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秋分の日を前に。

人にはどう見えているか解らないけど、私はたぶん、ずっと孤独だった。

若干毒親気味な母と子どもに優しい父、兄と姉との五人家族で、特に不自由なく育ったはずだったけれど、小学校高学年くらいから生きづらさを感じることが多くなった。どうやら自己肯定感ってやつが相当低いらしい、と自覚したのは20歳で実家を飛び出してからだけど、それよりはるか前から「寂しい」「ここじゃないどこかに行きたい」という中二病的な気持ちに、無性に苛まれることがあった。

10代後半からは、その時々で恋人ができた。でもどれほど相手を想い想われていても、その寂しさが消えることはなかった。「結婚したらこの寂しさは消えるかもしれない」という淡い期待もあり、早く結婚して自分の家族が欲しかったけれど、ことごとくうまくいかなかった。「結婚」がしたいだけだろう、と相手に見抜かれていたのかもしれない。

寂しいと思う気持ちが最も強くなるのは、なぜか自然豊かな風景のなかに身を置いたときだった。美しいな、と思うと同時に孤独感が湧き起こるのだ。高校生の頃、両親と田舎にドライブ旅行に行った帰り道、その気持ちが急に高ぶって、後部座席でこっそりさめざめと泣いた記憶さえある。ちなみに私は兵庫県西宮市の市街地の出身で、豊かな自然とはあまり縁なく育っている。自分でもわけがわからなかったし、その想いは誰にも伝えたことがなかった。


大学生の頃には、身近な自然の美しさをカタチに残したくてコンパクトデジカメを持ち始めた。アルバイト代を貯めてひとりで海外に行っては、どこに行ったかわからないような空や草花の写真ばかりを撮っていた。相変わらず自己肯定感は低かったけど、自分が思う「美しさ」にだけはなぜか自信があって、誰になんと言われようと平気でいられた。

会社員になり初めてのボーナスでデジタル一眼レフカメラを買ってからは、一層写真を撮るのに夢中になった。アマチュアのグループ写真展に何度か出展したところ、友人に「ものすごく寂しそうな写真ばかりで、こっちまで泣きそうになった」と言われたこともあった。ちなみに私が趣味で撮る写真には、ほぼ「人」が写っていない。




そうして撮った写真をブログに載せ、日記のようなものを書いているうちに、写真を教えてみないかと声をかけられた。当時の主流だったガラケーのカメラやコンパクトデジカメで、ブログに載せるための写真をほんの少し上手に撮るコツをまとめた講座。呼ばれるがままに講師業を続けていると、ある回に珍しく男性受講者がふらりとやってきた。


同じ大学出身であることを偶然知って一気に距離が縮まり、話していて楽しいなと思っているうちに会う回数が増え、その男性と付き合うことになった。それが今の夫である。

夫は私よりひとつ歳上なだけなのに妙に落ち着いていて、日本男児っぽい硬派なところと、誰にでも好かれる柔和なところを併せ持った、不思議な空気の持ち主だ。その印象は今もほとんど変わっていない。そんな夫と出会ってから、寂しいと思うことがだんだん減っていった。夫いわく、付き合ったばかりの頃の私は毎晩歯ぎしりをしていたらしい。でも最近しなくなったね、と数ヶ月経った頃に初めて教えられて赤面したこともあった。

結婚したかったはずの私は、夫の「あと五年くらいは独り身でいたいんだよね〜」という言葉を、まあそれならそれでいいか...とすんなり受け容れた。結婚することよりも、夫と一緒にいられることの方が私にとってはるかに重要だったのだ。

とはいえ流れというものは面白く、あれだけ当分結婚はしたくないと公言していた夫がなぜかあっさり路線変更し、付き合ったその日のちょうど一年後に籍を入れて夫婦になった。2010年9月23日、秋分の日のことである。

