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気分が沈んだ時にこそ、唱えたい呪文があるんだな。

”当たり前”を当たり前として扱わない。
すでに自分に与えられているものに感謝する。
それは”当たり前”ではない、と知る。

よく聞く話ではある。
今日もその話を耳にした。


ここ最近、自分に微妙な角度のベクトルが向いていて、ズドーーンとメンタルが落ちる時間があった。

ジャッジ癖が発動。
外からの反応をおかしな風にジャッジし、そのベクトルはぎゅいんとカーブを描いてこちらに向かってくる。
自分で自分を貶める。

いつだって自分の心を刺してくるのは自分だったりする。

虚無感。
自尊感情の低下。


沈む自分。
一方で、その自分の状態・構造を冷静に見ている自分。
いつしか、こういう時には二人の自分の存在を感じるようになった。


昔々つき合っていた彼は、今思えば私より相当精神性が高かったようで、「そこにどっぷり漬かるんじゃなくて、自分の斜め上方からもう一人の自分を登場させて、そこから眺めてみなよ。」とか、急に「逆立ちしてみな。物理的に視界が逆になれば、思考も変わるよ。」とか助言してくれていた。

当時の私にとっては、意味の分からないアドバイスであり、そんなことで浮上できるわけがないと受け入れられなかった。
他にも色々と教わったけど、あの頃の私は理解できるステージにいなかったんだな。


最近、メンタル不調になると彼の言葉を思い出す。

本当にその通りだな。
今なら深く心からそう思える。

当時はまったく受け入れられずに馬耳東風だったけど、ちゃんと私の意識下ではキャッチしていて必要なタイミングとなるまで眠っていたんだな。

そして当時の元彼さんよ、ありがとう。
あの頃の私にはまったく響かなかったけど、サヨナラしただいぶ後になって効いてきたよ。


……話が思い出話になってしまったので、元に戻しますww

冒頭の、”当たり前”を当たり前として扱わない、というのも、調子が良ければ楽勝でできること。
調子の良い時に、今あるものに感謝の念を抱くのは簡単だ。

問題はメンタルが沈んでいる時にそれができるかどうか。
頭では「そうなんだ」と理解はしていても、不調時は気持ちがついてこない。
なんなら「ありがたく思わなきゃ」に傾きがち。これって逆効果。
不調時にコレに陥ると、ありがたく思えない自分を責めだす。

魔の負のループ。。。


結局、ある程度浮上してこないと”当たり前のありがたさ”なんぞには辿り着けない。

そして、無くしてみないと”有難さ”なんて気づけない。
無くして一度思いっ切り沈んで、その後少し浮上した時に有り難いことだったんだと知る。
一度落ちたからこそ、気づいた”ありがたさ”は身に沁みる。

無くすのは、自分の大切な人・モノ・事だったり、人間関係だったり、自信やプライドだったり、環境だったり様々。

ただ思うのが、一つそういった無くしてみて気付く有難さを体感すると、派生して他のことでも有難さを見ることがあるな、ということ。
全部一度無くす必要はなさそうだってこと!笑


気分が沈むこと。
しんどいけどね。イヤだけどね。不快だけどね。避けたいけどね。

でも、やっぱり少し浮上してくると、気分が沈むことも必要な事なんだな~なんて思えてくる。
渦中にいる時には納得できないけどね。
魔の負のループに陥るので、渦中の時は納得しようとしない方が賢明。


私が心がけているのは、納得できなくても呪文のように心の中でこう唱え続けること。

『私には、私にとって最高・最善の事しか起こらない』


気持ちが伴わなくてもいい。一時の気休めで構わない。
でも、これが真実。
後々に絶対に理解する時が来る。

自分で自分を護る呪文。
魔の負のループ行きの扉を閉じる呪文。
落ちつつも自分の人生に対する絶対的信頼を表す言葉。







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