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【読書感想】ゼウスの覇権:反逆のギリシア神話

ゼウス好きとしては見逃せない著作「ゼウスの覇権:反逆のギリシア神話」を通読し終えました。比較的短期間に読み終えることができたのも、主題が「ゼウス」であるからこそ。God of Warシリーズのラスボスとして立ちはだかるゼウスからギリシア神話へと足を踏み入れた身としては、自らの原点に立ち返る思いでした!

我々には残されなかった「伝説の海」

本書では、「イリアス」や「神統記」等の初期ギリシア詩を中心に、本筋から脱線して語られる余談や類例の物語を丁寧に紐解き、その背景に浮かび上がってくるゼウスの覇権に纏わる神話伝承を探求していきます。

叙事詩内に突如挿入される余談の類は、本筋から脱線しているが故に、研究者によっては「詩人の創作」として切り捨てる傾向もあります。しかし、著者の安村氏は間テキスト性を重視し、「ホメロス以前の豊かな伝説の海があった」という立場から、これらの余談物語に重要な意味づけを与えています。

詩人は、聴衆も熟知している(しかし、現代の我々には知る由もない)口頭伝承・伝説群から、何らかの意図をもって選択し、敢えて叙事詩で語るに至った、というわけですね。私も上記の立場には全面的に賛同するので、読んでいて非常に示唆に富む内容が多かったです。

ゼウスとポセイドンの因縁

特に「イリアス」におけるアキレウスとポセイドンのパラレルな関係は、目から鱗でした。前者は英雄、後者は神ではありますが、どちらもそれぞれの世界で第一等の地位に就くことのできない二番手の存在です。アキレウスは最強の戦士ではありますが、アガメムノンには抗えず、ポセイドンもゼウスには逆らえません。両者とも、憤りを感じながらも、生まれに戻づいて名誉を要求することしかできなかったのです。

この重層構造が何を意味するのか?安村氏は、「ポセイドンの憤りをもう一つの重要な構成要素として用いることにより、アキレウスの憤りを巡る諍いがより明確となり、より深い奥行きが与えられている」としています。「イリアス」の神々の掛け合いは付属的と見られがちでしたが、詩の構成要素として、英雄たちの物語と同等の重みを持っているということですね。

もう1つ、個人的な見解を付け加えるとするなら、アカイア軍におけるアキレウスと同様、ポセイドンもオリュンポスの盛衰の鍵を握っていると示唆されているのかもしれません。とすると、安村氏の説くように、ゼウスとポセイドンを巡る伝説がもしかしたら当時語られていた可能性があり、ホメロスはそこからこの重層構造の着想を得たということができるかもしれません。

メタ的視点の欠如

本書にも語られている通り、ポセイドンはミュケナイ時代にはゼウスを超える厚遇を受けていました。そこから、ゼウスは主神の座を獲得し、ポセイドンとの確執を残しつつも、オリュンポスにおいて覇権を確立することに成功しました。初期ギリシア詩に残るその形跡を、安村氏は鮮やかに描き出しています。

しかし、なぜゼウスが王権を獲得するという伝承が優勢になり得たかという歴史的背景や社会的要請については、本書は沈黙しています。簡単に「ゼウスがインド=ヨーロッパ語族由来の神だったからではないか」と推測するに留まっています。仮にそうだとしたら、なぜインド=ヨーロッパ語族由来ではないポセイドンが、ピュロスにおいて主神の座を得たのでしょう?印欧祖語時代からの伝統的な神であるゼウスが、ミュケナイ時代ではパッとしない存在だったにも関わらず、鉄器時代から勢力を盛り返す、その要因は何だったのでしょうか。

内容紹介文に「ミュケナイ時代以後において、いかにしてゼウスは覇権を確立するに至ったのか。本書はその謎に迫る」と書かれていますが、迫り切れていないのが実情です。私が最も本書に期待していたのがその謎に対する説明であった故に、少し残念ではあります。叙事詩に現れるゼウスの覇権は、当時のギリシア人たちのゼウスに対する宗教的感情の副産物に過ぎません。神話よりも儀礼が先立ち、儀礼は集団の統御方法や世界観をベースとする以上、実際的な宗教活動においてゼウス崇拝がいかにして盛り上がったのか、というメタ的な視点が欲しかったですね。

仮説:ポセイドンがかつて主神であった理由

個人的な見解を言うと、ミュケナイ時代のポセイドンの覇権は、王権と馬との繋がりが関係していたと見ています。本書の注釈にも書かれていますが、ゼウスはオリュンポス神族の中で唯一、その語源をサンスクリット語にまで遡ることができる印欧語族にとって由緒ある伝統的な神です。そのゼウスが余所者だと思われるポセイドンに座を譲ったとするなら、時の権力者の強い要請があったからに違いありません。

ミュケナイ王権と馬(戦車)の繋がりには特筆すべき点があります。ギリシアのような険しい地形においては、戦車は実戦では殆ど役立たず、軍事力の基盤にはなり得ません。しかし、ミュケナイは戦車用の道路をわざわざ工事するなど、敢えて戦車に拘り続けました。同時代における西アジア諸国(エジプトやヒッタイト)と同様に、ミュケナイも王権の象徴として戦車を積極的に活用していたことは想像に難くありません。その王権を更に強化するために、馬との繋がりの深いポセイドンを主神に据えたのではないでしょうか。

ミュケナイの王宮が崩壊し、戦車を維持することができなくなった社会においては、ポセイドンの権威を強調する主体が無くなった以上、ポセイドン崇拝の弱体化は免れ得なかったでしょう。相対的に、印欧語族の深層心理に深く刻まれているゼウスへの礼拝が盛り上がってきたのかもしれません。宇宙の3分の1を領有しているにも関わらず、ゼウスに抗えないポセイドンの背景には、このような社会の変化があったのではないでしょうか。




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