るる古典

名称変更しました(旧称:阿留多)。絵は試行錯誤中。 日本の古典文学の面白さを伝え隊隊員…

るる古典

名称変更しました(旧称:阿留多)。絵は試行錯誤中。 日本の古典文学の面白さを伝え隊隊員。書店に足を運ぼう会会員。 連絡などは個人サイトからお願いします →https://heian.jpn.org/

マガジン

  • 古典の中の「ひと」

    歴史物語や日記などの古典作品には、歴史上の人物たちの素顔が生き生きと描かれています。 その中でとくに面白いと思ったものをより抜いてマンガ化しました。

  • 古典の物語

    日本の古典作品のマンガ化。 『宇治拾遺物語』以外の物語作品は、こちらにまとめます。

  • マンガ化・宇治拾遺物語

    古典作品『宇治拾遺物語』を一部マンガ化しました。 ロマンチックだったり、切なかったり、下品だったり、さまざまなテイストの作品が集まっています。

記事一覧

固定された記事

【お知らせ】名称を「るる古典」に変更しました(旧称:阿留多)

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10か月前
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運命に愛された女院【建春門院の話・5】

鎌倉時代初期に、元女房の健御前によって書かれた古典作品『たまきはる』より、御所の火事の話を漫画化しました。 *原作『たまきはる』(健御前 著/使用テキスト:岩波…

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1か月前
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運命に愛された女院【建春門院の話・4】

鎌倉時代初期に、元女房の健御前によって書かれた古典作品『たまきはる』より、高倉天皇の行幸(=外出)部分を漫画化しました。 *原作『たまきはる』(健御前 著/使用テ…

るる古典
7か月前
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運命に愛された女院【建春門院の話・3】

鎌倉時代初期に健御前が記した古典作品『たまきはる』の一部を漫画化してご紹介します。 今回は作者が過ごした建春門院御所での日々のお話です。 *原作『たまきはる』(…

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7か月前
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運命に愛された女院【建春門院の話・2】

鎌倉時代初期に健御前が記した古典作品『たまきはる』の一部を漫画化してご紹介します。 今回は健御前がはじめて建春門院の御所に出仕したときのお話です。 *原作『たま…

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7か月前
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運命に愛された女院【建春門院の話・1】

鎌倉時代初期に健御前が記した古典作品『たまきはる』の一部を漫画化してご紹介します。 今回は後白河院の妃・建春門院にまつわるお話です。 *原作『たまきはる』(健御…

るる古典
8か月前
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かたくるしくない教訓書(『十訓抄』の話)

『十訓抄』という古典をご存じでしょうか。 「じっきんしょう」もしくは「じっくんしょう」などと読む、鎌倉時代に書かれた古典です。 内容については、私が高校時代に使…

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9か月前
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富豪の皇女の素顔【八条院の話】

今回は鎌倉時代初期に書かれた古典作品『たまきはる』から、鳥羽上皇の娘である八条院についてのお話です。 八条院は、両親から譲り受けた膨大な荘園を所有する大富豪でし…

るる古典
10か月前
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大貴族の庶子に転生したので蓄財と趣味を極めてみた【橘俊綱の話】

藤原頼通(道長の嫡子)の次男、橘俊綱(たちばな の としつな)の話。 『今鏡』掲載のエピソードが元になっています。 俊綱の前世がお坊さんで、転生して生まれ変わった…

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10か月前
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王朝ご長寿列伝【藤原彰子、佐理女の話など】

87歳まで生きた藤原彰子昔の人は現在よりも寿命が短かったといわれますが、平均寿命についてはそのとおりであっても、長生きする人も当然いました。 平安時代、『源氏物語…

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10か月前
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「京は人を…」

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弓狂い

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ワン公、道長公を救う

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お師匠さまの愛のムチ

るる古典
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大往生したはずなのに

るる古典
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【お知らせ】名称を「るる古典」に変更しました(旧称:阿留多)

noteページの名称を「るる古典」に変更しました(旧称:阿留多)。 古典をテーマにしたページであることを、より明確にしたいと思ったためです。併せてアドレスも末尾を「arutacomic」から「ruru_koten」に変更しました。 しばらくnoteからも絵からも離れていましたが、その間にもいろいろな古典作品に触れて、やっぱり自分はこの世界が好きだなと、しみじみ思いました。 それと同時に、世の中の古典離れ、本離れの激しさに危機感を強めています。 この流れに抗うため、微力である

運命に愛された女院【建春門院の話・5】

鎌倉時代初期に、元女房の健御前によって書かれた古典作品『たまきはる』より、御所の火事の話を漫画化しました。 *原作『たまきはる』(健御前 著/使用テキスト:岩波書店 刊 新日本古典文学大系 50『とはずがたり・たまきはる』 ) *後半に登場した鳥羽天皇皇女・八条院の話はこちら↓ 『たまきはる』建春門院篇1はこちら↓ 後白河院の御所・法住寺殿(ほうじゅうじどの)は京の外れ、鴨川を渡った先にあり、広大な面積を占めていました。現在の三十三間堂の敷地も、この中に含まれます。 後

