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堕ちた先で、這い上がれないことだってある。

「あー、やっと同じところまで堕ちてきてくれたのに。」

それが、ナギちゃんの本心だと分かったから、ただ黙って耳を傾けることしかできなかった。

「コロナ禍になって、正直ホッとしたんです。
こんなこと言っちゃいけないかもしれないけど。

私ね、障がいを持ってから、ずっと世界から置いてきぼりにされたような気がしていたの。

下半身の感覚は全くないから、ずっと車椅子で過ごす。気軽に外に出られない。
排泄したいかどうかもわからない。定期的にトイレに行って管を入れて、溜まったのを出す。
そればかりか、ご飯だって毎日お母さんが持ってきてくれて、口に運んでくれるのを待つだけ。

そんなの、まるで小鳥みたい。

生きてるってかんじがしない。

呼吸をする。心臓がうごく。
栄養を入れて、いらなくなったものを出す。
人間が生きるのに最低限必要なものって、そういうことだって思ってるでしょ?でもね、そんなの生きてるってかんじがしないよ。毎日毎日、ただ呼吸をして、心臓が動いて、ごはんを食べて、うんちやおしっこをするだけの生活、それも、ぜんぶ誰かに頼らないとできない生活、そういう生活を、したことがある?」

「…ないです。」

「世界がコロナ禍になった途端にね、誰もが気軽に外に出られなくなったし、仕事とか暮らしとか、そういう何気ない楽しみまで制限されたでしょ?

そしたらね、みんなが、家の中にいなさいって、小鳥にされたような気がした。

そしたら、なんか急に、やっとみんなが同じ目線に立ってくれたような、言葉は間違ってるかもしれないけど、そんな、嬉しい気持ちになった。

 それなのに、コロナがこうして落ち着いてきて、またみんな外へ出るようになったでしょ。
コロナになった人だって、ちょっと隔離されて孤独な思いをしても、また元の社会生活に戻っていくでしょ。

それで、思っちゃったんだ。

あー、やっと同じところまで堕ちてきてくれたのにって。最低だよね私。わかってる。だけど、本当に、そういう気持ちになった。

最低、最低。」

訪問看護師として、ナギちゃんのおうちに行くようになって、2年が経とうとしている。

ナギちゃんの真剣な眼差しと嘘のないその言葉に、返せる言葉が、何もなかった。

看護師になって6年が経った。
「言葉」に対して「言葉」を何ひとつ返せなかった、はじめての、にがく苦しい、ひとときだった。

認知症の方の食事介助中に、おみそ汁を投げられたことがある。白いナース服が茶色く染まっても、その方を抱きしめることができた。
「大丈夫。」の言葉と、人の肌のぬくもりは、優しい魔法だった。

命の終わりがもう間もなく近づいていることをわかった上で、私たちが返答に困ることを知りながら、「まだ生きられる?」と頻繁に聞いてくる方がいた。その方の手をただ握り、言葉を返した。
「まだ生きたいと、そう思える日々を過ごせている。そのことが、何よりも、豊かで、素敵にみえます。そんな日々を過ごすお手伝いをさせていただけていることが、私はとても幸せです。」



ひとえに病気と言っても、その一人一人から発せられる言葉は異なる。性格も違えば、暮らしてきた生活の背景も違い、同じ病気に罹患しても、考えることだって死との向き合い方だって何もかもが違う。

だからこそ、どの方と対峙する時も、あらゆる言葉の引き出しを片っ端から開けて、なんとか、その時にかけられる最善の言葉を尽くしてきた。

つもりだった。

だけど、今度ばかりは、涙ひとつ浮かべないナギちゃんの瞳に見つめられ圧倒されるばかりか、本当に何の言葉も、返すことが、できなかった。



「今まで諦めていた沢山のことが、リモートで家の中でも出来るようになったでしょ?

これまで何度も何度も、そんな夢のような世界に憧れては諦めていたことが、一気にリアルになったの。

自分ごとになる人が増えると、行政も、大企業も、こんなにもちゃんと応じてくれるようになるんだなぁって。それってもしかしたら、世界はマジョリティー側が生きやすい世界にしかならないことの表れなのかもしれない。

でもね、それでも、心の底から、コロナ禍がつくったこの世界に、あー助かったって、そう思うんだよ。

ほら、家でライブを観られるようになったでしょ。
諦めていたYOASOBIの生ライブ、この前、おうちで『参加』することができた。夢のようだった。こんな日がくるなんて。本当に、嬉しかった…。5年間、頑張って、生きて、よかった。」

ナギちゃんが脊椎損傷になったのは5年前。
大好きな馬から落馬した。将来の夢が絶たれた瞬間だった。

そこから血の滲むような努力で車椅子で生活ができるようにリハビリに励み、おうちで暮らせるまでに回復した。状況からいって、奇跡に近いことだった。

身体のリハビリだけではなく、心のリハビリも、相当頑張ってきたということは、これまでのナギちゃんの言葉一つ一つから、痛いほど伝わってきた。

「それと同時にね、コロナに研究費の多くを投じられて、どんどん創られていく新薬や治療法を、羨ましいなぁと思っちゃう自分もいるよ。

世界中の人を救う研究なんだから当たり前ってね、頭では分かってるの。それでもね、これまでは新薬ひとつ創るだけでものすごい歳月がかかってたじゃない?承認されたって治験までもっていくのにすら莫大な時間を要していたのに、コロナに関する治療や予防法は、物凄いスピードで進んで、広まって、ああ、こんなにも世界の優秀な研究者が集まって力を合わせると、治せない病気なんてないんじゃないかって、期待さえしちゃうの。

