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僕の劣等感①

周りと比べて圧倒的にできないことがある。
出来ないことはやはり悔しい。出来ないという事実が劣等感となって僕を襲う。
こうした幾つもの劣等感が僕を歪ませていく。

僕が子供の時からどうしても出来ないこと…今回扱う劣等感…。それは、
「ボディタオルで泡立てができないこと」だ。

…わかってくれるだろうか?
どうかここで読むのをやめないで…。最後まで読んでください。

…概要を説明する。

銭湯や温泉などの浴場で、多くの人は2種類のタオルを用意する。バスタオルとボディタオルだ。
そしてボディタオルを持って体洗い場に向かう。

自分の家だとゴシゴシタオル(泡立てやすいあのタオル)があり、それで泡立てて体を洗う人も多いだろう。しかし、浴場ではそれを持っていくことはほとんどない。荷物になるし。
そのため、多くの人はボディタオルで泡立てしてタオルで体をゴシゴシ洗うのではないだろうか。
でも、なぜか僕はこれが出来ない。どうやっても泡立たないのだ。

もちろんゴシゴシタオルだと容易に泡立つ。でも、ボディタオルだとどうしても泡立たない。
どんなにボディソープを使っても泡立たない。

そこで隣の人をチラッと見てみた。
…ボディタオルで体をゴシゴシ洗ってるではないか。
この差はなんだろうか。他の人が当たり前にできることができない。
僕が泡立てようとすると水が多めのボディソープになるだけだ。あの泡泡した感じにどうしてもならない。なんなら陰毛の方が泡立つ。ってか陰毛めっちゃ泡立つ。
しかし、陰毛で泡立てるのは負けた感じがする。陰毛で泡立てた泡は心なしか爽快感がない。汚い感じがする。

仕方なしに泡立てを試みたタオルで洗おうとする。泡立っていないのでこれも何となく爽快感がない。渋々手でボディソープをつけて体に塗ったくる。
しかし、この行為は敗北感や劣等感を体に塗っているような気がしてならない。たかが、体を洗う行為で負けを味わわないといけないのか。浴場に行って体を洗うだけで、毎回。

普通の人間はどうしてタオルで泡立てられるのだろうか。どんなコツがあるのだろうか。それとも小学校とかで習ってるのだろうか。僕がたまたまその「タオルで泡立てるコツを教えるだけの授業」の時に休んでしまったのだろうか…。
やっぱりセンスなのだろうか。きっと自分は泡立てるセンスがないのだ。周りが当たり前にできる、泡立てるという行為のセンスがないのだ。でも、たかが泡立てるだけの行為にセンスなんているのだろうか。単純に生活力がないのではないか。

たとえ少しだけギターが弾けても、泡立てる行為には適わない。人前でギターを披露する機会より、人前で泡立てる行為の回数の方が圧倒的に多いのだから…。こうして僕の自己肯定感は下がっていく。泡立てるという誰しもができる行為が出来ないがために…。
どうせ陰毛でしか泡立てられない陰毛野郎なんだ。

とてつもない欠陥人間なんだ…。

クソどうでも良い事を書き連ねて、ロックンロールでギリギリ生きてます。