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完璧主義を拗らせた私が受け取った、思ってもみなかった成功のシナリオの話。

こんにちは。
生きづらさ解消のお役立ち記事を書いておりますReaching Out♡理詠と申します。



今回は、完璧主義を拗らせた私が経験した、
思いもよらぬ成功のシナリオを手にした話をご紹介したいと思います。




私はかつて、完璧主義かつ美意識やこだわりが強すぎるあまりそこに中々近づけない自分にイラついたり、

完璧になんかいつになっても成れず、
いつかいつかと言いながら全然動き出す事が出来ないでいました。


時間ばかりが過ぎていく。
焦る。
完璧に美しくカッコよくやりたい!
でも完璧には程遠い気がする…

そんな感じで10年くらいは燻って、
完璧主義によるブロックから手も足も出せず、
「生きづらいな」と思ったりもしてました。


この完璧主義ブロックがぶっ壊れ、良い形の成功のシナリオを得た体験談、

少々長文となりますのでお時間の許す時にでもお読みいただけたら幸いです!



**


私は長い間、歌を教える仕事をしてました。

と言っても大学やプロ養成所ではなく、
カルチャースクールで趣味で歌を習いたいという方に対してです。


ミュージシャンの友人から「講師に欠員が出た」との事で声がかかり、
当時一応プロとして歌っていたのですが教えた経験なんて一切ないまま、
人生で初めて「先生」なんて呼ばれるようになりました。

嬉しい様な戸惑う様な…


程なくして持ち前の完璧主義が炸裂し、数年後には

「ちゃんと教えられているのか?
私は先生なんて呼ばれてるけど何も教えられていない!」
なんて、

ただでさえない自信を枯渇させながら鬱気味になったりしていました。


「このままじゃいけない!」
「まずは自信をつける為に学校に通おう!!」



私は仕事をセーブし、
音楽の専門学校で音楽理論などを学ぶなどの行動に出ました。
これは近年の私にとってかなり大きな転機となりました。


いろんな方面に迷惑をかけながらもその時学校に通えた事、学んだ事は今の自分にとって凄く良い選択だったと結果的には言えます。

なかなか行動できなかった私が動いたのは、
よほどの背水の陣だったという事です。


でもカルチャースクールで教える事に関して言えば
「そんな必要なかった」
と言わざるを得ないし、
生徒さん達もおそらく一切、そんな事は望んでいなかった事でしょう。



なんだかんだ言いながらも講師を続けていたのですが、ある時期から
「生徒さんの回転率?」について他の先生やスクールの方から
「凄いですね」なんて褒められたりする様になりました。



こういうカルチャー系のスクールでは1人の生徒さんが長く在籍する事は稀らしく、
気に入らない事があったり合わないと感じるとすぐ辞めてしまうので生徒さんの回転が早いのが普通なのだそうです。


ですが私の生徒さん、謎に辞める人が殆どおらず。

8年間大きくそのメンバーが変わる事はありませんでした。
レッスン日を増やす事も勧められましたが、
メンタル枯渇した状態でそこまで欲もなく…


時を経て思うのは、
私が提供していたのは歌のレッスンだったのだろうか?という事。



教える技術なんてろくになかったのだから、
きっと別の意味での需要があってそこに生徒さんがついて来てくれたんだろうな、と思うのです。


それは何だったのか?


自己分析によるとおそらく

レッスン内容じゃなくて、
そもそもの歌う事に対してのモチベーションを保つ事に繋がる「ある事」をしていたことが、
同時に生徒さんがレッスンへ通う意欲にも繋がっていたようなのです。

そのある事、とは?


歌って一人で歌うのはさみしいものですよね。

結論から言って、レッスンの他に人前で歌う機会持つ事を促していました。


プロのピアノ伴奏で歌える店があるのをご存知ですか?

