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良い先生とは?

今までの人生の中で出会ってきたたくさんの先生たちの中で、色濃く記憶に残っている人が何人かいる。

なぜ10年以上経ってもずっとその先生達のことを鮮明に思い出せるのかというと、共通して情報以上に大切なことを教えようとしてくれていたからだと思う。

私は高校生の時荒れ放題な生活をしていたので、高2の終わりの偏差値は数学以外は50を下回っていた。周りの大人達の誰もが私の大学入学を諦めている中で曙橋にある小さな個人塾を紹介してもらい、私は1年間そこに通って、各教科偏差値を20ずつ上げて何とか青山学院大学に入る事ができた。勉強に背を向け続けてきた私に「学ぶとは何か」を教えてくれたのが、その個人塾でお世話になった先生2人だった。

彼らは2人とも、プロの塾講師だった。つまり、大学生がアルバイトで勉強を教えているのではなくて、社会に出てプロの塾講師として朝から晩まで学生達の勉強を見てくれていた。数学は塾長から、英語と国語は別の先生から教わっていた。個人塾といっても完全な一対一ではなく、1人の先生が大体2〜3人の生徒を同時に見るので、授業というよりは、問題を解かされて、その解答をみた先生が不正解の箇所の原因を分析して、弱みとなるポイントを改善するための宿題が大量に出る教え方だった。

特に数学や英語は基礎の部分に穴があると高校生の問題が解けない場合があるので、そういう穴を見つけてくれて、中学生向けのドリルを復習し、同じミスが起こらないようにひたすら潰していく。私はこの、レクチャーとは全く違う学習スタイルがすっかり気に入ったおかげで偏差値を20も上げる事ができた。

学生時代の大半は、授業を聴いて、復習して、テストを受けることが学習だと思っていたから、私のテストの点数は授業の「面白さ」次第で安定しない結果を出した。例えば、私が通っていた私立頌栄女子学院に入れたのは間違いなく、小学生の時に通っていた学習塾の先生達の授業が漫才みたいでとにかく面白かったからだし、中学に入って英語が嫌いになったのは授業がつまらなかったから。そういう私にとって、自分にカスタマイズされた学習方法はすごく新しかった。そして、授業を聴かなくていいことで、受験生の1年間で勉強が好きになってしまった。

たとえば学校の国語の授業で、先生たちがどんな話をしていたか、私はほとんど覚えていない。(唯一覚えているのは中学2年生の時に聞いた歌舞伎のストーリー)
たぶん教科書を丁寧に読み、筆者の気持ちを解説してたんだろうけど、それで何になるの?みたいな授業だった。少なくとも、当時の私にとっては。
だけど、塾での国語は違った。まず一冊の新書を渡されて、これを読むのが宿題ねと言われた。それはたしか、文章の読み方に関する古い本だった。筆者の意見が複数ある二項対立のどこに位置するかを正確に見極められるようになれば必ず問題は解けるから文章を論理的に分解すべしという趣旨のことが書かれていて、それを取り入れてからは読解問題が凄く簡単なものになった。そのテクニックの導入は入学試験のためでも勿論あったはずだけど、それより小説しか読めなかった私の読書の可能性を大きく広げてくれる体験でもあった。
自分の感情を脇に置いておいて客観的に文章を読みとく力は、間違いなく大人になってからの私を支えてくれている。

それから、長年大嫌いだった英語もセンター試験で8割取れるところまでは塾の先生が上げてくれた。だけど、私はその後も英語を好きと思える程にはなれなかった。英語への苦手意識、試験のための英語のつまらなさと何となく本質的とは思えない感じがずっと苦手だった。

私の長年の英語嫌いを取り払ってくれたのは、イギリスで最初に通った語学学校で出会った先生だ。彼女は当時ジェネラルイングリッシュの授業を担当していて、英語力が中の下くらいの生徒10名程度に基礎文法を教えてくれていた。
当初は半年だけ語学学校に通ってあとは自学する予定だったが、コロナ禍に入り学校が閉鎖し、彼女は私にプライベートレッスンを格安で買って出てくれた。あの当時、彼女の収入の足しには全くならない金額で授業をしてもらえていなかったら、私は多分ここまで英語力を伸ばせていなかったと思う。それから2年半、週に2〜3回のレッスンを続けてくれた。彼女はとにかく沢山褒めてくれたし、「私は英語を使えているんだ」という成功体験を沢山作ってくれた。「あなたはいつも上手く話せているよ」と背中を押し続けてくれた。英語が苦手で嫌いすぎた私にとって、ずっと前向きに褒めてくれた彼女の精神的サポートがいちばんの克服になった。そして、めきめきと私の英語力が伸びていく過程を一緒に喜んでくれた。
最初の一年くらいは先生は私が理解できる簡単な文法だけを使い、ゆっくり話してくれていた。だから聞き取ることが出来たのだと知るのは大分後だけど、「こんな私でも英会話が出来てる」という事実を作ってくれた優しさは大きかった。雑談ばっかりの日さえも、今思えば自信のための大切な一粒になっていたと思う。

そうやって自分に関わってくれていた先生達を思い返すと、ただ試験や卒業に必要な情報を教えることより、学ぶって楽しいとか、自分にも出来たとか、何のために学ぶのか?を考えるきっかけとか、そういうのを教えてくれていたんだなと思うし、それは凄くラッキーな出会いだった。

高校三年生の受験勉強真っ只中のときに、塾長さんは私に数学を教えながら、ぽつんと「何かを本気で学びたいと思ったら、大学の4年間はあまりに短いということを覚えておいてね」と言った。その言葉は今でも大切に抱えて生きている。そして、デザインを始めた私にとって、その言葉は大切な重さを持って、役割を担うようになった。何年デザインを学んでも、学び終わることのない感覚を初めて知ってようやくわかる言葉がある。

最近私は少しずつ、これから今の10代の子供達や、自分より下の世代の人たちに何を伝えられるだろう?と考えるようになった。まだまだおこがましいくらい自分自身も学びの身だけれど、そういうことを考えるとき、これまでに出会った先生達の偉大さを改めて知ることになる。誰かの学びたいと思う気持ちをそっと後押し出来るような人になれたらいいな。

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