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帰郷、畑がー

しばらく関東でふらふらと生活し、先日実家へ戻ってきた。関東では主に横浜と東京にいたので、近日中にブラナカオ東京山手線「西」編を出したい。なかなか東京でまち歩きの楽しみ方を見出すのに苦労した。長崎とは内容が異なるが、「へえ」と思うこともあったのでいずれ報告したい。


すっかり春らしくなって、厚手のジャケットもクリーニングに出してしまった。実家に帰ると、春の陽気で畑の野菜たちもすくすくと育ってくれていて驚いた。

そら豆が花をつけるまで大きくなっていた。やはり一番のドーピングは肥料でも栄養剤でもない、暖かい太陽光に限る。

そら豆はこれからツルを伸ばして縦に横に成長する。その支えになるものを用意してやらねばならないのだが、今ウチでは網が不足していたので、竹で代用することにした。

山で切り捨てられた竹を拾ってきて、適当に枝と葉を落として土に突き刺して網代りにする。網と違ってグニャグニャと絡まったりしないので、楽だし金もかからない。日陰を作り過ぎないようにしてやれば大丈夫だろう。

赤花絹さや、兵庫絹さやの方は一応あとで網を買ってきて張ることにした。

家裏の畑で作ったキャベツで、カプセルを被せていなかった方もちゃんと成長している。雪に埋もれて、ぺしゃんこしなしなになったときはもう駄目かと思った。植物には骨は無いが、根がある。本物の根性というものを見せてもらった気分だ。まだ巻いていないけど、そのうち形になっていくだろう。


竹を拾うついでに、山の畑の様子も見に行ってきた。

雑草がよく生えている。育てていた二十日大根は家族が全部収穫して食べてくれていたらしい。ほうれん草は一見、全然手をつけていないではないかと思われたが、これでも頑張って収穫してくれたらしい。にわかには信じられないが、僕がいない間、どれだけ収穫して食べても続々と育つほうれん草に家族は辟易していたそうだ。

ウチだけでは処理しきれず、近所のおばちゃんにもあげていたらしい。僕が帰った時にはもう花が咲き始めていて、食べられる状態ではなくなっていた。母は日参で収穫し、1日2食食べていたそうだが、採っても採っても減らない。収穫後の空いたスペースに向かって日に日に葉を広げていくほうれん草。米よりも食卓に頻出するほうれん草。仕舞いに母は「緑のウンコが出るわ!」と言い、本日ここに我が家のほうれん草生活は幕を下ろした。僕だけは今日の晩御飯でしか食べていないのだが。一日だけだが美味しくいただいた。
こんな小さな畑の小さな畝で、みどりのウンコが出そうになるほど収穫できるとは思わなんだ。


山の畑の玉ねぎはひどい状態だった。日陰で作物の育ちが遅い。それに加え、山の動物の侵入を許してしまい、玉ねぎの葉が食い荒らされていた。

あちこちに獣の足跡が見られた。通路を作っても奴らは平気で柔らかい畝の上を歩いてくれるのでトラッキングしやすい。これは鹿だろうか。彼らはそこいらに糞という犯行声明を残す。政府が国際テロ組織と戦っているように、我々も害獣というテロリストと日々戦っているのだ。だが、テロリストという我々の生活を脅かす非常識は、我々の常識から滲み出た錆だ。この一見平穏な社会も彼らを生んだ責任を負っているのかもしれない。安全保障も獣害対策も主に殺傷という方法をとるが、かなしいかな、究極の手段をもってしても思い通りにならないのが現実である。

これからどう対策しようか。今は柵を立てるだけの専守防衛でやってきたが、やはり今後、猟銃を手に敵基地攻撃も検討すべきか...

今年は解散総選挙するだろうか。自衛隊の敵基地攻撃能力の保持が争点になったら、僕も山に攻め入る準備でもしようかなあ。すでに領土侵犯されてるわけだし。でも、もし共産党が政権とったりなんかしたら畑の柵は壊した方が良いのかな...。


山に行ったら筍が生えていた。いくつか食べられそうなのをお持ち帰り。










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