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誰もが寝たきりに「なりたくない」と思っているはずです。だからピンピンコロリが良いと言いたくなる一番の理由かもしれません。死ぬということは、このようなイチかゼロかのような、両極端な話ではありません。人それぞれの人生があるように、最期もまたいろんな終わり方があるはずです。

最期を迎えた時に「自分の人生は満足できた」「いい人生だった」と感じながら息絶えることができれば、それだけでいいと思います。その瞬間、側で愛する人が見守ってくれていたら、きっと最高の最期なのでしょう。

恥ずかしながら、「満足死」という言葉を今日初めて知りました。私はこの言葉に賛同します。満足死を迎えるよう努力していきたいと考えます。


尊厳死ではなく満足死を目指すべきだと訴えたのは、疋田善平(ひきた。よしひら)さんで、高知県佐賀町の小さな診療所で医師をされていました。

住民から「死ぬまで元気でいて、死ぬ時はぽっくり逝きたい」と言われたそうです。もし寝たきりになっても、一ヶ月以上は家族の看護は大変だから、一週間以内に逝くのが理想だと言われました。医師は、それを満足死と名付け、実現化するため思案しました。

人間には運動をするための細胞(筋肉)と、生命を維持するための細胞(臓器)があり、生命維持の細胞は死ぬまで働くが、運動するための細胞は使われないとどんどん萎縮していく。

高齢者が骨折して寝つけば1週間で筋力の10~15%が低下し、2カ月も寝つけば寝たきりになるのがその一例だ。それを防ぐには、常に運動能力のある細胞を活性化させ、生命を維持する細胞と同時に衰えていくようにすればいい。そうすれば住民の「満足死」を実現できるはずだと――。

「満足死」という文字から「死」を目的にしているようだが、実は「満足死」を実現するために「どう生きるか」を目的にした思想なのである。

これは疋田先生の言葉です。最期の言葉が印象的です。そのため、住民には「死ぬまで働きなさい」と言い続けたそうです。働くというのは、筋肉を動かせという意味です。

今回この現代ビジネスの記事を読んで大きく感銘を受けました。記事にはまだ続きがありますが、今日はここまでにしておきます。いま私の頭の中では「満足死」という言葉がぐるぐる回っています。これまでの考えと合わせて整理します。

102歳の医師が教えてくれた満足な生と死
満足死 寝たきりゼロの思想

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