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生を享ける、それは孤独と向き合いつづける日々のはじまり

遂にこの日が来た。
この世に生を享けふるさとにいた期間よりも、自分の食い扶持を見つけたったひとり孤独とは何か問うた日々のほうが長くなったのだ。
18年前の18歳のわたしは、帰ることなど一切想定していなかったし、帰れないし帰らないと思っていた。
当時のわたしは、誰かに頼っている状況では、自身の意見に聞く耳を持つ者など現れないと思っていたからだ。
それは実際のところ完全には否定は出来ない。
老いていく過程で、女の子の意見ではなくひとりの人間としての意見へと変わり、発言の重みは増した。
そして、誰かといるときに感じる孤独よりもひとりでいるときの孤独のほうがずっとまし、だからひとりになりたい、そう感じていたことも事実で、今もそう思っている。
わたしは正しかった。
ただ、今は、こんなわたしでも孤独を感じない人は存在してるってことを知っているけれどね。

あの日の小娘は、生意気だし小賢しいし、相変わらずとても孤独でいつも追い込まれていた。相対的に見ても生き急いでいた。
そこに加えて、若さゆえの瞬発力があった。
このていのいい家出話をすると、みな行動力あるねと誉めてくださるが、正直わたしも誉めたいと思う。
ちょっとやっぱりかっこよすぎる。
決断力ありすぎやろ。おばちゃんになったわたしはこえーよ。
今も違う決断の毎日だけれども、見知らぬ土地に住んで知らない人ばかりの中で働く覚悟を数週間のうちにするってやっぱりやべえ奴よ。専門学校行くって言ってなかったっけ。
それに、行かなかくてもちゃんとデザイナーになったし、クリエイティブディレクターていう想定以上のでっかい仕事してるし、今やほとんど東京の仕事しかしてないし。(だから引っ越すのです)
わたしはわたしの想像を超える人間になってるよ。
それはね、でもね、すんごい頑張ったからなの。とことん向き合った。
だから、仕事のことも、家族のことも、ぜんぶ受け入れられるようになったんだよ。よくやった。
しかもさ、長生きするとか言ってるの、これもまじあんた誰状態やよね。30代の自分を想像できなかった。27クラブかよ。でもそんくらいぶっ壊れそうだったのは憶えてる。もう朧げ。
わたしは人間を全うする。

金曜日、教科書売っててはっとしたけど、そろそろ産めそうな年齢の子たちになってきたね。みんなかわいいよ。大きくなれよ。
とか言ってるけど、このくらいの年齢のときに飛び出してんのかと思うとやっぱり狂ってるわ。セブンティーンのわたしは極めてパンクスだった。Do It Yourself である。
アナーキーなのはわたし。現代のシドではなく、ジョニーになりたかった。
ジョニーロットン(ここはあえてこう呼ぶ)も言っていた、「パンクとは自分自身に忠実であることだ」と。ファッションじゃない。とも言ってたけど、でもやっぱかっけーよね。
ピストルズの写真集から入りました。珍しいと言われます。珍しいと言ったそこのあなた、パンクとはなにか、問うたことはあるか。
既成の概念なぞぶち壊してもいいと言える世の中にしようや。それが多様性ってもんじゃないのかい?
暑苦しい昭和の女である。

冥王星が水瓶座へ。山羊座にも戻るときがあるみたいだけれども。
土と風のエネルギーを揺るがす。
ここ数日、物理的移動をしながらリモートワークをしている。
わかりやすい宇宙人である。
今なら出来るよ。ぜったいにね。
風の時代。これを強く体感している時点で、わたしは限りなく宇宙の一部だ。
父がやさしい。彼はそれを選択した。ただそれだけだ。
なにも失われない。
いつの日も、光を選ぶ。

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