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「姫」になる始まり【0〜5歳編】②

※なるべく時系列で書いています。過去投稿を一読していただければ伝わりやすいかと存じます。


言葉の暴力。怒号という凶器。


父の怒号。


父の口癖は
「誰が稼いでると思ってんだ!」
「俺だって辛いんだ!」
でした。
定年退職して流石に「誰が稼いでると思ってんだ!」は封印されましたが、
残念ながら現在でも「俺だって辛いんだ!」は健在です。

だから何だって話です。


幼児期の私には、ただただ怖い存在でした。
いつも不機嫌でピリピリしていて、家に居ればひたすら眠っているか、何時間も誰かを怒鳴りつけているかの2択でした。
相手が祖母なら喧嘩が成立しますが、母や姉が相手だと、それはもうただの拷問でした。

姉が可哀想で仕方ありませんでした。
ほんの些細な、子どもなら誰でもやる様な失敗を父は姉に、正座を強要して、自分の気が済むまで同じ言葉を繰り返し怒鳴りつけました。

2時間もかかりました。

姉は静かに泣きながらジッと耐えていました。
私は怯えて、隣りの部屋に退避して身体を丸めて耳を塞ぐことしかできませんでした。
母は最初のうちは父を制止しようと試みましたが、矛先が自分に移るだけとみるや傍観に徹しました。それどころか時には便乗して怒鳴ることもありました。
祖母も我関せずといった具合で、気が付けば居ないこともしばしばありました。

誰も姉を救えません。救いません。

ようやく、怒鳴り疲れた父が最後に放った言葉は

「俺は暴力は振るわないんだ!」

でした。
あの したり顔の悍ましさときたら、吐気がします。

これが我家の日常でした。



姉妹が成人後、父はこう語りました。

「だって仕方ないだろう。
神の如く振舞わなければ、俺の言うこと聞かないんだから。
俺は子どもも1人の人間として捉え、大人と変わらない対応をしたまでだ。」


びっくりですよね。
彼の言葉が事実なら、彼は外でも怒鳴り散らし不機嫌をばら撒いて、神の如く振る舞っていたそうですよ。

私は父の発言に目眩がして、言葉を失いましたが何とか絞り出しました。

「私たち、まだたったの5歳とかだったんだよ……?
じゃあ、貴方たちは当時、何歳だったの……?」


そう聞かれて父は黙りました。
そして何とかひり出した言葉がお馴染みの

「俺だって辛いんだ。」

でした。

「絶望」とは、こういう事を指すのですね。

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