見出し画像

太陽の子

「お母様は幸せですね。私は母との関係が悪くて、良くしてあげられなかったから…」
先日、元ヤングケアラーとして講演させていただいた後に、聴いてくださった方からそのようにお声をかけていただいた。

時々思う。わたしが強く当事者性を押し出すことによって、もしかしたら傷つく人もいるんじゃないかと。


実は、何度もケア中に思っていたことがある。

「お母さんが嫌な人だったらよかったのになぁ」
そうしたら、容赦なく放っておけるのに。

現実は真逆で、うちの母はとにかくチャーミングな人だった。
家族の誰よりも明るくて前向きで、おしゃべり好きで人懐っこい。
情にも厚くて、気配りの鬼で、入院先の大部屋でもどこでもすぐに中心人物になっていた。
ちょっとわがままだけど笑、誰にでも態度が変わらず、いつも周りへの感謝を忘れなかった。
よく笑って声も大きかったので、酸素のチューブを付けていても「病気してるように見えない」とみんなに言われていた。
本人は「しんどいのに元気そうって言われる」ってぼやいてたけど。
「しんどそうに見られるよりいいやん」ってみんなで笑っていた。
なんでこんな人が病気になるんだろう。わたしたち家族はいつも不思議だった。

お母さんが嫌な人だったら。
わたしは自分だけの人生を選んでいたのかな。
もしかしたら、それでも「家族だから」って無理してケアを続けていたのかな。

そんな時、本棚に並んでいた岸田奈美さんの「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」が目に入った。
まさにそう。妙に納得した。

わたしは「母だから」という理由だけでケアをしてきたのではない。
母が母だから応援し続けられたんだと思う。
一人の人として、「この人を支えたい」とそう心の底から思ったから、なんだかんだ頑張れた。
しかもなんだかんだで支えてもらったのはわたしのほうだったんだよなぁ〜

家族にも、親子にも相性がある。
人間だから、支えたくないときも、支えたいときもある。
それが薄情とか、家族なのにとか、どうして他人が言えるんだろう。

今日とある先生に、
「話したことをどう感じるかは受け手の問題だから、あなたが自分の経験について遠慮することはない」
そう言っていただいた。
本当にそう思う。受け取り方までこちらの思い通りにしようだなんて傲慢だ。

わたしは話す。
家族のケアをする多くの人たちの中の、たった一人、自分だけの経験を話す。
だからどうか、みなさんもみなさんだけの経験を大切に思えますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?