お父さんのことが世界一好きですよ」と子供が言うだけで、充分なのです。散々苦労をかけられた子供でも、その一言でぜんぶの苦労を帳消しにしてしまうのです。
『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《子育てと親孝行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ありのままの自分 アイデンティティの常識を超える (お釈迦さまが教えたこと 4,
175 親孝行とは何か
親孝行というのは、親を喜ばせて自分を満足させるためにあるものではありません。自分のすべては借り物であり、何者でもない。周囲の人に支えられて生きてきたのだ ― ― そういうことを自覚するために恩返しをするのです。
親に喜んでもらって、自分も嬉しくなるために親孝行していては駄目です。自分の人格を直すために、自分が善い人間になるためにやらなくてはいけないのです。自分が嬉しくなるための親孝行なら、結
174 子供に先立たれたら、一番の供養は善行
初期仏教では、日本の仏教と違って、遺族が自分で立派な人間になって、しっかりと人々を助けて生きなければ供養にならないのです。
ですから、子供に先立たれ、死んだその子をすごく心配に思うなら、人々を助けたり社会に貢献したりして善いことをして生きること。そうすればその衝動になったのは我が子の死ですから、子供の供養にもなるという考えです。
一人ひとりが独立している生命ですから、子供は子供の業を持っ
173 子が自立する育て方を
家族はいくらけんかしても心は通じ合っているから、社会では強いのです。
しかし、自立するときはそれでは駄目です。親の責任というのは自立させることであって、それこそが愛情なのです。「うちの子はもう手がかかりません、一人で勝手にやっていますよ」と、自立して離れていることを自慢するくらいがいいのです。
歩き出すころから頑張らないと駄目だと思います。お母さんがまだ小さい子供に「一人でできるでしょ?
172 どう生きるべきか、真剣に学ぶべき
教育とは生き方を教えることです。だから、お箸のもち方や、ご飯をこぼさないようにすることや、「いただきます、ごちそうさま」と言うことを、親が教育をしているのです。それは生き方を教えていることです。
学校にあがってからも、教えるべきなのは「生き方」です。ずーっと死ぬまで、どのように生きるべきかと教えるべきです。人生のある時期は結婚する、ある時期は子育てをする、ある時期はほかの何かをする。
人
171 子供の美しい生き方
子供にとって理想的なのは、ぶらぶら寄り道をしながら、遊びながら、ふざけながら、ゆっくり帰るようなスタイルです。
子供たちが当然知っている、学校から家までの道を、自分の考えでいろいろ遊んで帰るのです。学校から出たら、グループで走っていって、公園で遊んだりします。そのうち、またほかのグループがあると、そっちでも遊んで、母親が怒るギリギリのところで家に帰るのです。そういうのが、子供の美しい生き方で
170 子育ては人格改良のチャンスでもある
自己中心的で、わがまま好き勝手で、他人に対して何の思いやりもない人間にとっては、子供が生まれることは革命的な出来事です。人格が変わるのです。自我が薄くなるのです。慈しみ、思いやり、やさしさなどの性格が表れるのです。この点では、心の成長です。
愛着でなく、慈しみで、憐れみで、献身的に子育てすることは、人格改良に役立ちます。仏教はこれだけは評価します。
親が慈しみで子育てをして独立させること
169 社会貢献のポイントは「正しい相互依存」
我々大人が、子供たちに教えてあげるべきことは、「あなたは自分の幸福のために、何を他人に与えているのか」ということです。
この「自分の幸福のために」という言い方が必要です。これが、相互依存ということです。
ただ単に「あなたは他人様に何をしてあげているのですか? 」と聞いても、あまり言葉に力がありません。「なぜ、何かをしてあげなくてはいけないの? 」ということになるからです。
我々は子供