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高校"文学国語"の選択制ー文学離れの何が問題なのかー

https://www.google.co.jp/amp/s/valed.press/_amp/_ct/17332736
 高校"現代文"が論理国語と文学国語に分かれる。しかも選択制。"文学離れ"への危機感が高まっているけど、実際に文学離れが起こることでどの様な問題が生じているのかについては言及されない。この記事もそう。"文学離れ"はいまに始まった問題ではない。文学国語の選択化もその批判の根拠の貧

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学校教育について思うこと

 ふと思ったんですけど、ぼくは西田幾多郎さんが好きで、場所的論理の有・意・無(真実在)から字を借りて息子の名前を付けました。ーそれは置いておいて、ぼくはそんなわけで知覚−主客の分裂−調和といった様に、何かを獲得するには先ず、それを獲得したいのに(主観・無)、未だ獲得していないという事実(客観・意)から、そうして分裂した主客が合一に向かって意識を働かせたり行動したりする過程に成長があると考えている。

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校則について思うこと

 規則とは社会契約論の示すように"相互の自由を守る"ためにあるが、学校とは本来、ヘーゲル「止揚」のように"規則が無くても自由を守れる"市民を育てる役割を担っている。しかし安全面や学校・学級運営上の必要により校則は増える。子供を従わせるのではなく、理由を共有できれば良いし、理由の説明ができない校則は無くせば良いと思う。それは今学習指導要領の目指す「主体性・対話性」を育む教育像にも重なるはずなのに、現

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メディアと市民の"悪い"関係

メディアと市民の"悪い"関係

この番組に限らず、モラルの無い放送を発信する側と受信する側が、それを"面白いもの"として共有する構図ってけっこう色んなところで目にします。市民感覚に影響を与えるテレビジョンの発信力。こういう種類の"笑い"は職場でも普通にあるけど、正直言って笑えない。でも異議を唱えられる雰囲気ではない。ほんとうに厄介ですね。
https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1376

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仕事について思うこと

 ぼくはあまり"仕事"というものに期待していない。なんでかって、ーーそれを説明するのはとても難しい。だからぼくの自論に焦点を絞って書くことにする。
 対価とは自身の自由を売ることで得られる。それがおそらく"働く"ということだ。その絶対的な要素として挙げられるのが"時間"であり、私たちは、自身の自由な時間を仕事に分け与えることの対価として給料を得ている。
 これは間違いのないことだ。

 しかし、こ

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学校教育とは 2

 現学習指導要領の要として示される「主体性」と「対話性」はおよそ教育思想的な立場における概念であり、思想とは各人の教育観(そこには人生観なり人間観が暗に含まれています)がもともと恣意的な性質を持つものであるからこそ、在るべき方向に修正しようという目的を含んでいます。「私はこう思うからこのように教育する」という個人的な意識の内に「でも本来はこうあるべきである」と、いわば楔を打つようなかたちで調和を要

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学校教育とは

 好きというより、たぶんこの事を考えるのをただ好んで続けてきたので、ちょっと文章にして人に伝えるものとしてまとめてみたいと思う。

 ところで、学校教育とはーって、なんだか学校教育についてハウツー本よろしく「〇〇はこういうものです」と判を押すようなニュアンスを感じてしまって好きじゃない。要は「〇〇とは」といった時に、既にそれぞれの頭の中にある地図(これこれはこういうものだ、というような)を無遠慮に

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