チャイコフスキーの『スラヴ行進曲』

日本が幕末を迎え、1867年に江戸時代が終わる頃、ロシアの作曲家であったチャイコフスキーは、27才であった。

クリスマスになると街中で耳にする『くるみ割り人形』も、チャイコフスキーの曲であることは有名である。

そのチャイコフスキーが、36才のときに作曲した『スラヴ行進曲』は、もの哀しいメロディーから始まるのだが、この曲は、セルビアのスラヴ民族がオスマン帝国軍に殺害されたのを追悼するための曲だった。

1876年に作曲されたとき、日本は、明治時代の前期だったわけであるが、当時のヨーロッパやロシア帝国は、今のウクライナをめぐる対立とほぼ同じような状況だった。

チャイコフスキーが今の中高生くらいの年頃だったとき、つまり1850年代前半は、クリミア戦争が起こった。

クリミア戦争は、今のトルコにあたるオスマン帝国軍とイギリス・フランスの連合軍が、ロシア帝国軍と衝突した2年半に及ぶものであった。

そのクリミア戦争で、傷ついた兵士たちをたくさん介抱したのが、イギリス人のナイチンゲールであった。

クリミア戦争が始まる1年前に、日本に、アメリカのペリーが黒船で来航したのは有名な出来事である。

戦争の時代を生きたチャイコフスキーによって名曲が生み出され、戦争が起こったことによってナイチンゲールの功績が結果的に世に広まった。

そして、日本は開国を迫られ、江戸時代は終焉を迎えた。文明開化が起こり、西洋の文化が一気に流入してきたのは、その直後である。

たまたま、チャイコフスキーのスラヴ行進曲を聴いて、こうした歴史があったことを思い出したのだが、2020年代は、これから何が生み出されるのだろうか。

私たちは、今の時代に生きながら、日々の思いを形にして後世に残す必要があるだろう。

それが音楽であってもいいし、文章であってもいい。

私は、当時のスラヴ行進曲を聴きながら、このnoteに記事を書いてみた。

スラヴ行進曲、一度聴いてみてください。




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