運命に愛された女院【建春門院の話・4】

鎌倉時代初期に、元女房の健御前によって書かれた古典作品『たまきはる』より、高倉天皇の行幸(=外出)部分を漫画化しました。 *原作『たまきはる』(健御前 著/使用テキスト:岩波書店 刊 新日本古典文学大系 50『とはずがたり・たまきはる』 ) *同じ『たまきはる』から、鳥羽天皇皇女・八条院の登場部分を漫画化した記事はこちら↓ 『たまきはる』建春門院篇、最初のお話はこちら↓ 『たまきはる』には、天皇の行幸についての記事が何回か出てきます。 今回はそのうち、朝覲(ちょうきん)

運命に愛された女院【建春門院の話・3】

鎌倉時代初期に健御前が記した古典作品『たまきはる』の一部を漫画化してご紹介します。 今回は作者が過ごした建春門院御所での日々のお話です。 *原作『たまきはる』(健御前 著/使用テキスト:岩波書店 刊 新日本古典文学大系 50『とはずがたり・たまきはる』 ) *同じ『たまきはる』から、鳥羽天皇皇女・八条院の登場部分を漫画化した記事はこちら↓ 『たまきはる』建春門院篇、最初のお話はこちら↓ 御所にどんな女房がいたか、なにを着用していたかが、『たまきはる』には詳細に書かれてい

運命に愛された女院【建春門院の話・2】

鎌倉時代初期に健御前が記した古典作品『たまきはる』の一部を漫画化してご紹介します。 今回は健御前がはじめて建春門院の御所に出仕したときのお話です。 *原作『たまきはる』(健御前 著/使用テキスト:岩波書店 刊 新日本古典文学大系 50『とはずがたり・たまきはる』 ) *同じ『たまきはる』から、鳥羽天皇皇女・八条院の登場部分を漫画化した記事はこちら↓ 『たまきはる』建春門院篇・1はこちら↓ まだ12歳だった健御前(女房名は「中納言」)は、親たちの話し合いによって、突然、上

運命に愛された女院【建春門院の話・1】

鎌倉時代初期に健御前が記した古典作品『たまきはる』の一部を漫画化してご紹介します。 今回は後白河院の妃・建春門院にまつわるお話です。 *原作『たまきはる』(健御前 著/使用テキスト:岩波書店 刊 新日本古典文学大系 50『とはずがたり・たまきはる』 ) *同じ『たまきはる』から、鳥羽天皇皇女・八条院の登場部分を漫画化した記事はこちら↓ 八条院の記事にも書きましたが、『たまきはる』には三人の女院が登場します。 鳥羽天皇皇女・八条院、後鳥羽天皇皇女・春華門院、そして今回取り

かたくるしくない教訓書(『十訓抄』の話)

『十訓抄』という古典をご存じでしょうか。 「じっきんしょう」もしくは「じっくんしょう」などと読む、鎌倉時代に書かれた古典です。 内容については、私が高校時代に使用していた国語便覧には「少年たちに善を進め悪を戒めるため、十箇条の主題に従って内外の多くの文献から、約280の教訓的例話を採録している」(『新修国語総覧 新版』京都書房)などと書かれていて、お世辞にもとっつきやすくはなさそうに思えます。 実際わたしも「堅苦しい内容の教訓や、坊さんの出家・成仏話ばかりの本なのかな」と

富豪の皇女の素顔【八条院の話】

今回は鎌倉時代初期に書かれた古典作品『たまきはる』から、鳥羽上皇の娘である八条院についてのお話です。 八条院は、両親から譲り受けた膨大な荘園を所有する大富豪でしたが、彼女に仕えた女房が見た、その素顔とは? 古典作品『たまきはる』から、八条院にまつわる部分をマンガ化しました。 この作品を書いたのは、歌人として有名な藤原俊成の娘であり、同じく歌人として有名な定家の姉である健御前(けんごぜん)。 女房として仕えるときは「中納言」と呼ばれていた女性です。 健御前はその生涯の中で、

大貴族の庶子に転生したので蓄財と趣味を極めてみた【橘俊綱の話】

藤原頼通(道長の嫡子)の次男、橘俊綱(たちばな の としつな)の話。 『今鏡』掲載のエピソードが元になっています。 俊綱の前世がお坊さんで、転生して生まれ変わったという話は『今鏡』以外の古典にも取り上げられています。 そんな話がまことしやかにささやかれるくらい、俊綱が印象的な存在だったということでしょうか。 『今鏡』は俊綱の境遇に対して、わりと同情的な書き方をしています。 支配者層の頂点にいる頼通の子として生まれたにもかかわらず、俊綱は他家に養子に出されてしまい、大臣や納

王朝ご長寿列伝【藤原彰子、佐理女の話など】

87歳まで生きた藤原彰子昔の人は現在よりも寿命が短かったといわれますが、平均寿命についてはそのとおりであっても、長生きする人も当然いました。 平安時代、『源氏物語』の作者・紫式部が仕えた上東門院(藤原道長の娘・彰子。一条天皇中宮)は90歳近くまで長生きしました。 後の人からは「めったにない幸運の人だが、あまりにも長生きをしすぎたのが玉に瑕(きず)だった」などと言われたり、彰子自身も子に先立たれた時に、「『長生きしすぎたからこんな憂き目にあった』と周りから思われているだろうこ

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「京は人を…」

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