見出し画像

文学フリマへの道『書けなくなったら、書けるまで待て』

追い込まないと、出来ないタイプ。


そう言われれば、そうかもしれないし
ちゃんとスケジュールを組んで、その通りにやろうとすれば
出来るかもしれない。

けれど、いまやっていることは「仕事」ではない。
ただただ、やりたいだけの「私事」だ。

誰の意見も取り入れず
マーケティングがどうのとか
発信がどうのとか
数字がどうのとか
日々仕事で追いかけ続けていることから
一線を引いた、わたしごと。

ファンがいるわけでもなく
待っている人が特別いるでもないから
出来ることが、あって。

ただ自分の奥底に眠る"何か"にだけ突き動かされて
ああでもない、こうでもないと、考えていく。

もっと、楽しいほうへ流れていったほうがいい。
心地良いほうへ、自分の心が素直でいられるところへ。
そう、切に思いながら、いま頭を悩ませている。


というのも、全然進まない。
結局、簡易的に進行スケジュールは組んだ。
可視化できた方が、どこまで進められたのか
何が未達なのか明確に出来るから。

ただ、組んだスケジュールをもとに書けない。
仕事では書けるのに、いざ自分の作品をとなると、書けない。

「書けなくなる」という経験は、今までもたくさんあった。
そのたびに僕は、作業する環境を変えたり、誰かを巻き込んでみたり
進まないのであればインプットを多めにしてみたりと
いろいろな方法で、自分を動かそうとしてきた。

ただ、自分の経験として感じる結論として

「書けなくなったら、書けるまで待て」ということ。


必ず、自分がその書こうとしていることに向き合っていれば
書けるタイミングが訪れて、少しずつ言葉が向こうからやってくる。

僕はどうせ、自分が書けなくなるタイミングが
遅かれ早かれ来ると考えていたから
作る本を「この1冊」と決めずに、数冊のタイトルを同時進行させている。

だから、作業は気分次第だ。

「あ、このタイトルの章立てに、この言葉は合うかな」
「この散文は、こっちのタイトルの●ページに入れられるかも」
「そのイメージは、あのタイトルのカバーに使えるぞ」

どこかで生まれたクリエイティブが、無駄なく繋がる。
そういうイメージを持つと、コレ使えないなぁとかって
残念な気持ちになってしまうのを、少しでも減らせればなぁと。

とりあえず自分の気持ちを思うがままにバーっと書いて
その箇条書きから整理をして、言葉を連ねることも多い。
メモは、結果として万字単位になる。
けれど、そのメモを自分で読み返すだけでも
自分の内側を理解することができたりもして、面白くて。

すべてが自己表現なんだなと、感じる。


いま一番進んでいるのは、最初に生まれた幾つかのタイトル案ではなく
また別に「これ作ってみたい」と思って考えたタイトル案の本。
それはとりあえず、散文詩集になる予定。
InDesignで組版作って、アイデアが浮かんだページから、少しずつ作っている。

書くこととデザインを分けずに行なっているのは
文章とレイアウトを同時進行で進められる方が
ページのイメージが常にできて
出来上がっていく工程を見ていられるのが楽しいから。
これが、第1作目となりそうだけれど
別に何も決めていないから、どう転がっても、楽しければいい。

とにかく、どんなやり方でもいい。
正解も不正解もない。
好きにやればいい。

自分の表現を、大事にしたい。


誰も読まんと思うけど
では、また。

この記事が参加している募集

文学フリマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?