ライブハウスがプロのライブ演奏ばかりでなく、月1くらいで素人さんが歌える日(ボーカルセッションと言う)を設けているのです。
2,000円くらいでプロに伴奏してもらって歌う事が出来ます。


そういう場所で歌う事を勧め、
「そういう場に参加する事が歌を習う醍醐味なんですよ〜」と生徒さんの背中を押していたのです。


別にその店やピアニストから幾らか貰ってたとかそう言うのではなく、
それは単に私の個人的な都合によるものでした。


完璧主義である私は

「私なら、歌う時はプロの伴奏で気持ちよく歌いたい」

と思っていたので、
自分の拙いピアノで歌う生徒さんを不憫に思い、また同時に自分のピアノの技術の拙さから目を背ける為に、

プロのピアニストが行なっているボーカルセッションへの参加を促し、
悪く言えば、
生徒さんをそちらに送り込んでいたのです。

生徒さんの背中を押してた、と言うと聞こえがいいけれど、
要は自分にできない部分を他に回してただけって言う..笑


とにかく自分が下手くそなピアノで伴奏するのが不甲斐なく許せなくてその苦肉の策、でした。



しかしその結果、生徒さんの表情が活き活きと変わり始めたのです。


私のレッスンに来るたび嬉しそうにその成果を報告したり、次にその店で歌いたい曲のリハーサルをしたいと言い出す人が増え、、
図らずも生徒さんの意欲はどんどん増していく様になったのです(驚)

レッスンでは本番で失敗したところを詰め、次は失敗しないやり方を伝授したり、
歌い出しが上手くできなかった人には
決まったイントロを譜面に書き足してあげたり、

そんな風にしてレッスンはあくまで本番のためのリハみたいな位置付けになっていき笑
レッスンで準備をして本番に挑む、本番のフィードバックをレッスンで…
と言うのがだんだん決まったサイクルになっていったのでした。




こうして振り返ってみると、
我ながらなかなかの良いロールモデルな気がしてきます!笑



楽しく活躍できる場を与えられると人は幾つになっても水を得た魚の様になって行くのですね。

「人生でこんな楽しいことがあるなんて思いもしなかった!」
「この年になってこんな楽しいことが待っているなんて!」
「これも全部先生のおかげです!」
なんて、めちゃくちゃ感謝される様になりました笑笑


最初まっっったく、ニコリとも笑わなかった年配の生徒さんが凄くアグレッシブになり1番ノリノリでその店に通うになり、
レッスンでも前のめりでやりたい曲を持って来たりする様になり、その変化には驚かされました。


私は「先生」と呼ばれる事で自分を縛って頑なに
「教えなきゃ!」と思っていましたが、

生徒さんがレッスンに求めていた事は「学び」ではなく、
「楽しさ」や「やり甲斐」「喜び」などだったという事です。


すごく極端な事を言ってしまえば、
手段なんて何だって良いのかも知れません。
その「感情」さえ提供できるなら。


もちろん、
興味のある事でなければそのスイッチは押されないので、
全くの無関係な事では手段にはなりませんけれど、

何かを教える、
商品を提供する、と言う様なシチュエーションでは、


「喜び、良いビジョンをいかにして相手に持たせられるか?」

が肝であり、
きっとそれが上手く機能した時、
Win×Winになれるのです。


自分ができる事をツールとして、

その結果得られる”感情”を商品として提供する。


元気になる。
嬉しくなる。
活き活きする。


そしてこう言う感情の総称を
「愛」と言ったりするんじゃないかと
思いました。

根っこから湧いてくる様な喜び、の事です。


私は苦手なものを手放し(逃げて笑)、
図らずも生徒さんの「愛」の感情を引き出すことになり、
8年もの間そのお礼を受け取り続けてきた、と言う訳です。



逃げるは恥だが役に立つ、とはよく言ったもので笑

完璧主義で頑なになりがちな人ほど、
このやり方でなくては!というのを中々手放せません。

でも“仕事”という意味では、
ものや形としての商品の価値は既に充分だったりする。

見方を変えるだけで、そこには既に金脈があるのです。

(それは私にとっての生き甲斐ではありませんでしたが、
それはまた別の機会に)


「なかなか上手くいかないな」と思ったら是非その方法をやめてみる、
思いっきり手放してみると、

そこに新たなやり方が転がり込んで来るものなのだと思います。



そしてその上で愛の感情、喜びを提供できているか?と
考えてみるのです。





瓢箪から駒的な私の体験談、いかがだったでしょうか?


完璧主義ゆえの生きづらさを抱えた同志達に!
届きましたら幸いです˚✧₊⁎

最後までお読みくださりありがとうございました!

Reaching Out♡理詠でした☺︎

雨はもう沢山降りました。
掌を開けば虹はもう手の中に!

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