もしも、私のこの障がいを世界中の人が背負うことになれば、同じようなスピードで治療薬を創ってくれるのかなぁ、なんて。

とてつもなく酷いことを、考えてしまうの。」


その日の気温に合わせた服を真剣に選ばないと、寒くても暑くても痛みで死ぬ思いをする。服を選ぶことすら命懸けの毎日。ナギちゃんにとっての当たり前も、それは少数派の毎日。

いざ出かけても、トイレが心配で長くは外出できない。行く前に丁寧に摘便も導尿も必ず行う。
そこまでしても、ほんの1km圏内の世界でしか生きることができない。これも、ナギちゃんにとっての当たり前。もちろんこれも、少数派。

カフェやレストランは、まず車椅子で入れるスロープがない時点で門前払いをくらうし、坂道や砂利道を避けて道を選ばないといけないし、4車線道路の長い横断歩道は、信号が青のうちに渡り切れるかどうかの、そういう冷や汗の連続なんだと教えてくれた。それは、ナギちゃんと同じく、"少数派"の人々が抱える、"大多数"の意見だった。


ナギちゃんの視点でこの世界を見渡すと、この世界は随分と、暮らしづらい部分が、沢山ある。

課題は山積みだ。

私たちは、義務教育の中で、嫌というほど「人の気持ちになって考えなさい」と教わって育ってきた。
私が小学1年生だった20年前と、道徳の教科書の内容は未だ変わらない。

そんな教育を受けて育っても、その人たちがつくってきたこの社会は「人の気持ちになって考える」社会と、ちょっと遠いところにあるままだ。

マイノリティーの意見を片っ端から汲み取って社会をつくるなんて、そんな難しいことはない。
その難しさを後回しにしてきた。苦しんでいるのかもしれない人達を横目に、通りすぎてきた。

いろんな人間が共存するこの地球は、どんな社会であれば、万人が豊かに生きることができるのだろう。

コロナによって、多くの人が亡くなった。
悲しみに暮れる日々もあった。
我慢を強いられる苦痛も十分に味わった。

だけど、これまでの何も進まなかった社会を、皮肉にも「コロナが変えた」という見方も、出来るのかもしれない。

オンラインの普及が、家でしか過ごせないマイノリティー側の人々に、マジョリティー側の人々と同等の豊かさをもたらしたのも、そのひとつだ。

私はナギちゃんのように、胸を張って「コロナ禍になってよかった」とは言えない。
コロナによってこの世を去った、他の方の『言葉』とも、たくさん向き合ったからだ。

家族でも、愛する人でもなく、たまたま担当になった看護師である私に、最期の瞬間を看取られていった方々を思う。

これで良かったのかといえば、絶対に首を縦には振れなかったけれど、「家族に迷惑をかけずに逝けて幸せだよ。」と、そうおっしゃった方のあの手の温もりを、私がご家族の代わりに、覚えて生きていくことはできる。

苦しみながら死ぬという、ご家族が背負いきれない悲しみの瞬間を、代わりに背負って生きていくことはできる。


「どう生きるか」難しい問いだ。
なら、どう生きたいかと問われれば、一言で言えば、幸せに生きたい。

全ての人が、幸せに生きたい。

どうしてそれが難しいのかといえば、生きることが、ただの生命活動ではないからということだ。

それを教えてくれたのは、ナギちゃんだった。

私たちには、生きる社会がある。
ただ生きているのではない。社会の中で、生きている。その社会が、どうあれば幸せに生きられるのかということが、ただの生命活動を超えたところにある、生きる意味なんだと思う。

「生きる意味なんてないんですよ。
ただ、生きてるだけ。生まれたからただ生きてる、それだけ。考えたって無駄なこと。」

そんな言葉を、何度も耳にしてきた。

「生きる意味はない」と言い切れないその理由は、私たちが生きるこの社会に、生きる意味を見い出すことができるからなんだと思う。

たとえただ生きているだけと言えども、働くことも、生きるために消費することも、この街が動いていることも、それに気づかないうちに参加していることも、全部社会活動の一貫だ。

あなたが歩いているその道は、だれかが作ったアスファルトで、あなたが止まったその信号機は、だれかが今この瞬間も正常に動くようシステムを構築していて、あなたが着ているその服も、誰かが一本の糸から紡いでいて、あなたが住んでいるその家も、誰かが家賃の計算をして、誰かが管理していて、誰かが隣の部屋の居住者を探して走り回っている。

「ただ生きてるだけ」は、生きてるって言えないらしい。

生きる意味とか考えても仕方ないことを考えてしまうのは、この社会の一員としてどう生きていたいかに思いを馳せているからなんじゃないかって、私はそんなふうに思う。

生きやすい社会で、幸せに生きたい。

そのために、生きやすい社会になるように、今の生きにくい部分を変えるには、膨大なエネルギーがいる。

だからこそ、私たちは躊躇する。

今のままでも "私は" 構わないから。


この未曾有の感染症パンデミックは、そんな、"私以外" になかなか目を向けられずに変わることのできなかった人間への、

「前に進め。視野を広く持ち、変わってゆけ。」

という、なんらかの警鐘にも聞こえた。


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