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仮に自分の体の強さレベルを「60」とします。日々、運動をして「65」の強度を付けているとしたら、「60~64」を維持できる可能性があります。年齢が進む分を引かなければなりませんので、「65」は難しいと思われますので、最高でも「64」としました。

これはあくまでも私の勝手な想像です。

では、日々の運動をせず「50」くらいのレベルで生活していると仮定しましょう。その場合、「50~59」というレベルに変化していく可能性があります。歳がいく分、「1」引いています。要するに、毎年、少しずつ衰えていくであろうと推測されるわけです。その衰える数値は「1」とは限りません。「10」下がるかもしれないのです。

ではもっと極端な数字で考えてみましょう。毎日の生活レベルを「30」だったとしたらどうなるでしょう? おそらく「60」には到底届かない数字になるのは容易に想像できます。「30~50」くらいかもしれません。だとしたら、老化が著しく進行していくと思われます。

もう一度言いますが、これはあくまでも私の勝手な想像です。

逆に生活レベル「80」だったらどうなるでしょう? 「60~80」となればいいのですが、これはなかなかそうはいかない気がします。なんとなくですが、「60~70」というところでしょうか。それでも現状維持以上は確保できると思われます。83歳から筋トレ始めたら、30代の筋力を取り戻したという例もあるくらいですから、やり方によっては向上させることも可能です。

「生活レベル」という言葉で書きましたが、運動をしているか、していないか、というレベルだと思ってください。運動せず、食事にも気を遣わず、何も気にせず生活されていますと、どんどん老化していきます。老化速度は個人差がありますので、どの程度でどのくらい進むかは、その人次第です。

「見た目年齢」という言葉がありますが、体の中身は見た目にも表れているものです。逆を言えば、見た目が若いと体の中も若さが保たれている可能性があります。女性は「手の甲」をよく気にします。「手を見ると年齢がバレる」ので、お顔の手入れと共に気を遣うそうです。お化粧で隠しても、その見た目はまた意味が違いますから、ご注意くださいね。あなたは大丈夫?

「老化」は誰にも防ぐことはできません。それでも、たとえ少しでも遅らせることができれば素晴らしいことです。そのために必要なのが「生活レベルの向上」だと思います。それは「裕福な生活」という意味ではなく、「肉体と心の豊かさ」の問題だと思います。

「楽をする」という言葉がありますが、この言葉こそが「罪」だと私はかねがね思っています。

楽をすると人間は動かなくなります。自分の体を使って何かすることをやめてしまいます。それを「楽」だと勘違いしてしまうわけです。「楽」と「便利」を使い分けないと、人は堕落していくと思うのです。

車がいい例です。車に乗ると楽です。しかも便利です。この両方を手に入れてしまったから、運動しなくなったわけです。あくまでも便利な道具として使えばいいのに、人って駄目ですよね。

便利な車を使うと、遠くの公園まで行くことができます。そこで綺麗な景色を見ながら散策すれば運動になります。こういう使い方でしたら、便利であるけど、楽ではないと思うのです。

楽をするというのは、何もしない楽もあれば、何かをして楽になるということもあります。とにかく「楽をする」という言葉の取り方で、人生がずいぶん変わる気がするのは私だけでしょうか? 「定年退職したら楽をしたい」と言われる人がありますが、そんな人に限って、すぐ認知症になったり、足腰立たなくなるんじゃないでしょうか? 「楽をする=何もしない」ではないと私は思います。



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