低い自己肯定感をこじらせ、一生結婚出来ないかもと密かに思っていた私からすると、信じられない急展開だった。私でいいの?とは怖くて聞けなかったけれど、せっかく結婚出来たのだから、この人に後悔だけはさせまい、と心に決めた。

夫は飛騨高山の出身だった。それまで一度も行ったことがなかったけれど、結婚を機に年に数回義実家に帰省するようになり、高山の風景が大好きになった。結婚して数年は夫婦ふたりでのんびり気ままに過ごし、お互い好きな仕事に精を出した。私は結婚を理由に勤めていた会社を辞め、個人事業で写真関係やその他色々な仕事をしていたし、夫は私と出会った頃には既に独立して自分の会社を作っていて、紆余曲折を経ながらも着実に事業を育てていた。

夫と一緒にいるようになってから、日々の暮らしのなかで寂しさを感じることはなくなったものの、高山に帰省したり旅行で田舎に行ったりすると、時折それを感じることは続いていた。でもそれは非日常での出来事であり、さして気には留めていなかった。


そうこうしているうちに2013年に長女が生まれ、2015年に次女が生まれた。その頃から夫の首都圏での仕事が忙しくなり、週末にしか大阪の自宅に返ってこない生活が始まった。2歳差の姉妹を平日完全ワンオペ育児で相手しながら、仕事も家事もこなす日々。週末しか家にいない夫はゲストのようで、正直なところ生活を共にしている感は薄かった。

そして私はまたあの寂しさや息苦しさを感じるようになった。夫が現実的に家にいないのだから当たり前と言えば当たり前なのだけど、それだけでは説明のつかない何かがあった。もっと仕事をたくさん詰め込んでみよう、と頑張って働いた時期もあったけど、それでは寂しさは減らないどころか、子どもたちに対してイライラすることが増えてしまっただけだった。

夫がもう少し家にいてくれれば......とは思っていたし伝えてもいたけれど、なかなか状況は変わらなかった。仕事に専念したいからまだ結婚したくない、と言っていた人が早々に結婚を決断したのだ。少しでも仕事に身を入れられる環境を作ってあげたい、という私の気持ちにも嘘はなかった。そこで夫に変化を求めるのではなく私自身で何かできることはないかと試行錯誤し始めた。それまで抱えていた仕事を一旦手放し、元々好きだった暮らしの手仕事に割く時間を増やしたりもした。そうして気持ちに余白ができたときに三女を妊娠、そのなかでふっと気づいたことがあった。

寂しさや息苦しさの原因は、夫がいないことそのものではなく、夫がいないことにより時間の自由が効かないことだった。自由が効けば何がしたいのか、どう過ごしたいのか、心の声によくよく耳を澄ませてみたら「自然のなかで暮らしたい」という素朴な応えが返ってきた。

昔から自然の中で感じていた寂しさは《その風景のなかに自分が暮らしていないこと》《じきにそこから離れなくてはいけないこと》への寂しさだったのだともこの頃ようやく気がついた。ずっとこういう場所にいられたらいいのに、という私自身の本当の望みに気づくまでに、ものすごく時間を要してしまったのは、自己肯定感の低さとも無関係ではないと思う。


自然豊かな環境で暮らしたいなら、我が家の場合夫の故郷である高山に移住するのが一番の近道だった。それまでにも夫との間で移住の話は出ていたけれど、夫の仕事が忙しすぎて立ち消えしかけていたことは否めない。それならば私が動くしかない、と三姉妹の平日ワンオペ育児+13ヶ月違いの年子で長男妊娠というなかなかハードな状況のなかで、私が旗を振りながら移住の準備を進めた。長女の小学校入学に間に合わせたい、というリアルな締め切りもあり、2019年の夏以降はめまぐるしくてもはや記憶が曖昧なくらいである。


