誰が為の謝罪
「ごめん」
「悪いね」
「すみません」
「申し訳ありません」
謝罪にもいろいろある。言葉のバリエーションも、謝るシチュエーションも。
最近思うことの一つが、この謝罪についてだ。
4歳の甥・ジロウ(仮名)は、クソガk・・・生意気真っ盛りなお子である。
我が家に来ればやりたい放題わがまま放題で、祖父母(僕の両親)をほとほと困らせているのだ。
たとえば、悪いことをして怒られたとき。
耳をつんざくような金切り声で泣き叫んだり、あっかんべーをしたり、最近はやらないが中指を立てたりすることもあった。ほんっとにクソガキだな。
子どもの成長過程と言ってしまえばそれまでだが、近頃の言動には目に余るものがある。
僕が最も気になったのは、彼がすぐに「ごめんね」と言う点だ。
怒りのままに人を叩いては「ごめんね」。
行儀の悪い言動をしては「ごめんね」。
ふざけているところをたしなめられては・・・あ、いや、このときは謝りすらしなかった気がするぞ。
しかもこれらの「ごめんね」は、どう見ても申し訳なさが皆無。
「ごめんね」はもはや「ごーめーんーねー!!!!!💢💢💢💢💢」なのである。
おそらく、彼の中で謝罪とは、悪行に対する免罪符とでも思っているのだろう。「ごめんね」と言えば一件落着、みたいな。そんなわけねーだろ。
謝罪という言葉を調べてみると、「罪やあやまちをわびること」とある。
しかし、今回のケースで言えば、謝罪という行為が形骸化して、本来の「わびる(謝る)」という意味が失われている状態だ。
これでは、反省をしない自己中心的な人間になってしまうのではないか。
謝罪の意味には、「自らの非を認め、相手に許しを請う行為」ともあった。
そもそも「ごめん」は「御免」から来ているので、「許してくれ」という要素が強いようにも感じる。
では、謝罪とは「許してもらうためにすること」、言い換えれば「相手ではなく自分のためにすること」なのではないだろうか。
「許されることで罪の意識から解放されたい」ということではないだろうか。
僕は、されて嫌だったことはほとんど覚えているし、根に持っている。
だから、たとえ誰かに謝罪されても、僕はその人を許さない。その人には、僕を傷つけた罪を一生背負って生きてもらいたいからだ。これは親だろうが、友人だろうが、お世話になった人だろうが、万人に等しい(ほんっとに性格が悪い自覚はある)。謝罪の意味に「許しを請う」が含まれているのなら、尚のこと。
ただ、自分から話題に上げることはしないようにしている。過去のことをグチグチ言われて嫌な思いをしたので、自分から切り出すことはない。
あと、時間が経ってどうでもよくなったものとかは、あっさり許す。
いずれにしても、気持ちの伴わない謝罪など無意味である。しかし、子どもも大人も関係なく、わかっていない人は多いように思う。軽くぶつかったときなど普段使いの「ごめん」はあるにしても、もう少し言葉の重み、謝罪の重みを理解して然るべきではないのか。
どうしたら甥が謝罪の意味を理解し、そして受け入れられるようになるのか、叔父さんは人知れず悩んでいるのである。
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