そうしてなんとか2019年の年末には、大阪から高山に家族で移住することができた。義実家に居候しながら年始早々築40年の家で荷解きを始め、暮らし始めたばかりの自宅の和室で2月に長男を出産。産褥期間で臥せっている間に、テレビが連日コロナのニュースを流し始めた。4月に長女が新一年生になったものの、入学式の翌々日から2ヶ月休校という未曾有の事態。移住と出産の直後にコロナ禍が始まり、なにがなんだかよくわからないまま始まった高山暮らし……。


どうせ夫があまり家にいないなら……というキッカケで実行した高山移住だったけれど、コロナ禍のお陰で夫の仕事のリモート率はぐんとあがり、夫が自宅にいられる日は大阪にいた頃よりも増えた。
今は夫の在不在が1週間交代、という生活ペースで安定している。半分ワンオペなことに変わりはないが、義両親の温かいサポートもあり、特に大きなストレスを感じることなく過ごせている。


夫がいる週は夕飯づくりは夫に丸投げ、私よりはるかにキレイ好きなので細かいところの掃除や片付けもマメにやってくれてありがたい。何より夫がいると私の気が緩むし、そのせいか子どもたちも楽しそうだ。

夫がいない週はタスクが多く、日々淡々と過ごしている感はあるけれど、そのぶん長女や次女はよくお手伝いをしてくれるし、私も自分のペースで色んなことを進められて気楽な部分もある。

どちらにもそれぞれに良さと不便さがあるけど、どちらにせよすぐそばに庭や畑があり、常に鳥や虫の鳴き声が聞こえ、四季折々の変化が美しく、美味しい空気と水に囲まれている。そのお陰か寂しさや孤独感を感じることはすっかりなくなった。条件が良ければ、遠く北アルプスの山々がくっきりと浮かびあがり、そんな日は思わず心の中で手を合わせてしまう。



あのまま決断をしそびれて、大阪でコロナ禍を迎えていたらと想像すると、それだけでちょっと息が苦しくなる。大阪のマンションの一室で、親の手を借りることもままならず、幼い子ども四人とずっと過ごしていたら……歯ぎしりどころでは済まなかったかもしれない、と。


たぶん私は、ずっとこういう自然豊かな場所での穏やかな暮らしを望んでいたのだ。両親と暮らしていた、幼少期のころからずっと。もしかすると遠い遠い昔に、そういう人生を経験したことがあるのかもしれない。その望みの徴候は端々にあったのに、自分の心の声がか細すぎて、気づくことができなかったのだ。

夫と出会って一緒にいるなかで、心の底から安心感を感じられるようになり、ようやくその声を少しずつ聴き取れるようになったのだろう。夫が私にそういう問いかけをしたことは一度もないけど、私がこういうことをしたい、と言うと必ず「やってみたらいいんじゃない」と笑顔で応えてくれる。私にとって夫は、神社に祀られている御神木みたいなイメージ。そこにいるだけでありがたくて、安心できて、思わずすり寄ってしまう感じ。

日々の些末な不満こそあれど、そこから一歩離れると、夫には感謝の気持ちしか浮かんでこない。気づけばもうすぐ秋分の日、13回目の結婚記念日を迎えるらしい。丸12年......十二支が一周するほど長いあいだ一緒にいるだなんて、ちょっと信じられない。実は私は長い長い夢を見ているだけなんじゃないかと思うことすらある。


12年の間に3回引っ越し、いつの間にか6人家族になった。これからも色々な変化があるだろうけど、夫と出会って結婚したことは人生最大の幸運だとわりと真面目に思っているので、たぶんずっと、夫の側にいるのだろうと思う。SNS嫌いの夫がこの文章を読むことも、誰かが読ませることもないとわかっているからこそ書けることもあるのだ。まぁこれを読まずとも、おおかたのことには察しがついているのだろうけど。

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私の人生に安心できる場所を作ってくれて、子どもたちに惜しみなく愛を注いでくれてありがとう。あなたの故郷は本当に素晴らしい場所で、そこで暮らせている今が、私は一番幸せです。

13年目もよろしくね。





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